陸上・駅伝

連載:NGT48西村菜那子の大学陸上ココに注目!!!!

どうやったら新しい道を切り開いていけますか? 西村菜那子×八木勇樹対談(上)

西村さんが「お話を聞いてみたかった」という八木さん。競技のことからキャリアのことまでじっくりお伺いしました!(ポートレート撮影・すべて齋藤大輔)

「駅伝に詳しすぎるアイドル」NGT48の西村菜那子さん。普段はコラムを書いていただいていますが、今回は特別企画! 西村さんが会ってみたい人と対談、その模様をお届けします。会いたい人として名前が上がったのは、早稲田大学競走部出身でYAGI PROJECT代表の八木勇樹さん(31)。陸上のことから人生相談(?)まで、話題はどんどん広がっていきました。

僕でいいんですか? いいんです!!

西村菜那子さん(以下、西村):今回、八木さんをご指名させていただいたのは……私が駅伝を真剣に見始めたのが、中学生ぐらいの頃なんですけど、その頃に走ってたのが八木さんたちの世代だったんです。たぶん、今の大学生の選手たちにとっても、印象に残っている方が多いんじゃないかなって。実業団にもいかれて、さらに独立されてご自分で色々やられていて……セカンドキャリアという点でも気になって、色々お話を聞いてみたいなって思ってたんです。

八木勇樹さん(以下、八木):光栄です、ありがとうございます。でも僕でいいんでしょうか。

西村:いいんです! ぜひです! よろしくお願いいたします。やっぱり見始めた頃ってかなり印象に残ってて。私だと早稲田か東洋が強い、っていうイメージが残ってるんですよね。今年は早稲田、全日本大学駅伝では中谷雄飛選手(3年、佐久長聖)が3区でトップに立って好走しましたよね。

八木:実は彼は去年、ケニアで一緒に合宿をしたんです。一緒に生活していく中で、早稲田が復調するきっかけになる人物でもあるな、と感じましたね。

西村:八木さんもインターハイで日本人1位になって、早稲田大学では競走部で主将、大学駅伝3冠と関東インカレ・日本インカレの合わせて5冠で、すごいご活躍ですよね。

八木:でも、大学時代にはあんまりいい思い出はないんですよ。世界と戦いたいっていう気持ちがあったんですが、自分の競技レベルが全然そこに届いてませんでした。でもメンバーに恵まれていたので、駅伝やインカレなど、チームとしてはいい結果でした。個人競技に関してはもっとやれることがあっただろうなという気持ちです。

2011年の箱根駅伝で9区を走った八木さん(右)。この年、早稲田大学は18年ぶりの総合優勝(代表撮影)

西村:むちゃくちゃエリートだと思ってました……。

八木:全然です。1年生の時は出雲1区を任されたけど17位で大ブレーキしたりとか、2年の箱根では5区の山登りで柏原君(竜二、東洋大~富士通、引退)に抜かれて、うなだれている姿が大きく雑誌に載ったりとか……。卒業後、旭化成にいってもけがが多くて、目指しているところに自分が追いついていない、っていうのがありましたね。

「自分にしかできないこと」をやりたい

西村:さっきも少しケニアの話が出ましたが、今ケニアでランニングチームを作られてるじゃないですか。どうしてやろうと思ったんですか?

八木:2016年に旭化成を辞めてプロランナーになって、藤原新さん(現スズキACヘッドコーチ)とかとトレーニングでケニアに行ってたんですが、現地で自分より競技レベルが高い選手でも生活が苦しくてやっていけない、という現状を見て。世界のスポーツ業界をやれる範囲で改善していきたい、手の届く範囲でサポートできることはしたい、という気持ちで始めました。やり始めたらやっぱり責任も伴うし、自分も競技を続けながらということは難しくて、現役は引退することになったんですけど。ケニアでは宿舎の部屋からベッドから、全部DIYしました。

ケニアの合宿所。なにもないところからベッド、トイレなどDIYしたのだとか(写真提供・八木勇樹さん)

西村:めちゃくちゃたくましいですよね。

八木:僕はそういうのを楽しめるタイプなんですよね。「エリートだ」と言ってくれる方は多いですが、僕は大学時代に挫折して、「そうじゃないんだ」って思う気持ちのほうが大きかった。卒業して旭化成にいたとき、ふと「ここにいるのって俺じゃなくてもいいんじゃない?」っていう気持ちになったんです。俺じゃなくても、強い他の選手が入ってきてこの役割を担えるじゃん、って。だったら人生の中でもっとやりたいことをやっていって、道を作っていきたいなっていう気持ちが大きくなってここまできてる感じですね。

西村:すごい……! 自分にしかできないこと、っていうのがなんかこう、ずしっときました。今、私は駅伝が好きなアイドルとして、こういうメディアとかいろんなお仕事をさせていただいているんですが……。プロの記者さんが書いているところに、ズカズカと入っていっていいのか? って悩むこともあるんです。でもその一方で、新しい道を開いていきたいなっていう気持ちもあって。何かアドバイスをいただけませんか?

「新しい道を切り開きたい」という気持ちもあるんです

八木:なるほど……例えばですが、僕もそうなんですけど、過去の映像とかで競技をしているときのことは紹介されても、今は知らない、という人が大半だと思うんですよ。選手が競技を終えた後何をしているかとか、箱根駅伝で注目されたその後とかのストーリーを追っかけていってほしいなって思いますけどね。

西村:志方(文典、早稲田大学~旭化成、八木さんの2つ後輩)さんとか?

八木:あいつはまた特別だけど(笑)。農業の道に入ったもんね。あとは、注目されてる選手は他のメディアも取り上げるでしょ。でも西村さんならではの視点で、「今後絶対くるだろう」っていう選手を取り上げても面白いと思いますよ。有名な選手はおのずと知る機会が増えますが、それ以外の選手にも光を当ててほしいなって思います。

陸上選手のセカンドキャリア、どうする?

西村:選手のその後といえば、中谷圭佑さんが八木さんのジムに入社されたのも素敵だなと思って。駒澤大学を卒業して、日清からコモディイイダに進んで引退されて、八木さんのジムに入って……それを知った時に、中谷さんの挑戦を今後ずっと見てたい! って思ったんです。陸上選手のセカンドキャリアも気になっていて。

八木:中谷がきてくれて、僕がずっとやりたかったことをようやく実現できたかなって思える感じなんです。実は僕が大学4年のときの教育実習の教え子で、2人とも西脇工出身。

西村:そこから縁があるんですね!

八木:そうなんですよ。それから、僕と彼の5000mの生涯ベストは、2014年のゴールデンゲームズinのべおかで一緒に走って出たんです(八木さんが13分37秒25、中谷さんが13分38秒08)。そういう縁も色々あって、今年の3月16日からうちにきてくれることになったんです。

陸上をしてきたことをもっと活かせるような仕事を作り出したい、という八木さん

陸上選手って基本的に実業団に所属しているので、引退した後に社業に入る、陸上と関係ない仕事に就く人が多くて。人生の半分以上を費やしているのにもったいない、それを生かせる人材を育成したいと思っていたんです。そう思ってるところに彼がきてくれたんですが、最初は社会人として基礎的なこともできないし、怒ってばっかりでした(笑)。でも今は成長して、立派にランニングコーチとしてやれている。その姿を見て最近一番よかった、と思えた出来事でしたね。

西村:本当に、セカンドキャリアに悩む選手も多いと思うんですが、こうやって八木さんみたいに場所を作ってくださる大人の方がいるって素晴らしいですよね。私自身、将来に悩むこともあるんですけど……。

八木:あります!?

西村:めちゃくちゃあります! あるんですけど、本当に八木さんを見て、好きなことをやる生き方っていくらでもあるんだなって思ったんです。

八木:それは嬉しいですね。好きなことをやって力をつけて、自分のやりたいことを実現していくっていうのが一番幸福度が高いと思ってるんです。僕の最終目標は、死んだ後にもやってきたことが残るぐらい大きなことをしたい。僕の幸福がどうこうというよりは、関わってきてくれた人たちがやりがいをもてたり幸せになったりしてほしい、みんなで前に進みたい、というところが物事の比重を大きく占めてるところがありますね。いま実現したいのは、目標達成したい人たちがうちにくれば、どんな人でもサポートして自己実現ができる、ということ。それを考えるとまだまだ道半ばだなと思います。

西村:でもやりたいことをやるのって、時には勇気がいったりもしますよね。

だんだん八木さんへの人生相談の様相に……

八木:やりたいことを貫いてやっていれば、その姿を応援してくれたりとか、サポートしてくれたりする人が必ず出てくるんです。貫いている意思の強さが絶対に重要で、それがあればもし行き詰まった状況になったとしても、状況を打破する何かが起こるんです。目に見えない何かが絶対に働くんですよ。

西村:貫くこと……やばい、なんか泣きそうになってきました。

八木:僕は割とリスクのある選択をしてきて、最強のリスクがある選択をその瞬間に取れるかどうか、それが一番成長につながってきたかなと思います。芸能界は全然わからないから下手なことは言えないですが、応援してくれる人はたくさんいるはずですよ。

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後編では八木さんから西村さんへの提案、そして西村さんが聞きたかった! という八木さんのさらなる挑戦についてお伺いしました!

NGT48西村菜那子の大学陸上ココに注目!!!!

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