ドミニカン大に進みNCAAで負ける度に力が沸いた 田渡凌4
今回の連載「私の4years.」は、Bリーグ・広島ドラゴンフライズの田渡凌(27)です。田渡はドミニカン大学カリフォルニア校で主将を務めた後、2017年に横浜ビー・コルセアーズへ、2020-21シーズンから広島ドラゴンフライズでプレーしています。5回連載の4回目は、オーロン・カレッジ(短大)から編入したドミニカン大学カリフォルニア校3年生の時についてです。
チームの中で自分が果たすべき役割がすぐに分かった
アメリカの大学の学費はものすごく高い。ドミニカン大学も生活費を含むと700万円くらい年間でかかる。自分は奨学金をもらっていたので困らずに済んだが、短大と違い他の生徒たちはすごく恵まれた家庭で育った生徒たちが多かった。
大学はサンラファエルという街にあった。マリン郡という地域にあるのだが、そこは全米でもトップクラスに物価が高い地域だった。転入してすぐに気づいたのは貧富の差だった。これだけ学費がかかると生徒たちの勉強に対する意欲にはすごいものがあった。よく日本の大学ではどうにかして単位を取って卒業しようとする学生が多いと聞いていたが、こっちでは就職に向けて真剣に学業に励む生徒が大半だった。
ドミニカン大学の練習は毎朝6時30分から始まる。みんなの授業の時間を考えると、この時間以外にまとまった時間が取れないからだ。大体5時20分には起きて準備をするため、毎晩寝るのは22時前だった。その前までには授業に出て宿題を終わらせ、もう一度体育館に向かい、トレーニングをするのが日課だった。NCAAのレベルになるとシーズン前の数カ月は練習時間に規定があり、ボールを使うことがチームとしては限られていて、ほとんどが体づくり中心になる。筋力トレーニング、アジリティトレーニング、スプリントトレーニング、トラックでの走り込みなど、日に分けて様々なメニューをこなした。
本格的な練習が始まると、強度も短大の時に比べると高かった。長身の選手や身体能力に長(た)けた選手があまりいなかったため、チームプレーで打開しようとするチームだった。戦術はたくさんパスを回し、相手の隙を狙いアタックし、裏をかいて得点を取る。すごくやりがいがあるものだった。自分が何を期待されてリクルートされたかがすぐに分かったのもあり、馴染むのにも時間はかからなかった。
ディビジョン1の強さを見せつけられ、そこからまた鍛え
大学3年生での初めての試合は、プレシーズンマッチでディビジョン1に所属するネバダ大学リノ校。川崎ブレイブサンダースのニック・ファジーカス選手や、昨年レイカーズで優勝を果たしたジャベール・マギー選手が過去に在籍していた学校だ。ディビジョン1とディビジョン2では圧倒的にサイズと能力が違った。ひとまわりもふたまわりも背が高く、能力もものすごく高かった。それでも頭を使った戦術で少しは対抗できたが、結局20点差くらいで敗退した。初めて目標にしていたレベルでプレーして、少し考えさせられた。正直もっとやれると思ったが、個人的には全然歯が立たなかった。
次戦も同じくディビジョン1のフレズノ州立大学。クリッパーズのポール・ジョージ選手が所属していた大学だ。この試合もまた20点程の差で負けた。そして個人的にも納得いく結果にはならなかった。アメリカ留学中に何度も何度も同じような体験をした。今まで見たことのないような能力やスキルを持った選手たちと出くわす度にだ。けど、そういうことを経験したくて留学していたので、毎回その次の日からのトレーニングが楽しみで仕方がなかった。
本格的なシーズンが始まり、チームもまずまずのパフォーマンスで勝ち星を重ね、自分自身もスターターとして活躍できた。ディビジョン2と言えどほとんどの学校にはディビジョン1から転校してきた選手がたくさんいて、毎試合が充実したレベルの戦いで、あっという間にポストシーズンの時期になった。ギリギリでトーナメント出場を決め、初戦からNO.1チームとの対戦だった。序盤自分の活躍もありリードを奪ったが、最後はまくられて初戦敗退でシーズンが終わった。背が低く身体能力も低いチームでも、一丸となり相手の裏を突いて考えてプレーすることで戦えることを学んだ一年だった。
NBA選手のワークアウトで受けた衝撃
シーズン中に左手の小指の靭帯を断裂してしまい、シーズン終了後に人生で初めての手術をした。リハビリの関係もあり、日本にはほとんど帰らずにアメリカで過ごした。その間、渡米一年目にお世話になったスキルコーチのノアが、ロサンゼルスでNBA選手のワークアウトをするから一緒にやりに来いと誘ってくれた。しばらくは見学だけだったが、すごくいい勉強になった。
そこに来ていたのはトップクラスの選手たちで、ラッセル・ウェストブルック選手(現・ウィザーズ)やアンソニー・デイビス選手(現・レイカーズ)などがいた。そういったレベルの選手たちがどれくらいの強度、確率の高いシュートでやっているかを間近で見てすごい刺激になった。途中からは一緒に参加したが、今までに経験したことのないスピードやパワー、スキルの高さは衝撃的だった。それと同じくらい衝撃的だったのは人間性。例えどんなに有名だろうが、活躍していようが、お金を稼いでいようが、関係なく分け隔てなく誰とでも接する姿を見て、自分もいつかプロの選手になった時、こういう人間でありたいと強く思った。
たくさんの新しいことを経験した一年はとても充実していた。今でもあの頃に学んだことをコートでもオフコートでも実践している。これからもその経験を生かして生きていけたらと思う。