チームの勝利のために「自分なら絶対にやれる」 田渡凌5
今回の連載「私の4years.」は、Bリーグ・広島ドラゴンフライズの田渡凌(27)です。田渡はドミニカン大学カリフォルニア校で主将を務めた後、2017年に横浜ビー・コルセアーズへ、2020-21シーズンから広島ドラゴンフライズでプレーしています。5回連載の最終回は、ドミニカン大学カリフォルニア校4年生の時、そしてBリーグで戦う今についてです。
授業でMLB選手にインタビュー
あっという間に大学生活も最終年に突入した。4年目はチームキャプテンに指名され、チームの中心として戦うことになった。チームは前シーズンのメンバーが残り、ディビジョン2のチームにディビジョン1の大学から身長212cmのビッグマンが転校してきて、今年こそカンファレンスを勝ち抜くという目標に向かって始動した。
4年生になると単位をほとんど取り終えているので、卒業論文を書く以外は自分のトレーニングに時間を費やすことができた。そのころには英語もでき、勉強の要領も得られていたので、すごく楽だったのを覚えている。
自分の学部はマス・メディアコミュニケーション学部といって、楽しい授業が多かった。動画の編集、音の編集、カメラワーク、ラジオ、インタビューの仕方、広告、記事……。実際に授業の一環でMLBのサンフランシスコ・ジャイアンツの試合を観戦し、選手にインタビューする校外学習などもあった。プロになった今もその経験はすごく生かされていると感じる。今はインタビューをされる側だが受け答えに困ることもないし、ラジオやカメラの前でも緊張することもない。そういった点でも留学できて良かったなと感じた。
友達に見守られながら迎えたシーズン最終戦
バスケットボールの方は、主力メンバーの度重なる故障や校則違反などを犯した選手たちの離脱があり、期待されたような結果が残せずシーズンは呆気(あっけ)なく終わってしまった。しかし、ひとつうれしいこともあった。もともとドミニカン大学に決めた理由のひとつに、ハワイで試合があるということだった。留学をサポートしてくれた日本に住む両親が見に来られる距離だったからだ。最終学年にしてようやく自分の試合を見てもらうことができた。両親の理解や支援がなかったら留学は実現しなかったため、最後に戦う姿を見てもらえてうれしかった。
シーズン最終戦にはオーロン・カレッジ(短大)時代のコーチや友達も見に来てくれた。いつも自分のことを気にかけてくれた人たちがいたことは、母国から離れていた自分にとって心の支えとなっていた。今でも彼らとは連絡をとるし、大切な友達だ。
シーズンが終わってからすぐに、プロとしてのキャリアに向けた準備が始まった。エージェント契約を結び、チームを決めるプロセスへ。いくつかあった候補から決めるのに、そう時間はかからなかった。自分が試合に出られることが最優先。それは大学の進路を決めた時に大事にしていたことでもあった。また5年間、親元を離れていたので、両親が見に来られるよう、できるだけ実家に近いチームがいいと思っていた。そうした条件を鑑みて、横浜ビー・コルセアーズへの入団を決めた。
横浜でB1残留争い、キャプテンとしてチームを支え
17年5月に卒業式を終えてすぐに帰国し、U24日本代表の活動に参加した。実に6年ぶりになった日本のユニホームでの試合は素晴らしい経験になった。台湾で行われたウィリアム・ジョーンズカップ、韓国で行われたアジアパシフィック、そして台湾に再度戻りユニバーシアードに参加した。他国の同世代の代表選手たちとの戦いはすごく刺激的だった。
帰国してからは横浜ビー・コルセアーズに合流。「自分が活躍し貢献して勝ってやる」と挑んだ1シーズン目はなかなか勝てず、チームはB2への降格争いを強いられた。ギリギリでB1残留を勝ちとったが、個人としても思ったような活躍はできなかったためすごく悔しかった。
2年目は試合にも多く出場し、スタッツも前年より上がりまずまずのパフォーマンスだったが、またまた勝てず、チームは自分が入団する前年から加え、3年連続で残留争いにまわった。レギュレーションの関係もあり、B1残留は決めたものの、またも悔しいシーズンになってしまった。
3年目の19-20シーズン、チームの主力選手たちの移籍もあり、自分はキャプテンを務めることになった。今年こそはと臨んだシーズン、序盤こそいい戦いをしたが、中盤からは自分もけがの影響でパフォーマンスを落とし、チームも負け込んだ。しかし他の選手たちの活躍もあり、強豪チームに勝利するなどよくなっていた矢先、新型コロナウイルスの影響でシーズンが途中で終わってしまった。
新天地で戦う今、試合に出られない悔しさもバネにして
4年目の20-21シーズン、新しい挑戦の機会を求めて、今季からB1に昇格した広島ドラゴンフライズに移籍をした。新生活は全てが新鮮で、慣れた環境から抜け出してもまれることで成長できると自分も信じていた。
悔しいことになかなか勝てない日々が続いている。それ以前に、初めて試合に出場させてもらえない経験をした。どうしたら試合に出られるのか、そしてチームの勝利に貢献できるのか。これを考える毎日は自分が思っていたよりも難しいことが多い。それでも常に上を見て、自分がやらなきゃならないことを全うし、チャレンジし続ける。日々の努力と成長だけが自分を前進させてくれる。自分なら絶対にやれる。
そんなことを自分に言い聞かせながら、今日よりも少しでもレベルアップした自分で明日を迎えられるように、いつか理想の自分になれる日を信じて、今日も自分は体育館に向かう。