陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

立命館大で4年間全て区間賞を獲得した小島一恵さん 現役引退後、再び走り出す!

立命館大学OGの小島一恵さん(現姓:松本さん)。現在は育児をしながら新たな目標に挑んでいます(写真はすべて本人提供)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は小島(現姓:松本)一恵さんのお話です。立命館大学では全日本大学女子駅伝、全日本大学女子選抜駅伝で4年連続全て区間賞を獲得。立命館大の3年連続駅伝2冠にも大きく貢献されました。個人でも日本インカレ10000mで優勝。実業団・豊田自動織機で競技を続け、2017年に現役を引退。結婚し、育児をしながら新たな目標に挑戦しています。

走ることに目覚めた母の一言

奈良県出身の小島さん。走るのが好きになったのは小学4年生の時でした。「校内マラソンで3年生までは友達と一緒に話しながら走っていたのですが、それが母にバレてしまって『あんたは走るのが速いはずなんやから一人で走り!』と(笑)。4年生の時に1人で走ったら女子で1位になれたんです。みんなからもすごいと言われましたし、母からも褒められましたね」。校内マラソンでは5、6年生も連続で1位に。お母様の一言でのちの陸上人生への扉が開くことになりました。

田原本中学に入学し陸上部に。1年生の頃は1500mで奈良県内でも6〜7番と目立つ存在ではなかったそうです。そこから中学の先生のアドバイスもあり、男子選手たちと一緒に練習していたところどんどん速くなっていきました。

2年生になると全日本中学陸上選手権(全中)出場が見えてくるところまで急成長。しかし、通信大会、総体と標準記録までどちらも1秒届かず「悔しい結果でしたね。3年生では絶対に全中に行くと思って冬の練習を頑張りました」

冬の練習の成果もあり、3年生になると全中出場どころか、全中優勝を目指せるレベルに。迎えた全中では800mで優勝(当時大会新記録)、1500mでも2位となり、女子MVPにも輝きました。「悔しさをバネに先生の指導もあって、いい経験をさせてもらいました」と嬉しい全国制覇。

中学時代の小島さん(2907番)。1501番は後述する飯野摩耶さん

さらに、都道府県女子駅伝でも奈良県代表に選ばれました。「山中美和子さん(現・ダイハツ陸上競技部監督)が1区を走られていて、憧れだったので嬉しかったですね」。襷(たすき)は直接はつなげなかったものの、同じチームで走れて楽しかったそうです。

立命館宇治高校での3年間

高校は京都の名門・立命館宇治高校へ。自宅から約1時間かけての通学でした。最初は高校の練習量に驚いたといいます。「中学時代はジョグが10分とかで、最高でも15分でした。800mをやっていたので、距離を踏まず、その分スピードを出していました」

高校ではつなぎの練習でも40分ジョグが普通。「先輩たちが今日40分ジョグでラッキーと言っていて、めっちゃ長いと思いました。こんなに走るのって(笑)」。入学当初は練習量の変化に驚いたものの「この練習をしたら強くなれる」と思って走っているうちに、なんと1年目からインターハイで入賞!

「中学は自分が先頭で走るレースが多かったですが、高校に入ってからは無心でついていくレースでしたね」

そのままインターハイでは3年連続入賞。「出るからには優勝したかったですが、入賞は絶対にすると思っていました」と強い気持ちで挑んでいました。

全国高校駅伝では3年連続でエース区間の1区を務めました

トラックだけはなくクロカンでも2年連続で世界クロカンの日本代表に選ばれました。「初めて海外で走ったのですが、クロカンのコースがすごかったです。競馬場で行われたんですが、ゲートに並んで、馬みたいにスタートとともにゲートから飛び出していくんです。ケニア、エチオピアの選手たちのスピードを肌で感じました」。クロカン、起伏、不整地は得意で練習でもよく走っていたそうですが、世界とのレベルの差を痛感しました。

ただ、世界との差を感じたものの、仲間との出会いは貴重なものとなりました。同い年には、10000m日本記録を更新し東京五輪代表に内定した新谷仁美選手、埼玉医科大学グループ女子駅伝部の飯野摩耶監督など錚々たる顔ぶれ。

おかやま国体では少年女子共通3000mで3位に

「高校時代はすごくキツくて毎日が必死でした。それがあったから大学生になってからも陸上を楽しめました。何をしていたのか覚えていないくらい(笑)そのくらい充実していましたね」

大学女子駅伝ですべて区間賞

高校卒業後は立命館大学へ。大学進学後も立命館宇治高校を拠点に、高校時代から指導を受けている荻野由信監督(現:総監督)のもとで練習することになりました。

「大学生になりましたが、友達と遊ぶことよりも陸上に集中していて、大学生らしいこともしてなかったですね(笑)」と振り返ります。

1年目からインカレ、駅伝ともに活躍を見せます。特に駅伝では立命館大学は無類の強さを誇り、全日本大学女子駅伝(杜の都)、全日本大学女子選抜駅伝(当時は筑波で開催)で3年連続2冠を達成。小島さんも全て区間賞を獲得し、チームの連覇に大きく貢献。「駅伝ではプレッシャーを感じませんでした。1人じゃないですし、みんなで戦っているというチームメートの心強さを感じましたね」とチームへの想いも話されました。

全日本大学女子選抜駅伝では5連覇を達成(翌年まで6連覇、会場変更前を含む)前列一番左が小島さん

「前から来る走者から襷を受け取るときに気持ちがつまっているので、次の走者に1秒でも速くつなごうと走っていました」と駅伝への強い思い入れもありました。

大学3年生の時の全日本大学女子選抜駅伝。自身も区間賞・区間新の走りで3年連続2冠に大きく貢献

駅伝での連続区間賞、インカレでの上位入賞とともに、ユニバーシアードでは2度の日本代表も経験。「ユニバーシアードではあまりいい成績を残せませんでした。ただ新しい仲間ができて楽しかったですね。のちのレースでも切磋琢磨して上を目指して行けましたね」と高校時代の世界クロカン代表に続いて大学でも陸上界のつながりができました。

日本インカレ初制覇も駅伝では連覇ならず

日本インカレでは毎年上位に入りながらも優勝することができず、迎えた4年生最後の日本インカレ10000mでついに優勝することができました。

「毎年優勝が狙える位置にいましたが、なかなか勝てなくて。4年目で優勝できて最高でした。もう来年はないし、やったぁと(笑)。途中で勝つとディフェンディングチャンピオンというプレッシャーもありますので(笑)」と冗談っぽく話されました。

ユニバーシアード日本代表も2度経験。写真右はのちにロンドン五輪代表となる木﨑良子さん(当時佛教大学)

日本インカレでは念願の初優勝を飾ったものの、入学以来負けなしだった駅伝では杜の都、選抜ともに佛教大学の後塵を拝することに。「4年生の時は、佛教大に敗れてすごく悔しかったですね。選抜駅伝の時はアンカーを走らせてもらいましたが、最後の最後で優勝できなかったのが悔しかったです」。ご自身としては杜の都も選抜も4年間全て区間賞を獲得する偉業を達成したものの、チームとしては悔しい結果となりました。

大学卒業間近の3月に出場した世界クロカン。シニアの日本代表となりました。写真一番左が小島さん

それでも「大学4年間、充実していました。駅伝が本当に一番の思い出ですね。普段高校で練習していて、違う場所で練習していた私を受け入れてくれて、みんなが一緒に頑張ろうって言ってくれました。みんな優しかったですね」と仲間への感謝も口にされました。

膝の故障に苦しんだ実業団時代

大学卒業後は豊田自動織機に入社。実業団選手としてスタートを切りました。

豊田自動織機に入社。高校時代、世界クロカンで一緒に代表となった新谷仁美選手ともチームメイトに

入社1年目の全日本実業団女子駅伝では3位に。「エース区間を走らせていただきましたが、福士加代子さん、渋井陽子さんをはじめ自分よりも速い選手ばかり走られていて、集団に飲み込まれてからも必死にくらいついていこうと思って走っていましたね」

入社1年目の全日本実業団女子駅伝ではエース区間を任され、他チームのエースに必死についていきました

2年目にはチームの主将に。「キャプテンらしいことはできなかったです。若いチームだったので、私が最年長でした。和気藹々としたチームでしたが、膝の故障もあって走りでは引っ張れなかったですね」

入社2年目以降は膝の故障に苦しんだ競技生活となりました

3年目に膝を手術。「手術後、走れない期間が1年間くらいありました。復活して、期待してくださってる方にもう1度いい走りをみせたいという思いでした」。プールで1〜2時間泳いだり、筋トレをしたり、バイクを漕いだりと、黙々と復活を信じてリハビリの日々が続きました。

手術後、復帰レースとなった3000mでは10分12秒を要しました。小島さんの自己ベストは9分08秒85。ベストを約1分下回る結果に「全く走れなくて……思い描いている走りとはほど遠くて、全く違いました。その後の記録会でも3000mで10分かかったり、5000mでも17分以上かかったり、こんな走りでやっていていいのかなと思っていましたね」と手術前とは別人のような走りに苦しみました。

2017年に現役を引退。「結果を出せないのでやめようと思いました。楽しいことも苦しいこともたくさんあって言葉には表せない競技人生でした。たくさんの方に応援していただきました」と競技生活をふりかえられました。

2017年に現役を引退。周りの方に支えられての競技生活でした

結婚、出産、育児、母としての挑戦

2017年の3月には大塚製薬陸上競技部の松本葵選手と結婚。「引退後も主人が走っている試合に応援へ行くと、他のチームの監督さんに声をかけてもらえたりするんです!」。陸上の会場にいると血が騒いでまた走りたくなるそうです。

大塚製薬陸上競技部の松本葵選手とご結婚

女の子の双子を出産し、現在は育児にも明け暮れています。「2人いるので大変です(笑)ただ、大変なんですけど、その分、双子なので楽しさも可愛さも2倍ですね!」と教えていただきました。

双子を出産。大変さも可愛さも2倍と教えていただきました!

両親が陸上選手ということで、将来をつい期待してしまいますよね(笑)。「走ることを好きになってくれたらいいですね。ただ、陸上だけにとらわれず、何か目標に向かってほしいなぁとは思いますね」

そんな育児に追われる日々の中、新たな目標を掲げています。

「実はいま毎日走っているんです。週末は主人が娘たちを見てくれていて、私は競技場でポイント練習もやっています。陸連登録もしました(鳴門市陸協)。実業団時代、手術後に出せなかった3000m10分切りを目指します! 自分の限界を見たくなりました!」と自身を越えるため家事・育児をしながら現状打破しています!

競技者として走っていた時との違いについては「現役時代と全然違いますね。今は何もプレッシャーもなくて楽しいです。ポイント練習も楽しく気持ち良く走れます。今すごく楽しいですね。普段、育児をしているとダッシュとかできませんが(笑)、トラックでダッシュするのは気持ち良いですね!」。今ではポイント練習が気分転換の時間となっています。

「ポイント練習は主人と娘たちの3人で応援してくれることもあります」と教えていただきました

引退した選手にも走るのはオススメだと話します。「気分転換に走るだけでも違いますし、走る時に風を感じたり、走った後に美味しいものを食べたり、走ることで違うものが見えてくるのも魅力ですよね」

実に7年ぶりのトラックレース出場となった4月24日の徳島中長距離記録会3000mでは、10分11秒65で走破。現役時代、手術後復帰レースの10分12秒を切るという目標を達成する走りでした。「走ることが家事育児の息抜きとなって、どんな練習も気持ちよく走れていました。主人が練習メニューを立ててくれて、いろいろとサポートしてくれたので、喜んでもらえたのが一番嬉しかったです!」。今後は3000m10分切りとともに、徳島駅伝の鳴門市代表という新たな目標もできました。

家事・育児をしながら新たな目標を見つけて挑み続ける小島さんは輝き続けています!

M高史の陸上まるかじり

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