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連載:4years.のつづき

3度目のJリーガーへ、仕事もサッカーも本気だから クリアソン新宿FW岡本達也3

35歳になっても進化を続けるFW岡本達也((c)2021 Criacao)

働きながら3度目のJリーガーを見据えるクリアソン新宿のFW岡本達也(35)は順天堂大学で貴重な経験を積み、J2水戸ホーリーホックへ加入した。再びプロ選手で4年活躍した後、2015年に株式会社Criacao(クリアソン)に入社。学生のキャリア支援などに取り組みながら、チーム強化に力を注いできた。3回連載の最後は仕事とサッカーの両立からみえたものなどです。

18歳磐田から始まった挑戦
順天堂大の経験が今に生きる

再びプロ選手に、意識は違った

2011年、岡本は水戸で再びJリーガーになった。学生を経てプロに戻ったが、18歳でジュビロ磐田の一員になった時と意識は相当違っていた。それは「サッカーの神様の贈り物」と岡本が振り返る順大1年の時、天皇杯で古巣の磐田と対戦した時の体験が大きかった。岡本は磐田をわずか2年で戦力外になり、リーグ戦には出場できなかった。それでも、試合があった磐田の本拠ヤマハスタジアムのファンは彼のことを忘れていなかった。1-6と大敗したが、温かい声援が後押しした。「天皇杯、見ました」、「岡本さんの姿で自分も、もう一度頑張ろうと思えた」。試合後、大学の寮に多くの手紙も届いた。

「ユースからプロになるときは、自分が稼ぎたい、有名になりたいと自分の欲を満たせればという感じだった。あの試合で自分のサッカーでいろんな人にプラスの影響を与えられると感じた。プロの仕事ってそういうものではないかと」

順大から水戸へ進み2度目のJリーガーに(提供・水戸ホーリーホック)

当時の水戸は若い選手も多く、まだ、未完成なクラブだった。「競技面でのチャレンジと、そうじゃないところでも貢献したい」と茨城へ向かった。2年在籍し、13年からはJ2ガイナーレ鳥取に移籍した。鳥取での2年目、J3へ降格したチームの主将を任せられたが、再昇格させられなかった。「区切りをつけて、違う道を考えよう」とユニホームを脱いだ。

4年間でJ2、J3合わせて100試合近くに出場した。日本プロサッカー選手会副会長を務めたこともあり、いくつかのクラブからフロントなどで誘いもあったが、いったん、距離を置くことにした。

鳥取では降格も味わい、主将も務めた(撮影・朝日新聞社)

クリアソンとの出会い

知人を通じ、「スポーツの価値を通じて、真の豊かさを創造し続ける存在でありたい」という理念から、大学や企業への教育事業や支援に取り組むクリアソンの丸山和大社長と知り合った。教員免許も持つ岡本は自分がする仕事で誰かの人生が好転していく仕事に興味を持った。インターンを経て入社、会社が運営するサッカーチーム「クリアソン新宿」にも加わった。仕事内容は大学生から部活や進路の相談を受けたり、企業の採用コンサルティングをしたりと幅広い。

サッカーの方は15年に加入した時、東京都社会人1部だったチームの強化が進み、関東2部、同1部と駆け上がってきた。井筒陸也キャプテン(27)は岡本について「チームの元Jリーガー第1号、やりたいサッカーとできるサッカーに差がある時から、自分よりサッカー経験が乏しい選手たちと一緒に切磋琢磨(せっさたくま)してやってきた。本当にすさまじいこと。年齢も上ですが、今でも一番走って声を出し、ぶれずにやっている」。関西学院大時代に主将として四冠を達成し、徳島ヴォルティスに所属していた元Jリーガーも一目置く。

クリアソンはプロチームでなく練習は平日週3回ほど。仕事を終えた、仕事途中の選手たちが三々五々、落合中央公園に集まってこなす。ゴールの移動などはもちろん選手自身でこなし、用具も毎回、会社から車で運ぶなど手作りの運営が続く。コロナ禍で練習機会や選手同士が直接会える機会はかなり減った。

平日夜の練習は仕事の後、準備も選手たちで(撮影・朝日新聞社)

初優勝を果たした今季の関東1部リーグも変則日程となった。終盤は3週間で7試合をこなした。その中で岡本はリーグ戦22試合全てに先発出場、リーグ2位(暫定)の12得点を決めた。

「一人の力で点を取れるタイプではないので、(自分が)点が取れたのはチーム状況がいいということ。終盤に来てチームがどんどん加速してよくなった」

岡本は仕事とサッカーの両立が相乗効果を生んで快挙につながったと見る。「普通に考えると、サッカーと仕事を両方やるとサッカーにはマイナス。だけど、仕事をする上で自分の感覚的なことを言葉にし、物事を整理し形式知化していくことは重要。サッカーでも、試合で起こった事象をどうとらえてどうしたいのか、話し合ってすりあわせる作業はめちゃくちゃ大事。ビジネスをスポーツにも生かせるし、両方本気でやる価値があると確信的に思えた」

クリアソンの練習で、選手同士が話し合う場面が多いのはその表れだろう。

仕事もサッカーも全力で走り続ける((c)2021 Criacao)

9月に35歳になった岡本は「今が一番動けます。プロの時以上に。新しいこともいろいろと自分の体で試している。学生にも還元できる」と言う。フルタイムで働きながら、この7年、レベルが上がっていくリーグを戦い抜いてきた。プロ時代の延長ではなく、人体の歴史から学び直し、体に摂取するもの、しないものは大きく変わり、トレーニングも大きく変化している。

11月12日からJFL昇格をかけた各地域からの代表で競う全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021が始まる。

「どこまでいけるか見ていてください」

数年後、3度目のJリーガーが生まれれば、これまでと全く違う岡本達也がピッチに立つ。

4years.のつづき

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