岩政大樹がコーチとして鹿島に復帰 挑戦を求めてきた30代、40代は結果で証明を
2022シーズンより、私、岩政大樹(39)は鹿島アントラーズにコーチとして戻ることになりました。それにより、このコラムも今回が最後になります。長きにわたりお付き合いいただいた皆さん、大変ありがとうございました。せっかくですから、最後のコラムは人生の大きな決断をいくつもしてきた私の30代を振り返り、未来ある皆さんの何かしらのヒントになればいいなと、言葉を絞り出してみたいと思います。
人生の“流れ”を感じ、鹿島を退団してタイへ
私は2004年に東京学芸大学を卒業後、鹿島アントラーズに進み、10年という区切りをもって退団しました。32歳の時です。10年というのはどこかいいタイミングであると感じました。しかし、それは後付けに過ぎません。
私が決断に際して最も重視してきたものは、世の中と、そして私自身の人生の“流れ”みたいなものを感じることです。どこか全ての“流れ”が向かう先が見える気がする。そう感じる道を選んできました。
鹿島を32歳で退団した時、チームは過渡期を迎えていました。私は出場機会を失い、イキのいい若手たちが育ってきていました。同時に、健在の先輩たちがいらっしゃいました。私は「先輩たちとは違う色の自分にならなくては」。そんなことも考えた気がします。いずれにしても、私は鹿島を離れるべきタイミングが訪れたと感じていました。
「残ってほしい」という後輩たちの想(おも)いや生まれたばかりの子どもと離れ離れになってしまう家族への申し訳なさ。私は、後ろ髪を引かれるようなたくさんの要素を振り切ってでも、新たな挑戦に向かわなければならない。そんな信念のもとにタイへ渡ったのでした。
BECテロ・サーサナFCで戦い、1年で日本に戻ってきたのも似たような理由です。タイでの1年は、海外で経験したかったことが思っていた以上に順調に進み、全てが思い通りに運んでいったような年でした。すると、私はそこに次の年も残ることは“挑戦”ではなくなってしまったように感じてしまったのです。私が鹿島を出た理由は新たな挑戦を求めたからです。であるならば、次なる挑戦へ向かうべきだろう。そんな“流れ”を感じて、私は初のJ1昇格をめざしていたファジアーノ岡山への移籍を決断したのです。
2年間の壮大な挑戦をあと一歩で果たせず離れることになった岡山退団の時だけは、私にとって不意の別れでした。ただ、それも全て今では、“今ここ”に続く道の途中であったのだろうと感じています。
川崎の3連覇を阻止するためにも
岡山を離れてからは、サッカー選手という仕事に加えて、指導者や解説者としても歩き始めました。その都度、ありがたいお話をいただいて、全ての年代の指導をさせていただきました。様々なカテゴリーや様々なレベルの選手たちと向き合いながら、指導者としての自分を試されてきたような時間の中で、私は確実にサッカー人として成長してこられた実感があります。
そして、突然訪れた今回のお話です。実は、今オフには別にいくつかのお話をいただいていました。しかし、私は上武大学を簡単に離れるつもりはありませんでした。たった1年でしたし、何より選手たちの成長をまだまだ見ていたかったからです。
しかし、鹿島からいただいた、このお話だけは断ることができませんでした。それは、やはり“流れ”を感じたからです。そして、「使命」を感じてしまったからです。
鹿島アントラーズは5年間国内タイトルから遠ざかっています。これは鹿島の歴史で一度もなかったことです。そして、来年は川崎フロンターレが3連覇に挑む年。鹿島はなんとしてでもそれを阻止しなければなりません。そんな時に戻らずしていつ戻る。これは何を置いても挑まなければならない挑戦だろう。私は率直に、そう感じてしまったのです。
寂しさを胸に、毎日が勝負の世界で戦い抜く
この12月は寂しい1カ月となりました。たった1年の付き合いでしたが、私が大学を離れることを告げた時の学生たちの反応は、ありがたいものばかりでした。だからこその寂しさ、申し訳なさ、後ろめたさ。しかし、私はそれらを振り切って、今回の決断をしました。寂しさに明け暮れてばかりではいけません。
ただ、寂しい。本当に寂しかった。でも、私は行かなければいけない。今後は指導者としても“大学出身者”としても頑張っていきます。
ここから先は、結果が全ての世界。厳しい世界であることは充分に知っているつもりです。ただ私は1つ、今回の別れで武器を得ました。別れを惜しんでくれたみんなの気持ちです。苦しくなったら彼らの顔を、そして別れの寂しさを思い出して、自分を奮い立たせていきたいと思っています。
1月に私は40歳を迎えます。どんどん新たな挑戦を求めてきた30代を、今は正解だったと思っています。それを40代の結果で証明していく覚悟です。
このコラムもこれでお別れ。またいつか書かせていただけたら。その日まで、私はまた勝負の世界を自分らしく歩いていきます。日進月歩で。