アメフト

連載:私の元気メシ

桜上水「とんかつ山路」、学生限定の大盛り「L定食」500円に込めた大盛りの愛情

選手によって変わる「L定食」(税込み500円)とは?(撮影・全て松永早弥香)

京王線桜上水駅から続く商店街から一歩出た通りに、体育会系の学生が通うとんかつ店「とんかつ山路」がある。近隣には日本大学や明治大学があり、大柄な学生たちもみんなここでおなかいっぱいになってそれぞれの寮に帰っていく。取材をさせてほしいと伝えると、「な~んもないですよ。ただのえこひいきだから」と店主の山路順さん(71)は豪快に笑った。

浪人の末に大学進学を諦め、とんかつ店を開業

店内の壁という壁には選手のサインがびっしり。アメフト、ラグビー、陸上、バスケ、野球など、競技も多岐にわたる。そもそも山路さんがこの場所に店を構えたのは大学関係者の利用を見越してのことだったが、学生との交流は20~30年前、日大アメフト部の学生がきっかけだったという。「誰かひとりなんて言えないよ。本当にたくさんの学生が来てくれてたし、卒業してからもちょくちょく顔を出してくれるんだよ。それがうれしいんだよね」

野球少年だった山路さんは高校でも野球を続けたかったが、進んだ高校に野球部がなく、「大学こそは野球をするぞ」という思いも胸に大学受験に臨んだ。しかし志望校に届かず、一浪を決意。受験勉強に励んだものの成績が伸び悩み、大学進学を諦めた。では何をやるか。「ラーメン屋さんは競争が厳しいし、寿司は修行しないといけないからなぁ。天ぷらも技術がいる。トンカツだったらいけるかな。そんなにお店もないし、そんなに難しくもないのかも。本屋さんに行ったらとんかつ店の経営法というのがあって、ちょうどいいやと思ったんですよ」。経理や簿記を勉強し、精肉店を営んでいた叔父の店で3年の修行を経て、調理師免許を取得した。

学生が多い街であることも、桜上水に出店場所を決めた大きな理由だった

出店場所を求め、小田急や西武、京王などを沿線づたいに1駅降りては場所を探し、また電車に乗っては次の駅で降りることを繰り返した。そして桜上水駅から徒歩3分の場所にちょうどいい店を見つけた。当時の山路さんは25歳。叔父も反対したがその声を振り切り、1976(昭和51)年に「とんかつ山路」を開業した。

学生によってL定食の内容が違う理由

山路さんの狙い通り、ほどなくして日大自転車部の指導者が学生を連れて来店し、日大相撲部のスカウトも店に通うようになった。学生らしき客も次第に増えてきたものの、「今のようにインターネットが普及していなかった時期だから顔と名前が一致しなかったし、そんなに深い付き合いにはならなかった」と山路さん。前述の通り、20~30年前に日大アメフト部の学生たちをきっかけにして学生との交流が生まれ、学生が持ってきた部員名簿を見ながら、一人ひとりの顔を覚えていった。

顔なじみになってくると、学生たちは山路さんに本音をぽろり。「彼らは倒れるくらい練習しててバイトもできない。お小遣いも多いわけではないし。頑張ってほしいなと思うじゃないですか。だから彼らがチキンカツを食べていて、『足りないからもう1枚ちょうだい』とか『エビフライが欲しい』とか言うと、しょうがねえな~と思いながらあげちゃうわけ」

それで誕生したのが学生限定の「L定食」(税込み500円)。ラージサイズのLだ。ただこのL定食は人によっても日によっても内容が違う。ある選手はカツ2枚の上に半身のカツが載っていたり、エビフライが加えられていたり、ゆで豚だったり、ゆで鶏だったり。白米はもちろん山盛り。なかにはこれを3杯食べる選手もおり、この白米がカツ丼に、カレーライスになる選手もいる。「トップを狙える子には何をやっても惜しくない。えこひいきの差はあるよ。でも『いつか自分もあれを食べたい!』とやる気になってくれたらいいじゃないですか」

特別に用意していただいた「L定食」。これはあくまでも一例だ

どんなにサービスしても一律500円。「俺はお前の父ちゃんじゃないぞ!って思うこともあるけど、腹をすかせた子に食べさせるならいっかとか。俺ができるのはそのくらいですから。でも楽しいですよ」と山路さんはにっこり笑う。量や品が増えるのであれば値段を上げても良さそうだが、「誰がいくらだったか分かんなくなっちゃうからね」と据え置きにした。もちろん、それだけが理由ではないだろう。

L定食は学生限定メニューだが、今回、特別に用意していただいた。大きなカツ2枚にカレーがたらり、ごま酢だれのゆで豚が1枚、シャキシャキのキャベツの千切り……と思ったら、カツの下にはマカロニサラダもあった。もちろん白米は山盛り。漬けものにおみそ汁もセットになっている。サクサクのカツに甘めのカレーがよく合い、白米がすすむすすむ。おなかははち切れんばかりだ。これがたったの500円ということに申し訳ない気持ちにもなったが、「よく食べたね~」と笑顔でほめてくれるのが山路さんという人なのだ。

この山盛り白米を3杯食べる学生もいるという
ワカメがたくさん入ったみそ汁と漬けものは箸休めにぴったり

大学を卒業してからも通ってくれる人は多く、なかにはサッと1万円札を置いて帰る人もいる。学生時代にお世話になったお礼を込めてのことだろう。山路さんはその気持ちを受け止めながら、「お! これで20人分だな」と現役の学生たちにOBからの差し入れだと伝えた上で、20人分のL定食を無料で提供している。

店に入ると目の前に室伏広治さん

昨年8月には、日大生時代から店に通う畑瀬聡さん(現・日大陸上部投てきコーチ)からの依頼で、毎週月曜日に日大陸上部の寮に食事を用意することになった。新型コロナウイルスの影響で元々依頼していた弁当店が閉店したことがきっかけだった。ならばと山路さんは100人分のカツ、ゆで豚、白米などを用意し、さらには納豆やキムチなどもつけて学生たちに持たせた。「むこうがビックリしてましたよ。ただね、材料費だけで金額になっちゃうのよ。でもいつも来ている子たちの分だからさ、しっかり食べてもらいたいじゃない」

当初は1回限りだと思っていたが、「来週も頼みますね」と畑瀬さんに言われたら、もう頑張るしかない。定休日なしで営業してきたが、この時期だけは月曜日を定休日にし、学生たちのためにたくさんのカツを揚げてきた。多い時には130人分。寮の食事の提供は今年2月まで続いた。

室伏広治さんが来た時は、いつもこの右下の席に座っていたという

店を訪れた選手の名前を挙げればきりがないが、その中でも特に記憶に残っている1人が、2004年アテネオリンピックハンマー投げの金メダリストで現在はスポーツ庁長官の室伏広治さんだ。室伏さん自身は中京大学出身だが、日大で父・室伏重信さんが指導をしていることもあり、現役時代には室伏さんも日大で練習をしていた。それを聞きつけた山路さんは室伏さんを店に呼んだ。「その時は現役を引退する少し前だったかな。レジェンドだし、怪物のようなイメージがあったんだけど思っていたよりも体が大きくなくてね。ほら、うちにはアメフトやラグビーの子たちも来るじゃない。とっても気さくでずっと話しかけてくれるし、『室伏くん』と呼んでいたんだけど、みんなが怒って『室伏先生だよ!』と言うんだよね」

誰もが知るスーパースターに、山路さんも人目につかない奥の座敷を勧めたが、「ここでいいです」と室伏さんは入り口からすぐ目につく席に座った。もちろん店に来た人はみんな驚く。そんな様子を室伏さんはほほ笑みながら見守り、自分から声をかけることもあったという。

昨年の東京オリンピック女子やり投げで日本勢で57年ぶりのファイナリストとなった北口榛花(20年日大卒、現・JAL)も、店の常連だ。北口は19年に単身でチェコ合宿に参加し、現在もチェコのデイビッド・セケラックコーチに師事している。そのセケラックコーチがチェコの選手を連れて来日した際、北口とともに店に来てくれた。聞けばセケラックコーチたちもとんかつ山路が気に入ったらしく、1週間ほど通ってくれたそうだ。その時に壁にたくさんのサインがあるのを見て、壁をトントンたたきながら「ハルカのがない」とアピール。だったらとすぐに北口もサインを書き、今もそのサインは壁に貼られている。

ときには店を休んで選手たちの応援へ

開業当初は学生のアルバイトもいたが、ここ40年ほどは山路さんが1人で店を切り盛りしている。定休日はなく、「昔の商売人はみんなそうだったよ」と山路さん。コロナで休業を余儀なくされた時もあったが、働きづめだった体にはいい骨休めにもなった。ただこれまでも店を休んで選手たちの試合を見に行くことはあった。

例えば13年の陸上・日本選手権は店からも近い味の素スタジアム(東京・調布)で開催されたため、山路さんも店を午前中だけにして会場に駆けつけた。するとハンマー投げで室伏さん、砲丸投げで畑瀬さん、やり投げで村上幸史さん(02年日大卒)、800mで川元奨さん(15年日大卒、現・スズキ)など常連客の選手が次々に優勝。「自分の子じゃないのに自分の子みたいにうれしくて、腹を抱えながら帰ったね」とうれしい記憶として刻まれている。

卒業記念に色紙を置いていく学生もいる

昨秋、無観客で開幕したアメフトTOP8の秋季リーグ戦を山路さんも気にかけていた。10月23日の第2節、中央大学vs.日本大学から観客を入れて開催されることが決まった。中央大の須永恭通ヘッドコーチ(HC)と日大の平本恵也HCは同じ日大出身。「これは見に行かなければ!」と山路さんも会場に駆けつけたが、携帯電話を用いたチケットの顔登録につまずき、観戦を諦めてしまったという。その試合は38-13で中央大が勝利。今シーズンこそは日大の勝利をこの目で見たい。

「幸せだよ」

このところ、とんかつ山路の大盛りにメニューに着目した取材が続いたという。ただ山路さんとしてはちょっと思うところがあるようだ。「大盛りって言うけどね、うちにはそれを必要とする学生がいるからなんだよ。それがちゃんと伝わってるといいんだけどねぇ」。その一方で気づきもあった。「テレビで自分を見て、『俺、おじいちゃんじゃん!』とビックリした。客観的に自分を見ることなんてないからさ、学生たちに元気をもらってるから元気なつもりだったけど、おじいちゃんになったんだなって。でもここを始めて47年目、50周年に向けて頑張らないといけないね」

取材の合間に山路さんは何度も「幸せだよ」と口にした。なかにはけんか別れになった人もいる。社会人になっても、競技を引退してからも、元気な姿を見せに来てくれる人もいる。「そういう人たちに囲まれて、最高だな、本当にこんなに恵まれていいのかなって思うんだよね」。料理をおいしそうに食べてくれるみんなの笑顔が何よりもうれしい。

「利益追求の店ではないから、そんなもうけなくていいんだよ」と山路さん

たくさんの人たちに愛されてきた「とんかつ山路」の秘訣(ひけつ)をたずねたら、山路さんは笑顔でこう答えてくれた。「適当に生きているだけですよ」

私の元気メシ

in Additionあわせて読みたい