陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

特集:第91回日本学生陸上競技対校選手権大会

群馬大医学部・村上ひかる選手の「6years.」最後のインカレ経て、心境に変化

群馬大学医学部6年生の村上ひかる選手。今年、4度目の日本インカレ出場を果たしました。(写真はすべて本人提供)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は、群馬大学医学部6年生・村上ひかる選手(宇都宮女子)のお話です。中学では800m、1500mで全中に出場。高校では800mでインターハイに出場しました。群馬大学では医学部で学びながら800mで日本インカレに4度出場を果たしました。陸上と医学に打ち込む村上ひかる選手に取材させていただきました。

ソフトボール部に入るつもりだった

栃木県出身の村上ひかる選手。小学生の時に陸上のクラブチームに入りました。「担任の先生から陸上教室があるのを教えていただきました。当時は鬼ごっこをしたり短距離をやったりしていましたね。5年生になって駅伝をやったり、長距離系の練習にまざり始めたりしていました」。楽しく走っていた小学校時代ですが、中学の部活はソフトボール部に入るつもりだったそうです。しかし、中学入学前に腕を骨折し、ギプスをつけたままの部活動体験。「やっぱり陸上部にしようと考え直しました。あの時もし骨折していなかったら、今とは全く違う人生になっていたかなと思います(笑)」と中学でも陸上部に入部することにしました。

小学校で陸上を始めた村上選手

「中学の顧問の先生は厳しかったのですが、良い先生でどんどん力がついていきました。1年生の頃までは全国大会は雲の上という感じでしたが、練習を続けていくうちにどんどん近づいていきました」。2年生では800mと1500mで全中初出場。3年生では1500mで全中の決勝進出も果たし、11位となりました。

「3年生で全国の決勝に行くというのを目標にして練習してきたので、いけたときは嬉(うれ)しかったですね。本番はすごく暑かったのを覚えています。暑さの中でもハイペースでした。田中希実選手(現・豊田自動織機)、樺沢和佳奈選手(現・資生堂)といった選手たちと決勝の舞台で走りました。今ではすごい自慢になりますね(笑)」

都道府県女子駅伝で、赤羽有紀子さんに襷リレー

また栃木県代表で都道府県女子駅伝、東日本女子駅伝にも出場しました。「駅伝は結構好きで、チームになって襷(たすき)をつなぐのが楽しかったです。その当時のチームに、渋井陽子さん(現・三井住友海上女子陸上競技部コーチ)や赤羽有紀子さん(現・城西大学女子駅伝部コーチ)がいらっしゃいました。ちょうど赤羽さんに襷を渡す区間だったので、すごい良い思い出です。赤羽さんから『力をもらえて嬉しかったよ』と言っていただけて、そのおかげで高校でも陸上をやろうと思いました」

トップ選手と同じチームで走り襷をつなげるというのも、都道府県駅伝や東日本女子駅伝の魅力でもありますよね。ちなみに赤羽さんに襷を渡した都道府県駅伝では区間4位(10分04秒)の好走で、今でも栃木県の歴代記録なんだそうです。「中学時代は陸上一色で、生活の軸が陸上になっていました(笑)」と振り返る村上選手でしたが、当時から隙間時間を見つけて短期集中で勉強もしていました。

憧れの赤羽有紀子さん(右)に襷をつないだ中学時代。

「陸上の練習は2〜3時間なので、それ以外の時間は使えるなと思っていました。特にテスト前にはガッと集中して勉強しました。中学でそういう時間の使い方を自然と身につけられたのは今につながっています。『陸上でこうなりたい』『勉強も手を抜かないでわかるようになりたい』と陸上も勉強も両方に目標があったから頑張れたのかなと。両親はどんなことも否定せずいつでも応援してくれました。また、どんなに遠くの大会でも応援に来てくれたので感謝しています」

宇都宮女子高校でインターハイの800mに出場

宇都宮女子高校でも陸上部に。高校に入って練習の方針もガラッと変わって最初は戸惑ったのですが、顧問の先生とコミュニケーションを取りながら、話し合いをすることで、陸上に対して柔軟に考えられるようになったと思います。国体には1年生で1500m、2年生で800mに出場しますが、インターハイには届きませんでした。

宇都宮女子高校時代。陸上部のチームメイトと。前列右のピンク色のシャツが村上選手

最初は1500mとか駅伝に出たいと思っていましたが、先生からもバネがあるからと800mを勧められました。自宅から学校までも片道1時間半くらいかかって練習時間も限られていたこともあり、全国を目指すなら800mの方が目指しやすいということもあったと思います。高2の北関東総体で全国に届かなかった悔しさを高3でぶつけました」

3年生では念願のインターハイに出場。「やっとこられたという思いと自己ベストを出したいという気持ちでした」。インターハイ本番で2分12秒37の自己ベストもマークしました。

「1番目標にしていたインターハイにも出場できましたし、陸上を考えられるようになった高校時代でした。練習メニューの目的だったり、どうやったら速くなるかを先生と一緒に試行錯誤しながら考えていましたね」と考える習慣がついたという高校3年間となりました。

3年生で念願のインターハイに出場。285番が村上選手

「自分の走りを新しく積み上げよう」

高校卒業後は群馬大学医学部へ。医学の道に進んだきっかけについて「小さい頃からすごくぼんやりですが医者ってかっこいいなと思っていました。父が創薬の研究者、母が薬剤師で、医療に関わる仕事が身近だったこと。また陸上をやっているうちに、人の体の仕組みに興味を持ちました。自分の興味のあることを学べて、人の役にも立つ仕事ができたら最高だなと思い、高校では医学部進学を目標にしていました」。晴れて群馬大学医学部に合格。医学部の陸上部に所属し、学生生活がスタートしました。

ただ、受験のブランクや環境の変化もあり、最初は苦しい時期もあったそうです。「全然走れなくて、勝手に自分にプレッシャーをかけてしまっていました。自己ベストよりも10秒以上遅くて、どうやって走ってたんだっけという感じで苦しかったですね」。高校3年の時に出した記録で、すでに日本インカレの標準記録を突破していたため、日本インカレにも出場したものの「苦い走りとなってしまいました。気持ちよく走れませんでしたね」と振り返ります。

そんな苦しい大学1年目のシーズンでしたが、村上選手は考え方を変えたそうです。「自分の走りを戻すとかいうよりも、大学生で新しく積み上げようという気持ちになりました。意外に気持ちを切り替えたら、楽しく走れるようになりました。気持ちが切り替えられたことで頑張ろうかなと思えました」

3年生の関東インカレで800m準決勝進出。「やっぱり勝ち上がりたいという気持ちでしたし、準決勝やその先も見たいと思ってのぞんだ大会でした。準決勝に初めていけて嬉しかったのとホッとした気持ちでした。1年生の頃を考えるとそこを目指せるようになったのは良かったなと思います」と気持ちを切り替えることで、打開していきました。

3年生の関東インカレでは800mで準決勝に進みました

コロナ禍を乗り越え、再び日本インカレへ

3年生の9月に日本インカレの標準記録を突破して、4年生で再び日本インカレに挑めることになりましたが、村上選手が4年生の年からコロナ禍に。緊急事態宣言により部活ができなかったり、大学から制限もあって大会に出られなかったり、練習以外の部分で整理ができないことがありました。

「大学3年の時からコーチをしてくださる方がいて、自分の練習メニューを相談していました。(コロナ禍でも)何を目標にするか話し合いながらやってこられました。コーチがいたので目指すものがブレずに練習を続けてこられましたね」。東京大学陸上運動部中距離コーチも務めている渡邉拓也コーチに相談をしながら、挑戦する気持ちを持ち続けて乗り越えてきました。

1年生のとき以来、3年ぶりの日本インカレ出場。「万全な状態で臨めたかというと、そうじゃないと思います。群馬大学では4年生が幹部を務めるのですが、コロナ禍で制限された中でどういう風に活動するか話し合っている時期でした。4年生の日本インカレは調整しきれず、もっと自分の中では大切な大会として研ぎ澄ませて出たかったですね。ただ、いろいろ気を使う中、苦しい時期だったのですが、成長はできたのかなと思います。もっとこうすればよかったというのはあるのですが、この経験を無駄にはしたくないなと思います」

群馬大学のチームメイトと4×400mリレーにも出場。左から2番目が村上選手。

また、医学部ということで、4年生の冬から6年生の夏頃まで実習に。「実習も時間が決まっているので、1週間の予定を見た時に、その中で自分がどこで練習するか、ここなら練習できると埋めていく感じで練習していました」と競技の面でも学業の面でも現状打破し続けてきました。

今回が学生最後の日本インカレに

6年生で迎えた学生最後の日本インカレ。レース前に「自分の力を出し切りたいです。6年ぶりの自己ベストを狙いたいです」とお話されていた村上選手。2分13秒47で、予選4組で4着と惜しくも準決勝進出と自己ベスト(2分12秒37)更新はならなかったものの(各組3着+3が準決勝進出)「積極的に前について自分らしいレースができました。4度目の日本インカレで、今回は自信を持ってスタートラインに立てたことが一番嬉しかったです。だからこそ目標に届かなかった悔しさも大きいですが、それ以上に充実感もある試合でした」村上選手の4years.ならぬ、6years.でラストの日本インカレとなりました。

実は学生で陸上をやりきりたいと思っていた村上選手でしたが「その先、陸上を続けるかどうか迷っています。少し前までは、もう学生で終わりにしようと思っていたのですが、卒業してからも続けている先生、先輩たちがたくさんいて、ものすごく刺激を受けています。社会人になってからも走り続けることで、もしかしたら今とはまた違った陸上の面白さも感じられるのかなと思っています」と気持ちの面でも変化がありました。

今年の日本インカレに出場した村上選手。左は渡邉拓也コーチ

「走るお医者さん」として再びスパイクを履き、トラックを疾走される村上ひかる選手を楽しみに、今後の挑戦にも注目ですね!

M高史の陸上まるかじり

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