陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

伊勢路を駆けた京都大学生・足立舜選手 大学院で地震を研究しながら、競技と両立!

京都大学大学院1年の足立舜選手

今週の「M高史の陸上まるかじり」は足立舜選手のお話です。京都大学4年生だった昨年、全日本大学駅伝に日本学連選抜チームで出場し、7区を走りました。今年から京都大学大学院に進み、地震の研究をしながら、競技も継続しています。

中学で県大会入賞、高2では近畿ユース4位

滋賀県出身の足立選手。「球技がからっきしダメでした(笑)。球技ではない運動部に入ろうと思い、陸上部に入りました。兄も陸上部でしたね」。中学時代のベストは1500m4分23秒。県大会で入賞することも。「和気あいあいとして堅苦しくない部活でした。『みんなで頑張って県大会出ようね!』というような一緒に頑張ろうという雰囲気のチームでした」と楽しく部活動に取り組んだ中学時代でした。

中学時代の足立選手。和気あいあいとした雰囲気で楽しく陸上に取り組みました

膳所(ぜぜ)高校でも陸上部に。「1学年20人くらいで、近畿大会に出場している先輩もいて、中学よりも一つレベルアップした感じでした。もっと上を目指していこうという雰囲気でしたね」。1年の夏から顧問の先生の勧めもあり3000m障害(SC)に取り組み、近畿ユースにも出場しました。

2年生の近畿ユースでは3000mSCで4位に。「自分でも信じられなかったですが、いい経験になりました。障害を跳ぶのはうまくないのですが、走力を上げてカバーしています(笑)」

高校時代、一番印象に残っているのは3年生の近畿高校総体。予選を通過したものの決勝では歯が立たなかったそうです。「全然走れなくて、今でも振り返るのが嫌なくらいです(笑)。一つ先輩の辻川諒さんが前年に1500mでインターハイに出ていたので、まずは決勝のスタートに立てたのはうれしかったですね。ただ、全く走れませんでした」と、インターハイには届かなったものの、果敢に挑んだ近畿高校総体の決勝でした。

膳所高校時代の足立選手(写真前列左端)

京都大学から学連選抜入り 伊勢路を駆ける

1年間の浪人を経て、京都大学へ。高校でお世話になった先輩が京都大学で陸上をやっていたことも、京都大学を目指すきっかけの一つとなりました。「ただ、浪人中はほとんど走らずに勉強ばかりで、気分転換に2週間に1回3kmだけ走るくらいでした(笑)」。京都大学入学後は陸上部に。受験、浪人でブランクもありましたが、京都大学入学後、半年で自己記録近くまで戻すことは出来ました。

「京都大学の陸上部は、大学から始めた選手から全国大会経験者まで、さまざまな競技レベルの選手が在籍しています。基本的には4回生が中心になって練習メニューを組み、ミーティングを開いて確認・決定していきます。高校まではメニューを顧問の先生が提示してくださり、それをやっていく形でしたが、大学では、自分がどうしていったら強くなるか、考えざるを得ないです。逆に自分で考えないといけない分、自分がどうすればいいのか、何をすればいいのか、ちゃんと調べなければいけないので、自分に何が必要か取捨選択するようになりました」

学生主体で取り組んできた大学4年間で、5000m14分14秒、10000m29分59秒、3000mSC9分08秒まで記録ものばし、4年生の関西インカレでは5000m3位、10000m3位と2種目で表彰台に。「3000mSCにも出場したのですが4位で、あと一歩で表彰台でした(笑)。まだ一歩足りないと感じました。自分が全体の主将もやっていたので、結果でちゃんと引っ張っていこうと思っていました」。主将として3種目で表彰台に挑んだ姿勢は、きっと部員の皆さんにも伝わっていますね!

昨年の関西インカレでは2種目で表彰台に。ゼッケン16番が足立選手

足立選手が主将として心がけていたこととは?「自分が主将をしていた1年間というのは、緊急事態宣言(2020年)が出て半年くらいからの1年間でした。制限がある中、約150名の部員の気持ちが切れないように、うまく結果を残すように、どうすればいいか苦労した部分がありました。人数も多くて難しいなと思いましたが、なんとかしないと、という気持ちでした」

全日本大学駅伝では日本学連選抜チームに選出され、7区を走りました。「本当に貴重な経験をさせてもらいました。初めての全国大会で、関西とはまた雰囲気が違いましたね。長い距離への耐性があるということで(7区という)重要な区間を任されました。ただ、前も後ろも2分くらい離れていたので、ずっと寂しいなと思って走っていました(笑)。学連選抜のユニホームで走りながら、もし自校のユニホームを着てチームで走れたらすごいだろうなと考えて走っていました」。各大学のエースも集まった7区で終始単独走の中、区間15位で初の伊勢路を駆け抜けました。

昨年の全日本大学駅伝では日本学連選抜チームで7区を走りました

また、走りだけでなく、「他大学、他の地区の選手とも交流ができ、そこで今までなかったつながりができたり、他の大学の選手を観察する機会になりました。選んでもらえて、経験できたことは本当によかったですね」

京大大学院でさらなる挑戦

この春からは京都大学大学院へ。研究とともに競技も続けています。「地震の研究室に所属していて、地震計で観測されたデータを利用して、地下の構造を調べる研究をしています。小学生の頃、東日本大震災があって、自分が直接被災したとかではないのですが、地震について興味を持ちました」。大学院に進んでからは研究、競技に加えて就職活動もあり、「時間のやりくりなどうまくやっていかないと、と大学院生になって感じています」と、難しさを感じながらも現状打破しています!

今後の目標は二つあるといいます。一つ目は「数字として5000m13分台、10000m28分台、3000mSC8分台というキリのいい数字を出したいですね。時間が経ったとしてもちゃんと数字として残るもの、誇れるものを出したいです」

二つ目は「バックグラウンドに左右されずに評価される選手になりたいですね。『京大生だから』『大学院生なのにすごいね』ではなくて、競技の成績で、『足立っているやん。実は京大生なんだって』と、名前から逆に入ってもらえるような形で評価してもらえるような結果を残していけたらと考えています。所属先ではなく1人の選手として強いなと思ってもらえるように、そして、あわよくば『自分も京大行ってみたいな』と思っていただけたらうれしいですね」

京大長距離の皆さんと。後列右端が足立選手

未来の後輩に向けてのエールとなるべく、まずは自身の結果を残すため、足立舜選手は今日も走り続けます。

M高史の陸上まるかじり

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