ラグビー

連載:令和のアオハルリアル~東京都立大学ラグビー部物語2024~

首領と書いてドンと読む 主将はつらいよ、伸び悩み編 東京都立大学ラグビー部物語5

試合前の円陣で仲間に語りかける中原亮太(すべて撮影・中川文如)

首領と書いて、ドンと読む。

東京都立大学ラグビー部のキャプテン中原亮太(4年、湘南)は「ドン」と呼ばれている。後輩からは「ドンさん」と、さんづけで。

高校に進んでラグビー部に入ったばかりの頃、1年生なのに、出会ったばかりの2年生の先輩に、3年生と間違われた。

それで、首領。すなわち、ドンになった。

いま、ドンは悩んでいる。

リアルに日本一めざして

幼稚園に通っていた5歳の頃、ラグビーを始めた。3歳上の兄の友達に兄が誘われて、中原も一緒に田園ラグビースクール(RS)に連れて行かれた。横浜の有名なスクールだ。

日曜日になると、兄弟そろって父の車で練習場に通うのが中原家のルーティンに。ただ、中原自身、決してラグビーが好きじゃなかった。小柄な体で、コンタクトが苦手だったから。

最初のターニングポイントは、小学6年生の最後の大会だった。神奈川県近郊のチームが集うその大会で、田園RSは優勝した。中原に、試合に出るチャンスは巡ってこなかった。

喜ぶ仲間を尻目に、疎外感を味わった。反骨心が芽生えた。

中学生になると、平日は学校でハンドボール部、週末はラグビーの生活に。体が大きくなって、ぶつかり合いで勝てるようになってきた。とにかくハンドボール部で走らされたから、ラグビーでも動き回れるようになった。スクラム最前列の中央を担うフッカーで、レギュラーを奪い取った。

高校までフッカー一筋だった中原亮太(右奥)。いまはスクラム最後尾のナンバー8を担うことが多い

中学3年生の、最後の夏。この世代の最高峰「太陽生命カップ」の全国大会に勝ち進んだ。みんな、本気で、日本一を狙っていた。

現実は厳しかった。九州の強豪、筑紫丘RSに蹴散らされた。筑紫丘には、後に早稲田大学でキャプテンを任される伊藤大祐がいた。「彼だけじゃなくて、筑紫丘は、みんな、デカくて強かった。レベルの違いを痛感させられました」

公立高への進学を決めていた中原。リアルに日本一をめざす戦いは、太陽生命カップが最初で最後と覚悟して臨んでいた。もちろん、負けて終わる結末は想像していなかった。

また、反骨心が芽生えた。

同期が一時2人に……

神奈川の県立高で最もラグビーが盛んな湘南に、進路を定めた。

幼稚園時代からの経験者という存在は、湘南で貴重だった。だからなのか、中原はドンになった。3年生でキャプテンを任されるのは、自然な流れだった。私立の牙城(がじょう)を崩して、神奈川のベスト8に割って入る。そう、目標を立てて、「花園」の切符をかけた秋の全国大会県予選に挑んだ。

目標の一歩手前の3回戦で、法政二に26-36で敗れた。「点差以上に、完敗でした」

小学校でも、中学でも、高校でも。3度、悔しいエンディングを繰り返した。でも、最初は好きになれなかったラグビー、いつのまにか、大好きになっていた。大好きなラグビーで、一度だけでもいいから、悔いなきハッピーエンドを迎えてみたい。

幼い頃はコンタクトが苦手だった中原亮太。いま、彼の突破力がチームの浮沈を左右する

みたび、反骨心が芽生えた。大学でも続けようと決めた。

一浪して都立大へ。コロナ禍に見舞われた。同期の選手はドンも含めて4人だけ。途中で辞める者もいて、一時は2人まで減った。「4年生になる頃には、部がなくなっちゃうかも」。不安が募った。そんな気持ちを察するように優しくしてくれる先輩たちの存在が、支えだった。

そうやって迎えた、4年生のシーズン。キャプテンを任されるのは、やっぱり自然な流れだった。「オレが、やるよ」。3年生の秋が深まる季節だったか。同期の仲間へ、自ら伝えた。

引っ張りたい、引っ張れない

有形無形のプレッシャーがのしかかる、最高学年のラストシーズンでもある。キャプテンになったドンは、悩み始めた。

人数確保のため、初心者にも広く門戸を開いたチーム。楕円(だえん)球に触れたばかりの後輩たちへ、彼らの年齢とあまり変わらないラグビーキャリアを誇るドンは、惜しげもなく技術と知識を伝えてきた。楕円球に触れたばかりの後輩たちは、スポンジが水を吸収するように、みるみる成長を遂げている。

じゃあ、ドン自身はどうか。ラグビーに必要な一通りのことは、一通り、経験済み、練習済みだ。そこからのさらなるブレークスルー、普通の努力じゃ、果たせない。「伸び悩み、自覚しています。ウェートトレーニングの数値も、なかなか上がらなくて……」。かけ声だけじゃ、説得力は生まれない。キャプテンとして、背中と態度と結果で示していかなきゃならないのに、思うように示せていない現実が歯がゆい。

しかも、下級生の頃から継続的に試合に出続けてきた4年生選手、ドンだけだ。すべてを一人では、まかないきれない。いろんな役割を、後輩たちに割り振っているのが現状だ。ラインアウトのサインの確認、スクラムの仕切り。「みんな、責任感が強くて、本当に助けられています」。頼もしさを感じつつ、このままじゃダメだということも、わかっている。

春シーズンに急成長したプロップ今井雄太郎(左端、4年、横須賀)とウィング(WTB) 伴場大晟(右端、4年、磐城)。中原亮太(中央)をサポートしながら、自らもチームを引っ張る役割が求められる

リーダーシップとフォロワーシップ。チームを導くプロコーチ藤森啓介(39)は、その二つの組織マネジメント論を、部員たちに落とし込んできた。組織の中心を担う者が、先頭に立って、ぐいぐい仲間を引っ張るのが、文字通りのリーダーシップ。それよりもむしろ、一歩引いたスタンスで、仲間の声に耳を傾けて、仲間の強みを引き出して、それを組み合わせることで組織を回していくのがフォロワーシップ。令和という時代にあって、大切なのは、その二つを局面に応じて使い分けることなのだと。その二つがバランスされてこそ、組織は機能するのだと。

そして、いまの自分に欠けているのはリーダーシップなのだと、ドンは感じている。

「歴代のキャプテンの先輩たちのような力量が、まだ、僕にはない。全然、みんなを引っ張りきれていない」

今季のチームスローガンは「AHEAD(アヘッド)」。決して一足飛びに成長できなくても、一歩ずつ、進んでいこう。苦しい時も、前を向こう。そんな過程を紡ぎ続ける決意を、「前へ」の単語に込めた。「どんな時も、忘れずに『過程』を意識していたい。過程を意識し続けることで、成長できる。努力の過程を積み重ねることで、成長できる。その先に、望む結果が待っている。そんな決意を込めました」

選手個々に担当マネージャーがついてフィジカルアップを図る「TMUSCLE(ティーマッスル)」プロジェクトが本格稼働してから、全体練習前にマネージャーと組んで自主練に打ち込む選手が格段に増えてきた。

ドンのウェートトレーニングも、停滞期を脱しつつある。徐々に徐々に、再び、数値が伸び始めている。

先輩も後輩も、選手もマネージャーも、それぞれの立場は関係ない。一人ひとりがリーダーシップとフォロワーシップを兼ね備えた、令和の組織へ。

いまは、その過程にある。

山田晃大(右端、茗渓学園)、笠井ひより(中央、帯広柏葉)ら2年生がチームを盛り上げてくれている。その思いに4年生は応えられるか

次回は8月2日公開予定。春のシーズンを締めくくる定期戦をリポートします。

令和のアオハルリアル~東京都立大学ラグビー部物語2024~

in Additionあわせて読みたい