自責の文化こそ主体性の源 「幸せ配達人」が語る(上)東京都立大学ラグビー部物語7
東京都立大学ラグビー部を導くプロコーチの藤森啓介(39)は、「幸せ配達人」だ。
選手時代のポジションは、扇の要と呼ばれるスクラムハーフ(SH)。長崎で過ごした中学時代、年代別の九州代表に選ばれた。日本ラグビー界屈指の名将、故・大西鉄之祐の哲学を受け継ぐ早稲田大学高等学院で学び、早大に進むと清宮克幸、中竹竜二の下で理論を吸収した。2人とも、独自の指導論で異彩を放った監督だ。
その3人の師に導かれるように、藤森もコーチの道を歩んだ。トップレベルでの実績こそ浅いが、限られた戦力を最大化させる的確な分析力と戦術眼には定評がある。
ただ、そうしたラグビーそのものの力量や結果よりも彼が大切にするのは、勝敗を超えたスポーツの価値、勝敗を超えた部活の価値。
関わる人のすべてが、「幸せ」を感じることのできる、スポーツと部活の価値。
その価値を伝えるため、呼ばれるがまま、スポットコーチとして各地を行脚する。一般社団法人「スポーツコーチングJapan」に所属し、スポーツとビジネスの理論を関連づけた組織マネジメントの研究も深める。
そんな彼が語る自らのコーチング・マインドセットを、2回に分けてお届けします。今回の前編のテーマはこちら。
主体性とは?
いまどきの部活って?
自主性と主体性の違い
勝負はスポーツの醍醐(だいご)味です。勝負から逃げず、でも最終的には、主体性を持った若者を社会に送り出したい。学生スポーツに携わる身として、その思いが常に頭の中にあります。すべての指導の前提です。
主体性と自主性という言葉、使い分けています。すでに目的、目標、ゴールが決まっていて、そこへのアプローチを自分で考えていくのが自主性。自ら目的を決めるところから始めるのが、主体性。自分で決めた目的なら、その目的に対する責任感も自然と強くなる。主体性を持った人は、責任感の強い人でもあるのだと思います。
ただ、ラグビー経験の浅い人に、いきなり「全部、自分で決めていいんだよ」と言っても、迷うだけでしょう。剣道や茶道などの世界で修行の段階を示す「守破離(しゅはり)」の感覚を、僕は大切にしています。師や流派の教えを忠実に守り、確実に身につけるのが「守」。ほかの教えも学び、より良いものを採り入れて、既存の型を超えていこうとするのが「破」。そして独自の新しいものを確立するのが「離」。
都立大の場合、大学で初めて楕円(だえん)球に触れる選手も多い。まずは様々な技術や知識、練習法を教えます。そうやって様々な選択肢を示して、ある程度、「守」の段階をクリアできたと感じたら、「自分で考えてプレーしてみよう」と促す。それが間違った方向に行けば、修正を施す。その繰り返しです。
選手自身が判断、決断する機会は、意図的に増やすようにしています。判断、決断の機会を選手から奪わないことが、自主性、責任を伴う主体性につながっていくという考えからです。
週3回という選択
大人の働き方改革ではないですが、部活の在り方も、変わる時期に来ているのかもと思います。これまでの部活には、「ゼロか100か」みたいなイメージがあった気がします。活動は週6、7回が当たり前。とにかく、きつい。きついけど頑張るか、きついから辞めるか、その二択。そんなイメージです。
もちろん、そうした在り方を否定するつもりはありません。僕自身、そういう環境で育てられて、その環境に、とても感謝しています。ただ、令和という時代、部活という枠の中に限っても、もっと多くの選択肢があっていい、なければならないのかもしれません。
放課後の過ごし方が、ほぼ部活一択だった時代は終わりました。インターネットやSNSが生活に浸透して、部活に関わらなくても、様々な手段で他者とつながれる。将来に向けた準備や趣味の枠組みを、自分でつくることができる。そういう時代にあって、部活が存在感を発揮していくためには、その在り方も、もっと多様であっていいのではないかと。
都立大の練習は週3回です。部員たちが決めました。勉強もアルバイトもして、友達と遊ぶ時間も確保したうえで、週3回の練習にベストを尽くそうとする。その3回の中に、みんなが集まって一緒になって一つの目標をめざす時間があり、そこに価値を感じる。そういう1週間のサイクルです。
もちろん、難しい面はあります。今年のチームの目標は、関東リーグ戦3部で5位以上(昨年は8チーム中7位)。これも部員たちが決めました。この目標を達成しようとした時、週3回の練習は、明らかに少ない。目標と現実の間に、ギャップがあるのです。
そういう状況、社会に出ても必ず直面します。部活は、そのギャップ埋めるための学びを得る場にもなる。
コーチとしては、そのギャップを部員たちに認識してもらうのがスタートです。チームの実力と目標との距離、秋のリーグ戦までに残された時間。様々な要素を分析して、「5位以上」というゴールから逆算して、現在地を示す。
「他責」ではなく
選手も人間です。さぼりたくなる時もある。そんな時は、「このままで、いいと思う?」と問いかける。大切なのは、「5位以上」というゴールを設定したのが、ほかの誰でもない、部員たち自身だということ。自分たちで設定したゴールに対して適切なアプローチを取れていないのだとしたら、それは自分たちの責任、つまり「自責」になる。
他者が設定したゴールなら、「他責」にして逃げることもできるけど、そうではない。そうやって常にベクトルを自分自身に向ける「自責の文化」が、主体性を育む大切な土壌になるのだと考えています。
現代の若者にギャップを認識してもらうため、数字は有効です。タックルの甘い選手がいれば、試合でのタックル数、タックル成功数を、ほかの選手と比較しながら具体的に示す。で、「このままの練習で、いいと思う?」と問いかける。ギャップの「認識」から、それを埋めるための「行動」へと導いていくプロセスです。
それでも、行動に移せない選手もいます。僕の場合、そういう選手に対しては、ほかの選手も巻き込んで「じゃあ、一緒に自主練しようよ」と呼びかけることが多いです。
こうしたプロセスをすっ飛ばして、「やれ」と言ってやらせた方が、コーチとして一時的には楽です。でも、それは一過性の対症療法に過ぎない。それでは自主性、主体性は芽生えない。
様々な問いかけを続けながら、選手自身の気づきを待つ。そうやって我慢するのも、一つのコーチングなのだと思います。
守破離、問いかけ、我慢。コーチとして多くの引き出しを準備しておくことを、心がけています。
インタビューの後編は8月30日公開予定。「プロデュース力」と「コーチャブル」をキーワードに、藤森啓介コーチが語ります。