「こんなんで泣くのはオッサンやで」。そう言った上原さんが泣いてた 澤井芳信・特別編
日本人初の日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成した上原浩治投手が5月20日、現役引退を発表しました。上原さんをはじめとしたアスリートのマネジメントを手がける株式会社スポーツバックスの代表取締役社長・澤井芳信さん(38)に、「4years.のつづき」特別編として、上原さんについて語ってもらいました。
引退会見の前日から涙が……
引退会見の3日前、上原さんから「20日の夕方、あいてるか?」と聞かれました。「引退会見、することになったから」と。今シーズンを最後にするということは、前から聞いてはいたのですが、ついにこの日が来てしまったのかと、ショックを受けずにはいられませんでした。
去年のケガの影響で、納得のいくピッチングができなくなってきたという話は聞いてました。球速が足りないと言われ、球速を出すためにいろいろ取り組まれていましたが、この年齢で球速を上げるのはとても難しいですよね。
記者会見の前日。上原さんの最後の練習を見ながら、僕は早くも泣きそうになりました。当日は朝から、下を向かないようにしてました。下を向くと、涙がこぼれ落ちてしまうから。
「こんなんで泣くのはオッサンやで」って上原さんに笑われましたけど、自分だって、記者会見が始まってすぐ泣いてましたね(笑)。それを見て、僕もまた泣いちゃいました(笑)。
第一印象は「大きい人やなぁ」
上原さん、21年間の現役生活、本当にお疲れさまでした。上原さんと一緒に仕事をさせてもらって、いろんな経験、勉強をさせてもらえました。
上原さんと初めて会ったのは、僕がスポーツマネジメントの会社へ転職した年でした。僕はそのころ、宮崎でスタンプラリーの仕事を進めるため、1カ月ぐらい現地に滞在していました。そのとき、会社の先輩が上原さんと友人ということで、上原さんを含めた数人で食事をする機会があったんです。上原さんは巨人のキャンプで宮崎に来られてたんです。
「大きい人やなぁ」というのが第一印象でした。緊張して自分から話しかけることはできなかったんですけど、上原さんの東京のご自宅と、僕が一人暮らしをしていた部屋が近所だというのが分かって、お勧めの飲食店をいろいろ教えてくれたのを覚えてます。
「継続する力」が一番のすごさ
上原さんは、僕が出会ったアスリートの中で最も“プロ”を感じる人です。シーズンオフにテレビ出演や取材といった仕事が入っても、絶対に1日も練習を休まないんです。11月から1月までの間は、土日以外は毎日、都内のグラウンドで朝8時半からトレーニングしてました。11年間、トレーニングにお付き合いしてきましたが、上原さんが8時20分までに来なかった日は1度もありませんでした。毎日同じ時間からトレーニングを始めて、体のケアまでしっかりやるんです。
1度だけ胃腸炎になって「やっぱり今日はアカン」って練習を中止したことがありました。そのときでも8時15分に練習場所までは来てましたから。
2009年、オリオールズに移籍した最初の年に右ひじの靱帯を部分断裂したときも、きっと「引退」の2文字が頭に浮かんだと思うんです。それでも上原さんは後悔のないように、前を見て、やれることを愚直にやり続けていました。いい結果を出すために、自分が決めたことに取り組み続ける、継続する力を持ってるのが、上原さんの一番すごいところだと思います。
巨人では主に先発ピッチャーでしたが、メジャーでは中継ぎや抑えを任されました。どのポジションになっても、上原さんはチームが勝つことを最優先して、求められた結果を出し続けてきました。
次の人生でも輝いてもらいたい
2013年の秋、スポーツバックスを立ち上げて1年目のころです。上原さんの所属するレッドソックスがワールドシリーズで優勝して、上原さんが胴上げ投手になりました。
試合後、選手と関係者が盛り上がっているところへ「お前も入ってこい!!」って入れてもらって、バックホルツ投手と一緒に写真を撮ってもらいました。カメラのシャッターを押してくれたのは上原さん。もちろんすごくうれしかったんですけど……。本当は、上原さんとツーショットで撮りたかった(笑)。
引退されて、ご家族とゆっくりしてもらうのが最優先ですけど、ひと段落したら上原さんの次の人生を、また一緒に考えていきたいですね。上原さんには、これからもまだまだ輝いてほしいですからね!!