バスケ

連載:4years.のつづき

愛するバスケのため、一切妥協しなかったからいまがある 佐々木クリス・4完

バスケの解説者になるため、佐々木さんは30歳になってからbjリーグに挑戦した (写真は本人提供)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ9人目は、バスケットボールBリーグの公認アナリストで、解説者の佐々木クリスさん(38)。最終回は大学卒業後から現在までの道のりと、佐々木さんの大きな野望についてです。

どんなに苦しくても悔しくて泣いても、バスケが好きだった 佐々木クリス・3

バスケとヒップホップの融合

試合に出られようと出られまいと、青山学院大時代の佐々木さんはとにかくバスケが好きで好きでたまらなかった。あるときからひとつの疑問を持つようになる。「こんなにおもしろくて、素晴らしい選手たちがたくさんいるのに、なぜ日本でバスケはメジャーにならないんだろう」

佐々木さんは日本人として初めてNBAのコートに立った田臥勇太(現・宇都宮ブレックス)と同い年。田臥が秋田県立能代工業高校にいたころ、国内にはちょっとした「バスケブーム」が到来していたが、彼がアメリカの大学に進むと、その熱はあっという間に収束した。佐々木さんはそんな状況を変えるため、「バスケの魅力を伝えていく仕事」を卒業後の進路に見すえた。

バスケとともに佐々木さんの軸となっていたのが音楽だ。マイケル・ジャクソンやヒップホップをこよなく愛し、高校時代は部室にラジカセを持ち込んで仲間たちに聞かせていた経験から、音楽というフィールドでバスケを伝えられないかと考えた。「バスケ単体だと広がりにくいなら、そこに音楽を絡めたらどうだろう。音楽でバスケに興味を持ってくれる人を増やせたら、より可能性が広がるんじゃないかという話をよくしてましたね」と佐々木さん。

行きつけのバスケショップで、ある有名ヒップホップアーティストにそんなことを熱く語ったら、彼が主催するクラブイベントに招かれた。バスケに打ち込みながらデモCDを作り、イベントに訪れる人々に配るという活動を続けていると、4年生最後のインカレが終わったころ、バスケアニメの主題歌をやってみないかという声がかかった。佐々木さんは「やらせてください」と即答し、「CHRIS」の名でアーティストデビューを果たした。

ヒップホップをこよなく愛する佐々木さんは、アーティストとしても活躍(写真は有限会社ボイスワークス提供)

一方で、日本初のプロストリートバスケクルー「FAR EAST BALLERS」にも参加し、全国各地をツアーで回った。さらにはファッション誌でモデルとしても活躍。ストリートバスケ選手、アーティスト、モデルという「三足のわらじ」を履く生活が始まった。

バスケ解説者になるため、bjリーグに挑戦

28歳のころには、音楽専門チャンネル「MTV」のVJ(ビジュアルジョッキー=司会進行役)のオーディションを受け、合格。活躍の場をテレビに広げた。そこで「音楽のようにバスケを語れる番組に出たい」という思いが芽生え、アナウンサーや解説者を抱える芸能事務所に入った。しかしバスケ解説者になるために乗り越えなければならない壁は、考えていたよりも高かった。事務所からは、こう言われた。「リポーターはともかくとして、解説者やコメンテーターを務めるには元コーチや元選手としての肩書きがないと難しいと思います」

今後のキャリアのため、何よりプレータイムをほとんど獲得できず不完全燃焼に終わった大学時代にケリをつけるため、佐々木さんは30歳というタイミングで、Bリーグ以前に存在したプロリーグ「bjリーグ」への挑戦を決めた。プロアスリートと芸能活動の両立という前例のない挑戦に、事務所からは困惑の声も聞こえてきたが、佐々木さんはこれを説得。2年目に所属した東京サンレーヴスでは1試合平均16分のプレータイムを得つつ、テレビ番組のレポーターなどを務めた。

現在のキャリアに近づくきっかけとなったのは、同じころに始めたNBA中継の同時通訳の仕事だ。専門用語や現地のニュアンスを正確に汲み取れる通訳が少ない中で、高いレベルでバスケに打ち込み、外国人選手やコーチたちと日々英語でコミュニケーションをとっている佐々木さんは大いに重宝された。そして2013年、ついに番組プロデューサーから「解説をオファーする準備が整った」との言葉を受け、バスケ選手としては現役引退を決めた。

「ようやくプレーヤーとして自己表現できるようになったので、少し心残りもありましたけど、これ以上のタイミングもなかったですね」。この決断により、佐々木さんは一気に活躍の場を広げ「元日本代表」や「優勝監督」という華々しい肩書きを持つ人たちと、解説者として肩を並べるようになる。「画面の向こうで多くの子どもたちが見てくれているんだ」という気持ちを礎に、豊富な専門知識を一般視聴者にも分かりやすくかみ砕き、明瞭な発声で伝える佐々木さんの解説は、多くのファンから支持を集めている。

カルチャーの発信地をつくりたい

いまでこそ異業種の仕事を両立する「パラレルキャリア」、キャリアを転々としながらステップアップする「ジョブホッパー」という考え方が市民権を得るようになったが、佐々木さんは実は、その走りとも言える存在だ。大学バスケで学んだハードワーク、チームワークの精神を土台に、アーティストとして言語感覚やセルフプロデュース力を磨き、プロアスリートとしてより高いレベルを肌で実感した。そんな先駆者の立場から、若い世代に伝えたいことがある。

いろんな経験を経てつかんだ解説者のキャリア。佐々木さんはさらに先を見すえる(写真は有限会社ボイスワークス提供)

「現在に至るまでの道は真っすぐではなかったですし、いろんな寄り道もしました。けれど間違いなく言えることは『その瞬間瞬間を精一杯生き抜いた』ということ。全部限界だと思うところまでやってきましたし、ひとつも妥協をしてません。もしいま逆境にぶつかってる人がいるなら、ほかに興味のあることをいくつか並行してやってもいい。それに対して『いろんなことをやると中途半端になるからひとつに集中すべきだ』と言う大人がいたとしても、一切耳を傾ける必要はないと思います。僕自身も、とっちらかって見えてたいろんなものが線となり、自分の血潮となっているのを強く実感してます」

今後の野望はありますか? その問いに佐々木さんは「何を言ったらいいかな……」としばし悩んだのち「体育館がほしいです」と返した。解説者として活躍する現在の佐々木さんとはあまりにかけ離れた夢にいささか驚いていると、笑いながら“解説”してくれた。

「体育館というより、カルチャーの発信地のようなものかな。体育館があってカフェがあって、資料室があって。僕のオフィスもガラス張りで自由に出入りできるようにして、訪れた人たちとバスケに関するディスカッションをするんです。海外挑戦者向けのバスケスクールも作りたいですし、英語のクラスも作りたい。究極の夢ですね」

さまざまな点をつなげて線にし、ミックスし、現在のキャリアを構築してきた佐々木さん。ここから描く絵は、かなり壮大なものとなりそうだ。

●「4years.のつづき」佐々木クリス

#1 高校でバスケを始め、最強チームの青学へ乗り込んだ#2 青山学院大で突きつけられた実力差、それでもチームのために#3 どんなに苦しくても悔しくて泣いても、バスケが好きだった #4 愛するバスケのため、一切妥協しなかったからいまがある

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