バスケ

連載:4years.のつづき

どんなに苦しくても悔しくて泣いても、バスケが好きだった 佐々木クリス・3

大学の練習だけでは飽き足らず、駒沢公園の屋外リングなど外部でプレーするほどバスケが好きだった(写真は本人提供)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ9人目は、バスケットボールBリーグの公認アナリストで、解説者の佐々木クリスさん(38)。連載3回目は上級生として青山学院大のバスケ部と向き合い、迎えた学生ラストゲームについてです。

青山学院大で突きつけられた実力差、それでもチームのために 佐々木クリス・2

「だけどチームはできてないじゃん」

一般入試で最強の青学バスケ部に入った佐々木さん。兄のように慕う上級生たちのために、自分ができることは何なのだろう。必死で考え、行動する日々は充実感と喜びにあふれたものだった。一方で学年が上がるにつれて、下級生を育てるという意識も強まっていった。

印象深い出来事がある。最上級生になる前の合宿でのことだ。佐々木さんはOBであり現・青学大ヘッドコーチの廣瀬昌也さんに、チームの課題を指摘された。練習に対する姿勢についてだったが、それは佐々木さんが最も自信をもって取り組んできた部分だった。「いや、僕はできてます」と反論しかけたところで、廣瀬さんは「分かってる」とでも言いたげに笑い、こう言った。「だよな、お前はできてる。だけど、チームはできてないじゃん」

「チームスポーツは自分だけができていればいいものではない。そう思わされた言葉でした」と佐々木さん。それ以来、何かあるたび「みんなはついてきてるか? 」と、全体を見るクセがついたという。

そんな姿勢が評価され、佐々木さんは4年生で副将になった。チームの主力が1年生を含む下級生に切り替わったことを受け、佐々木さんは主要大会で何度も優勝した先輩たちのDNAを、後輩たちに引き継ぐことに注力した。

それでも試合に出られず、チームはかみあわない

この学生最後の1年間は、佐々木さんにとってもっとも苦しい1年間だった。とくに重くのしかかったのが、自らの実戦経験の少なさ。ほかの選手がオフを満喫している間もトレーニングや自主練習を欠かさなかった佐々木さんだったが、上級生になっても出場時間は伸びなかった。「絶対的に場数が足りてなかったですし、成功体験が少ない僕にとって、わずかな好プレーを次のチャンスに生かしていくのは難しかった。昔の歌じゃないですけど『三歩進んで二歩下がる』という感じ。カタツムリのようでした」。佐々木さんの端正な顔立ちが、わずか歪(ひず)んだ。

佐々木さんは後輩たちに、過去の先輩たちのDNAを伝えようと奮闘した

学生スポーツでは、どうしても競技力の高い者の意見が強くなりがちだ。いくらハードワークし、どれだけ仲間を思いやって行動しても、試合に出ていない自分のことを彼らは受け止めてくれないのではないか。佐々木さんはそんな疑心暗鬼にとらわれ、苦しんだ。「残念ながら、僕には後輩たちを黙らせるだけの実力がありませんでした。そんな自分の訴えが後輩たちに響いていたかというと、正直手応えはなかったですね」

いま振り返ってみれば、言葉のかけ方や選び方も拙(つたな)かったという自覚がある。チームは思うような方向には進まず、秋のリーグ戦で2部に降格してしまった。佐々木さんは歯車のかみ合わないもどかしさを抱えきれず、何度も何度も涙を流した。

どん底まで落ちたチームは、それでもインカレに向けて調子を上げていった。ケガで長期離脱していた4年生が復帰し、ほかのけが人たちも復調。チームのことばかりに頭を悩ませていた佐々木さんも、ようやくプレーヤーとして「青学にふさわしい存在」と胸を張れるレベルまでたどり着いた。

しかし大学生活最後となる大会で、佐々木さんは結局プレータイムをほとんど得られなかった。「コーチの立場からすれば、あと1カ月で引退する4年生よりも、未来ある下級生にプレータイムを割くのは当然です」。いまはそう理解できるが、当時はどうしようもなくやり切れない気持ちでいっぱいだった。

大学4年間のラストゲームとなった日体大戦、佐々木さんの出場時間は10数秒。記録に残るのは、1本のオフェンスリバウンドのみだった。

「精一杯生き抜いたからこそ、いまがある」

振り返ってみれば、成功よりも挫折や失敗の方がずっと多い4年間だった。入学直後は周りとの実力差に打ちのめされ、最終学年は組織を動かす難しさを痛感し、4年間を通じてプレータイムを増やすことはできなかった。

「ずっとしんどかったし、悔しかったし、先輩に泣きながら電話をかけたことが何度もありました」。そう振り返る佐々木さんだが「ギブアップ」という文字が頭に浮かぶことは結局最後までなかったという。なぜだったのかと尋ねると、佐々木さんは表情を崩して即答した。「結局バスケが好きだったんです。もうそれだけ。とにかくうまくなりたかったし、バスケがしたかったんです」

大学時代、どんなに苦しくてもバスケを投げ出すことはなかった

数あるチームスポーツの中でも、バスケはコートに立てる選手が少ない競技だ。毎年、おびただしい人数の選手たちが華々しいプレーを夢見ながらもベンチや応援席を温め、夢をかなえられずに引退していく。そんな選手たちに、佐々木さんがエールを送ってくれた。

「自分が置かれている状況が苦しいか苦しくないかは、自分自身が決めることだと思うんです。誰が何と言おうと、自分が100%やりきってると納得できるのならば、その結果は必ず次のステップにつながる。だから『やめた方がいいかも』なんて思う必要はないし、絶対続けた方がいい。僕も大学時代の瞬間瞬間を精一杯生き抜いたからこそ、いまがあると思ってます」

この記事をシェア

in Additionあわせて読みたい

Seriesこの連載をもっと読む

この連載の記事一覧へ

4years.のつづき

Their Stories大学別・競技別に読む