アメフト

ドイツ在住の夢追い人・中山イチローの「人生なんとかなってきた」#10 月給5万円からの出発

吉本さんにはお世話になりました(写真はイメージ、撮影・伊藤進之介)

社会人アメフトチームの先輩の仕事を手伝ったのがきっかけで、吉本興業の面接を受けることになりました。

さすが吉本、とうならされた面接

中田英寿選手の所属事務所に飛び込んだ時と同じで、自分の武器は「給料はいりませんので、働かせて下さい」ということしかありませんでした。吉本興業にも「給料なしでは生活していけないよ……」と説き伏せられて終わるのかと不安でしたが、同じお願いをしました。すると吉本興業のT中さんは間髪入れず「タダで働かす訳にはいかんやろ! まずは、月●万円で3カ月働いてみるか!」と、まさかの即決。言い渡された金額はたしか「片手の指の数」だったはずです。

「チャンスを与えてもらえた!」という喜びと同時に「月5万て!」と、あまりの安月給に自らツッコミを入れていました。自分から「給料はいりません!」と言ったにも関わらず、T中さんの「ただって訳にはいかんやろ!」との言葉を聞いた瞬間「常識的な給料がもらえるのでは」と勝手に想像してしまったのです。人間の心理をすべて見透かしたかのような、甘酸っぱい提案。「なにわの商人(あきんど)、吉本興業」を地で行く“パフォーマンス”には、感服するしかありませんでした。

吉本興業のスポーツ事業部で働き始めて3カ月ほど経った2000年9月2日、業務でシドニーオリンピック壮行試合「日本オリンピック代表vsクウェートオリンピック代表」の会場に行くチャンスがあったのですが、そこでロッカールームからピッチに入っていく中田英寿選手に遭遇! 中田選手が僕の手が触れそうなくらいに近くを通っただけなのに、夢にどんどん近づいているような気がして、安月給のつらさなんてすべて吹っ飛んでいきました。

また、吉本興業は厳しさと人情味をかけ合わせたような会社で、3カ月間アルバイトとして働いたあとは、給料が2倍になって3カ月の契約延長、その後も給料を2倍にしてもらい、3カ月の契約延長。ちょうどそのころ、優秀な成績を残した社員を表彰する式典があり、「給料アップ率No.1」という名目で表彰されることになりました。プレゼンテーターの今いくよ・くるよさんから「給料アップ率No.1って、あんた一体、なんぼもうてるんかいさ?」と聞かれ「スタートが月5万だっただけです」と答えると、「あんた、まるで芸人みたいやんかいさ! どやさ!」とツッコまれ、確か、給料の2倍か3倍くらいが入った金一封をいただきました。

バイトから契約社員、正社員となり役職まで

その後も面接をしてくれたT中さんの働きかけでアルバイトから契約社員に、契約社員から正社員に、最後は役職までいただくことになりました。月給5万円のアルバイトから始まり、最後は同年代の平均年収より随分といい給料をもらうまでになり、僕の人生で「なんとかなった」代表的な出来事となりました。

吉本興業では心の底からやりたいことをやっていれば、最後はなんとかなるということをたくさん経験できました。

次回はそんな吉本興業をなぜやめることにしたのかについて書こうと思います。

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