ドイツ在住の夢追い人・中山イチローの「人生なんとかなってきた」#11 ドイツへ
吉本興業ではスポーツ事業部でサッカーはもちろん、あらゆるスポーツに携わりました。スポーツからビジネスを生み出していく術を学んで、充実した毎日を過ごしていました。
仕事がお笑い一色に、目標を忘れていた自分に気づく
その後、吉本興業の本流である「お笑い」の部門を経験せずして真の吉本興業社員とは言えないという会社側の考えから、スポーツ部門の専任ではなく、お笑いの部門も兼任するように命じられました。お笑いの仕事、いわゆる芸能界の仕事はこれまでに経験したことのない慣例やしきたりだらけ。それに慣れるだけでも大変で、スポーツ専任だったとき以上に、アッという間に時間が過ぎていきました。
そして、気づいたときには仕事のほとんどがスポーツに関することではなく、劇場の支配人や漫才番組の制作など、お笑い一色になってました。
ちょうどそのころ、結婚と長女の誕生を経験し、自分の人生を見つめ直す機会が2度ありました。「仕事と家庭を両立したい」という思いと、吉本興業に入る時に抱いていた「中田英寿に関わる仕事をする」という目標をすっかり忘れている自分に気づきました。
会社員のままだとその二つの願いをかなえるのは難しいと判断し、吉本興業をやめて独立し、サッカーの仕事で生計を立てていこうと考え始めました。
とはいうものの、どうやってサッカーで生計を立てていけるのか。あれやこれやと考えていたときに、大親友のクレメンスのことが頭をよぎりました。
クレメンスは私の母親が大阪府豊中市の自宅に外国人留学生をホームステイさせていたときに知り合ったドイツ人なのですが、ドイツでプロサッカー選手をしていた経験もあったことから意気投合し、ずっと連絡を取り合う仲になったのです。
すかさずクレメンスにメッセージを送りました。「実は吉本興業をやめてサッカーの仕事を始めたいと思ってるんやけど、みんなで一緒にアメリカ旅行したときにいた、クレメンスの親友のアンドレアスってFIFA の公認代理人だったよな? 彼と一緒に仕事できんかな? 確か弁護士やったよね? ドイツで働ける許可がもらえないかどうか聞いてみて!」
するとアンドレアスからすぐに「日本の市場には興味がある! 俺は弁護士だからドイツで働けるようにする手続きもできる! いますぐにでも、ドイツにおいでよ!」と連絡があり、吉本をやめてドイツに行くことを即決しました。
育児で意識朦朧の妻、ドイツ行きを“快諾”
ただ、自分の中で決めただけで、難題は妻の説得です。
「会社をやめて、ドイツでサッカーの仕事を始める。友だちがドイツで弁護士とサッカーの代理人をしてるから、彼がすべての手続きをしてくれる。安心して!」と告げました。意外や意外、二つ返事で「OK」が出ました。あとから分かったのですが、妻は当時、生後1カ月の長女の世話であまり寝ていなくて、意識が朦朧(もうろう)としていたそうです。ここだけの話、ラッキーでした。
何とかドイツ行きが正式に決まりました。
しかし、ここからが山あり谷ありの人生の始まりでした。
次回はドイツに移住してからの話を書きます。