大学野球

連載:4years.のつづき

社会人3年目、初めて「応援してくれる人のために」とプレーした 荒波翔・3

「迷っている人がいたら、社会人にいってほしい」と荒波さんはアドバイスする

「4years.のつづき」シリーズ12人目は東海大硬式野球部でリーグ首位打者を獲得、社会人野球に進んだあとプロ野球の横浜DeNAベイスターズに8年間在籍し、今年の8月に引退した荒波翔さん(33)です。連載3回目は社会人時代に意識が変わったことについてです。

東海大時代の大けが、自分を成長させるターニングポイントになった 荒波翔・2

お金をもらってプレー、意識が大きく変わった

「それまでまったく社会人野球のことを知らなかったんです。でも2年間頑張ってチャンスがあるなら、そこからプロになるんだという気持ちにもう1度なれました」。未知の領域だった社会人野球の世界。実際に飛び込んでみて、そのレベルの高さに驚いたという。特に荒波さんが進んだトヨタ自動車の硬式野球部は、社会人野球の中でも屈指の強豪チーム。プロに「いけたけど、いかなかった」という選手もいて、やりがいを感じながらプレーできた。

大学のころとは違い、10歳上の選手も同じチームにいる世界。はじめは戸惑ったというが、みんないい人ですぐに溶け込めた。「楽しくできたのが印象に残ってます」と振り返る。シーズン中は、ほぼ野球漬けの生活。野球をやっている感覚自体は大学時代とそこまで変わらなかったというが、プレーする上での意識が大きく変わった。「初めてお金をもらって、野球を『仕事』にしてやったのが、一番の違いだなと思います。今までは部活で、ある意味好きなようにやってましたけど、会社に入って仕事をしながら、野球をしてお金をもらってる、ということを考えるようになりました。お金をもらって、というのはやはり雲泥の差です。社員のためにやる、ということはずっと言われてましたし、しっかりやらなきゃいけないなと感じました」

荒波さんは1年目からレギュラーをつかみ、活躍した(写真提供・トヨタ自動車硬式野球部)

会社のため、社員のためというモチベーションを持ちながら、個人としてプロ入りの目標に向かって野球に取り組む。新しい環境は、荒波さんをより成長させることになった。中でも都市対抗野球の雰囲気は独特だった。その都市を代表して戦う一発勝負。社員代表として会社の名前を背負い、会社に貢献するために全力でプレーする。「シーズンでいくら活躍しても、そこで活躍しなかったら意味がない。そこにピークを持っていく難しさを感じました。文字通り『負けたら終わり』。社会人のときはそれが当たり前でした」

トヨタ自動車の同期には、関西学院大学から来た荻野貴司さん(現・千葉ロッテマリーンズ)がいた。入社前は内野手だった荻野さんだが、トヨタで外野手に転向。荒波さんのライバルになった。「身近に彼がいたのは大きかったです。荻野が打ったら俺も打たなきゃプロに行けないだろ。そんな気持ちで切磋琢磨(せっさたくま)しながらやってました。なんでもあいつに勝たなきゃ、という気持ちでした。彼も含めてチームメイトはみんな負けず嫌い。だからこそ踏ん張れたり、キツい練習も耐えられました」。荻野さんとはいまでも連絡を取り合う仲だという。

2年目で指名なし、「やめよう」と思った

社会人1年目から活躍し、日本選手権ではチームの優勝に大きく貢献した荒波さんだが、2年目は極度の打撃不振に陥ってしまう。チームは都市対抗野球に出場したが、荒波さんはそこで20打数1安打。ドラフトの指名はなかった。「2年でプロにいく」との目標を達成できず、「本当に野球をやめようと思った」という。「プロになるために野球をやってきたので、それ以上野球を続ける意味が見いだせなくて……」

プロになりたいと思って頑張ってきた。社会人2年目の「指名なし」で野球をあきらめかけた

それでも社会人で3年目、野球を続けようと決めたのは、いままでとは違った思いからだった。「僕の職場はプロにいく選手も多い環境でした。野球好きな人が多くて、2年間ずっと応援に来てくれた人もいました。自分がどういう状況になっても、一番身近で応援してくれたんです。だから3年目は自分のためというよりも、初めて『応援してくれる人たちのためにやろう』という気持ちでプレーしました」。社会人3年目、野手でプロにいくのはもう正直難しいと思っていた。だが、試合に勝つ、活躍して喜んでもらえるようにやろう、という思いが荒波さんを動かしていた。モチベーションが切り替わったからなのか、3年目は本来の調子を取り戻した。

そして2010年10月28日、荒波さんは横浜ベイスターズ(当時)からドラフト3位で指名され、ついにプロ野球選手となった。2年目のときはクラブハウスで指名を待っていたが、周りの人が気を遣っているのが分かり、申し訳なさを感じたりしたので、3年目は寮の部屋で待った。指名されたと電話がかかってきた瞬間はあまり実感がなかったが、記者会見のために寮から車でクラブハウスに向かうときに、ついにプロにいくんだという思いをかみしめた。

迷ってる人がいたら、社会人に進んでほしい

社会人野球で3年過ごした荒波さんは、「社会人野球に進んで本当によかった」と言う。「野球のことだけ考えたら、高校からプロになるのが一番すごいとは思います。ずっと野球漬けの人とそうじゃない人は、やっぱりプレーのレベルも全然違うので。でも、人としていろいろ経験していくことを考えたら、社会人を経験してプロになった方がいいなと思います。もちろん結果オーライのところもありますが、社会人の経験って、いまでもすごく生きてると感じますから」

社会人生活の3年間があったから、今があると言い切れる

一番大きな点はやはり、「お金をもらって野球をすること」だという。「その感覚を持ってるか持ってないかで、生活していく中で違いが出てくると思います。飛び抜けて一流という人はもちろんいますけど、それがほとんどではないと思うから……。社会人としての常識を持ってる、持ってないというところ、それから野球以外の職場のつきあい、人脈って、お金では買えないし、大事なことだと思います」。そして、大学からプロに進めず、野球を続けるか迷っている選手に対しては「社会人でも続けたほうがいいよ、と言いたいですね」。荒波さんが社会人生活から得たものが大きかったからこそ、そう言えるのだ。

最終回ではプロでの経験、そしてこれからについて話してくれています。

1度きりの人生だから、新しいことに挑戦し続けたい 荒波翔・4完

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