ボクシング

連載:4years.のつづき

「なりたい」じゃなく「なる」 元「東大出身の弁護士ボクサー」坂本尚志3

東大ボクシング部では大学から競技を始める人も多い。最初はナメていたところがあった(撮影・北川直樹)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。先輩たちは4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ14人目は29歳でプロデビューし、東大出身の“弁護士ボクサー”として話題をさらった坂本尚志(たかし)さん(38)です。4回の連載の3回目は、東大での日々についてです。

勉強もボクシングもやりたいと思った 元「東大出身の弁護士ボクサー」坂本尚志2

東大ボクシング部の洗礼

高校からボクシングを始めた坂本さんは、浪人時代にも福井市内のアマチュアボクシングジムに通い続け、腕を上げていた。一浪の末に東大へ入学すると、自信を持ってボクシング部の門を叩(たた)く。最高学府の体育会。心のどこかで少しナメていた。経験者の新入生はいきなりスパーリングをする流れになったが、坂本さんは何の恐れも感じていなかった。相手は現役の先輩ではなくOBだ。

「もう引退してるし、『余裕でしょ』と思ってたんですけど、ボコボコにされました」。苦笑いで当時を振り返る。地元のジムではプロライセンスを持った人たちとのスパーリングもこなしていたが、大学のレベルも低くはなかった。東大ボクシング部の洗礼だった。鼻をへし折る意味合いもあったのだろう。19歳の坂本さんは、そのスパーリング以来、心を入れ替えた。「先輩たちの言うことを真面目に聞くようになりましたね」。練習も休むことなく、必死に取り組んだ。

大学時代の坂本さん(写真は本人提供)

勉学も疎かにすることはなかった。授業とボクシングの練習以外は、ほとんど図書館で過ごしたという。入学前から将来像を描いていた。司法試験をクリアし、弁護士になる。きっかけは高校の同級生だった。「友だちが弁護士になりたいって話してて、影響されたんです」。動機を聞くと拍子抜けしそうになるが、試験の準備はコツコツと進めた。ボクシングでどれだけ疲れていても、サボることはない。自分で1度決めたことは、とことんやり続ける。東大受験と同じである。

部を飛び出し「アマの世界で見返してやる」

入学後も文武両道を貫き、1年生から試合に出た。いまでも忘れられないのは、1年生の全国国公立大学大会。対戦相手は、高校時代に四国で実績を残していた香川大の格上の選手だった。「10回戦えば、9回は負けるような相手。でも勝ってしまったんです。大学では23試合しましたけど、あれはベストバウトですね」

2年生になると、関東大学3部リーグの団体戦にも初めて出た。当時は、これがリーグ戦最後のリングになるとは思ってもみなかった。すべてがうまくいっていたわけではない。坂本さんはコーチの抑えつけるような指導に反発を覚え、衝突を繰り返していたのだ。そして、ついに我慢の限界がきてしまう。

現在の東大ボクシング部の様子。壁には「文武両道」(撮影・松永早弥香)

2年生の冬には、反りの合わないコーチと大喧嘩(げんか)し、部を飛び出してしまった。ボクシングをやめることも頭をよぎったが、すぐにその思いを打ち消した。「ここで競技をやめたら負けだと思いました。あのコーチに屈服したことになる、と」。だからこそ、大学と同じ土俵のアマチュアボクシングにこだわった。通学路にあった帝拳ジムを選んだのも、プロだけではなく、アマの選手も多かったからだ。「プロにいくと、アマの世界で見返してやれないと思ったので」

これまでと同じように図書館の机に向かい、帝拳ジムではサンドバックを叩き続けた。3年生の秋の全日本選手権で、ボクシングには一区切りつけると決めていた。東京都予選で負けてしまい、ジムも退会。大きな声で最後に挨拶(あいさつ)をしたのを覚えている。「ありがとうございました」と一礼し、1度はグローブを置いて机の前に座り続けた。

しかしすぐに、ボクサーの血がうずいてしまう。翌年、司法試験の論文式試験を終えると、足は帝拳ジムに向いていた。「また練習に来ていいですか? って。そこからちょくちょく顔を出しては、ジムワークをしてました」

グローブもペンも手放さずにトライを続けて3度目。難関を突破した。すでに大学6年生になっていたが、あきらめたことは1度もなかった。「僕の中で弁護士になるのは絶対だったので。『なりたい』ではなく『なる』でしたから」

「7年生」が部の窮地を救った

大学生活はこれで終わらなかった。司法試験をクリアした時期にボクシング部の指導体制が変わったのだ。OBで元東京都チャンピオンの城崎昌彦氏が監督(現在も監督)に就任し、部の雰囲気も変化しつつあった。「どさくさに紛れて、部に戻りました」。悪びれずにけろっと笑う顔は、やんちゃ坊主の名残りか。全日本選手権出場を目標にリングで汗を流す日々が再び始まり、思わぬチャンスもめぐってきた。

東大ボクシング部の城崎監督は坂本さんに対し、「当時はちょっとやんちゃでしたね」と話す(撮影・北川直樹)

25歳。7年生の春である。東大ボクシング部は窮地に陥っていた。関東大学3部リーグで最下位となり、4部との入れ替え戦を戦うことになったのだ。OBたちにも焦りの色は隠せなかった。「そのとき『坂本を出そう』という声が上がったようです。僕はリーグ戦に1回しか出ていなかったので、出場資格を持ってたんです」。3部昇格を目指す青山学院大との団体戦にエントリーされ、期待通りの勝利を収めた。相手の主将に3-0の判定勝ち。「我ながらいい試合でしたね。強い選手で、1発、2発はいいパンチをもらいましたけど、なんとか勝ちました」

4部降格の危機からの救世主となり、大学でのボクシング生活を終えた。経歴だけからは見えてこない、山あり谷ありの半生。道をまっすぐ進んできたわけではないが、自ら定めたゴールに向かう努力は怠らなかった。なぜ、途中でくじけなかったのか。

「頑張ってる自分が好きなんですよ。頑張る自分でありたい。だから、頑張れました」

とことん己に負けない人である。信念の強さは、東大卒業後も変わらなかった。

ボクシングをやりきって優しくなれた 元「東大出身の弁護士ボクサー」坂本尚志4完

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