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連載:監督として生きる

指導者の力量は、教え子の10年後で分かる 近畿大学硬式野球部・田中秀昌4完

母校近大からの監督就任の誘いを、何度も断った(撮影・作田祥一)

近畿大学野球部の田中秀昌監督(63)の監督人生を振り返る連載の最終回です。1993年に上宮高校(大阪)の監督として選抜大会を制し、2011年には東大阪大柏原高校を初の甲子園出場に導くなど、高校野球の指導者としてキャリアを重ねてきました。そして東大阪大柏原の監督だった56歳のとき、母校の近大から監督就任のオファーが。まさに青天の霹靂(へきれき)だったそうです。

近大からオファー、背中を押してくれた言葉

近大は大学野球界の西の雄だ。97年には春夏のリーグ戦に加えて全日本大学選手権と明治神宮大会を制し、91年からこの年まで開催されていた社会人トップチームとの「全日本アマチュア王座決定戦」にも勝利。史上初で唯一の「アマ5冠」を達成した。2013年の春にも関西学生リーグで優勝したが、部員の不祥事で秋のリーグ戦は出場辞退。榎本保監督が辞任し、後任の監督を探していた。

「自分は大学ではサブだったし、最後の学年は学生コーチだったので、天下の近大野球部にはふさわしくないんです」。大学関係者に何度も食事に誘われ、就任の話を受けたが、そのたびに固辞し続けた。野球部のOBなんていくらでもいる。なんで自分に……。何度お願いをされても戸惑いしかなかった。近大野球部の部長だった逵(つじ)浩康さんがとにかく熱心に誘ってきた。OB会長からも電話で念押しをされた。結局、監督就任の最大の決め手になったのは東大阪大柏原高を運営する学校法人村上学園の村上靖平理事長の言葉だった。

「こんな名誉なことはない、って言うてくれたんです。ぜひとも行ってください、って。村上先生も近大のOBで、そう背中を押していただいたので、やってみようかと思うようになりました」。20143月の就任記者会見で田中さんは言った。「非常に悩みましたが、母校再建ということで決断しました。熱い魂を持って、泥臭く、感動してもらえるようなプレーを目指します」。そして同年4月から、大学野球の指導者としての挑戦が始まった。

2014年3月、近大監督就任の記者会見で語る田中さん(撮影・朝日新聞社)
大学生の指導は難しい、と田中さん(撮影・作田祥一)

大学生は半分大人で半分子ども

近大の監督に就任して7年目になるいまでも「大学生の指導は難しい」と苦笑いで語る。「大学生って、高校生とは違って半分大人で半分子ども。高校生なら素直に聞いてくれる話でも、大学生は受け取り方が変わってきます。それに僕らのころの近大みたいに縦社会ではなく、ファミリーみたいな感じなので、自分の気持ちが態度に出てしまう選手もいる。高校生だったら、そこで厳しい言葉をぶつけたらいいんですけど、大学生にはその厳しい言葉が響くかどうか……。高校野球で30年ぐらい指導してきたので、染みついてしまってるんでしょうね。自分が大らかになればいいんでしょうけど、なかなかそれができないんです」

大学生となると3回生、4回生は成人している。「飲みニケーション」とうたい、学生相手にどうしても一方通行になりがちなコミュニケーションを酒の席で深めようとしたこともあった。

2017年の春、田中監督率いる近大が初のリーグ戦優勝(撮影・朝日新聞社)

勝負の世界にいる以上、何より求められるのは「結果」だ。「近大は常勝軍団でいないといけない。監督になって丸3年経ってもリーグ優勝できなかったんですけど、小深田(こぶかた、大翔、大阪ガスを経て19年のドラフト1位で楽天へ)たちが4回生になった17年の春にようやく優勝できたんです。自分が監督になった年に入ってきた学年だったので、感慨深かったですね」

柏原では本当の意味での教育が必要だった

18年秋もリーグ優勝を果たし、チームを再び常勝軍団へ向けたレールに乗せ、徐々にスピードを上げつつあるいま、田中さんが常に思うことがある。

「大阪の高校野球で30年以上指導してきたから、いまがあると思ってます。最強のPL学園を追いかけてずっとやってきたころ、とくに昭和50年代のPLは無敵でしたからね。中村順司監督もすばらしい方で、ずっと尊敬してる指導者です。夏の大阪で当たり前のように8連勝し、甲子園でも6連勝できる監督は勝負師ですよ。『勝って当たり前』という戦力を、しっかり見極めて使いきれる。

いまで言うと大阪桐蔭です。西谷(浩一)監督もそんな存在になってますよね。私は上宮では(恩師の)山上(烈)先生が築いたもののあとに自分のスタイルを作っていったんですけど、柏原ではまったく何もないゼロを1にするためのエネルギーがいりました。上宮とはまた違って、柏原では本当の意味での教育が必要でした。でも、そんな中で10年間指導してこられた。とてもありがたいです」

 田中さんにはもう一つ大きな夢がある。大学野球といえばどうしても関東の大学が注目されてしまう。それは仕方のないことと納得しつつも、関西からも強いインパクトを与えたいと、ずっと執念を燃やし続けているのだ。

「来てよかった」「行きたい」と思われる近大に

昨秋のプロ野球ドラフト会議の日、オリックスに3位で指名された村西良太投手(左)と握手(撮影・安本夏望)

 そういう意味でも常勝軍団復活への思いは誰よりも強い。63歳になった田中さんだが、野球への情熱は高まる一方だ。この春には昨年U-18日本代表のキャプテンを務めた坂下翔馬(奈良・智辯学園)ら有望なルーキーたちが入った。「預かった選手をしっかり育てて、出口をちゃんとすることも大事です。自分と同じ時期に元パナソニックの光元(一洋)コーチも入ってくれて、進路もちゃんとサポートできるようにしてます。あとは寮が老朽化しているので、建て替える話も進めているところです。そういうところから整備して、選手たちには「近大に来てよかった」、高校生には「近大に行きたい」と思われる大学にしたいですね」 

野球を終えてからの人生の方が長い。野球を通じた人間教育を続けていく(撮影・作田祥一)

そしてその先へ。やはり基盤にあるのは学生スポーツを指導する上での人間教育だ。「教え子には野球界に残っている者も多いですが、野球を終えてからの人生の方が長いでしょう。指導者の力量というのは、教え子が現役を退いて10年後にどんな人間になっているかで見えてきます。大学を卒業して10年経てば30歳ちょっと。つまり、社会では一番元気な年齢です。これぐらいの時期に、近大から巣立っていった選手たちがどんな人間になってるのかが楽しみですね」 

高校、大学と学生野球指導者の道を突っ走ってきた「なにわの名将」は、これからも飽くなき挑戦を続けていく。

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