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連載:監督として生きる

先生の存在の大きさ、脈々と続く東海大の伝統 大商大・酒井大祐監督2

監督として生きる
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東海大の監督は2017年、積山さん(中央左)から小澤さん(左下)に変わった。小澤さんは酒井さん(右下)の後輩にあたる(写真は本人提供)

4月1日、サントリーサンバーズの酒井大祐コーチ(38)が大阪商業大学男子バレーボール部監督に就任しました。Vリーグでの指導を継続した上で大学でも指導するという、日本のバレー界では初のケースとなります。連載「監督として生きる」ではそんな酒井さんの東海大時代を含め、4回の連載で紹介します。2回目は東海大時代に知った先生、そして先輩の教えです。

Vリーグと大学バレーの指導者、前例なき挑戦へ 大商大・酒井大祐監督1

OBたちの心にいまもある「東海愛」

すでにプロスポーツとして成り立っている野球やサッカーの世界では、大学に進学せず、高校卒業後にそのままプロ選手として活動することも珍しくはない。バレーも男子は大学進学後にプロ、実業団へ進むのがほとんどだが、女子選手は高校から実業団に進み、中にはその直後に日本代表として活躍する選手もいる。

大学へ進む男子選手の中でも、高校時代に名を馳(は)せた全国区の選手が集うのが関東1部リーグ。現在は大阪を拠点とする酒井さんも、学生のときは関東1部の強豪である東海大に在籍していた。酒井さんのように東海大を卒業後にVリーグ、日本代表を経験した選手は多くいる。いまも様々なカテゴリーで活躍する東海OB。年齢は違っても、そのほとんどに共通しているのが卒業後も続く「東海愛」。その根本を酒井さんはこう言う。

「バレーボールを学ぶのも大学の4年間で、そこに関わる人の大切さを学ぶのも大学の4年間。ああしろ、こうしろ、と言われるわけではなくとも、やっぱり、それぞれに先生の存在が大きいのは間違いなくありますね」

当時の積山和明監督に涙ながらに怒られて

先生、とは当時東海大を指揮した前監督、現在の積山和明・東海大男子バレーボール部部長を指す。酒井さんも「大学1年生のころは、近くにいるだけで緊張して話しなどできなかった」と振り返るが、3年生になるとバレー部員は積山部長のゼミに入り、豊富な映像や資料、過去のオリンピックの試合映像など、自分がプレーするだけでは知り得なかったバレーをイチから学ぶ機会を得る。

「ゼミでいろいろ学ぶことも大きいし、日々の練習もそう。先生が毎日来て、僕らのころはまだシートレシーブで先生がボール出しをしてくれていたんですが、そのときもお互いの感情というか、いろんなことが伝わるんです。普段はほとんど口を出すことはないけれど、練習で気が抜けていたり、ダラダラしていると先生が感じたら、涙ながらに怒ることもある。とくに4年生になってからは、それぞれがいろんなことで怒られた記憶があります」

ことあるごとに衝突する選手もいる中、酒井さんは「先生から怒られることは比較的少なかった」とはいえ、3年生の夏、Vリーグのチームを回る合宿の最中、逆鱗(げきりん)に触れた。

「お前のせいで負けたんだぞ」

はっきりと名指しされたのは、それが初めて。1年生のときから試合に出続けて、上級生になったことで気付かぬ内に慢心が生まれていたのを、積山部長は見逃さなかった。

「調子に乗っていたんだと思います。だから『その態度は何だ』と言われて、あぁやっぱり、俺か、俺だな、と納得しました。何が、とかじゃないんです。でも、そういう言葉や、普段の一つひとつが、4年生になったときに全部出る、というのは間違いなく大学生活で学んだことでした」

各学年で自分の責任を果たす、そんな伝統を伝えていく

厳しいルールや上下関係。ときに理不尽と感じることも多かった1年生のころ、「何でこんなことをしなければならないんだ」と思いながらも、指針になるのは最上級生である4年生の姿。学生最後の大会となる12月の全日本インカレに向けて、学年ごとに練習メニューを考え、ときには怒鳴り合うほど叱咤激励(しったげきれい)を繰り返す。勝つため、強くなるため、何より自分たちがどんなバレーをやりたいか。上級生たちがバレーに向き合う姿勢を見て、下級生は「これぐらいやらなければダメなんだ」と学び、受け継いでいく。

酒井さん(左から2人目)は大学4年間、各学年で自分が果たすべき責任を痛感させられた(写真は本人提供)

その過程の中で、最も濃いのが3年生のときだと酒井さんは言う。

「基本的には1年生がボール拾い、2年生になると試合に出られる選手も少しずつ増えて、3年生になると選択を迫られるんです。試合に出る選手はそのまま上を目指すけれど、試合に出られない選手はそのまま選手を続けるか、それともトレーナーやマネージャー、後輩に応援を教える係など、裏方に回るか。もちろん全員選手でいたいとは思っています。でも、後輩が入ってくれば練習の機会や場所を提供してあげなければならない。いろんな葛藤が生まれます。一人ひとりのチャンスを広げて、チームとしての幅を増やすためには、同じ力なら1年生を出した方がいい、とも考えるし、そこで自分に何ができるか。もちろんそこで、バレー部をやめることを選択する選手もいます。ただ何となくそのまま部にいる、というのではなく、決断を迫られ、どうするかをそれぞれが選ぶ。だから学年によって責任も生まれるし、やめていった選手や、試合に出られない選手の思いを背負って戦おう、と思い合えるようになったんだと思います」

1年生のときのインカレでは3位。2年生では4位、そして3年生では準優勝。4年生になった03年のインカレで、東海大は94年以来8年ぶりの優勝。6連覇中だった筑波大に勝って有終の美を飾る、とブレずに掲げ続けた目標を最後に達成した。「Vリーグに進んでからも、しばらくはあの熱量に勝るものがなかった」と言うほどの達成感と喜びを味わったが、大学生活で得られたものは、もっと大きい。そう感じているからこそ、指導者となったいま、今度は自分が受け継ぎ、広げていきたい伝統がある。酒井さんは言う。

「僕の大学時代と同じように、学年によってなすべき責任を背負わせる仕組みをつくりたいんです。現役やコーチを経験して、スキルや自分が勉強したことを教えることはできますが、仲間のために自分が何をする、どんな責任を持つか。それを伝統にできるかできないかは、簡単に教えることができません。例え長い時間がかかっても、根づかせていけるように働きかけたいし、根づかせていきたいです」

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