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連載:監督として生きる

「100年続くチームを」と創部 流通経済大女子ラグビー・井上愛美HC2

2015年のカザフスタン戦に日本代表SHで先発した井上愛美(中央)(撮影・斉藤健仁)

「ジャパンラグビーコーチングアワード」の優秀賞に初めて選ばれた流通経済大学女子ラグビー部の井上愛美(ちかみ、29)ヘッドコーチ(HC)を3回で紹介する連載の2回目です。日本代表として活躍しながら、在学時にチームを立ち上げた時の思いや現役引退までを振り返ります。

井上HCは、千葉・船橋市に住んでいた中学時代は関東ユースだけでなく、東京・世田谷レディースでも汗を流した。中学校では陸上部に所属して平日を中心に活動し、短距離選手としても力をつけた。100mの当時の自己ベストは12秒9、千葉県では3番で関東大会にも出場し、陸上の強豪高校からも推薦入学の話が来たという。

高校では男子と一緒に練習

しかし、船橋市内に全国1位のランナーがいたこともあり、「船橋市でも勝てないのに陸上では世界を目指せない。ラグビーの方が楽しいし、ラグビーで世界と戦いたい」と覚悟を決めていた。高校は「自転車で通学できて、ラグビー部があるので」と千葉県立鎌ケ谷高校に進学し、平日は男子とともに練習することで実力を高めた。

09年12月には全国高校大会開会式直後の女子7人制の公開試合に出場した(撮影・朝日新聞社)

井上は大学進学を決める時、世田谷レディースの先輩も多く通う日本体育大学への進学なども考えたという。だが、当時、女子の日本代表を指導する黒岩純氏が流通経済大(現スポーツ健康科学部長)にいたこと、家から通えること、スポーツ健康科学部で中高の体育教諭の免許が取得できること、また「女子ラグビー部を自分で一から作りたかった」という理由で流通経済大に進学した。

ただ、2010年に入学した井上は「普通に女子大生をしていました!」と言う通り、大学では当初、ほぼラグビーとは無縁の生活を送っていたという。亜脱臼癖を治すために両肩を手術したこともあり、男子のラグビー部の練習に参加することもなく、ボールを借り、グラウンドの脇でひとりでパスやキックの練習をした。11月のアジア大会(中国・広州)には7人制日本代表として出場し、チームは5位となった。

そんな井上を見て、流通経済大ラグビー部の内山達二監督から「本気だったら男子ラグビー部に入るのではなく、女子ラグビーチームを作るか?」と言われ、井上は「お願いします!」と即答した。2人で話し合った結果、「女子ラグビーのブームにのるのではなく、女子ラグビーを文化に、そして5年、10年で終わるのではなく100年続くような女子ラグビーチームを作ろう」と合意した上での創部だった。

大学2年生になる春、8人で創部

11年春、GRACEは流通経済大に通う大学生中心のチームだが、他大学やOG、社会人も通えるチームとして誕生した。つまり、井上は流通経済大学ラグビー部を基盤としたRKUラグビー龍ケ崎GRACEという女子のチームを創った本人だった。

 井上は2年生になる前の春休みを、「お弁当友達だった子を誘って仮入部させ、大学のある龍ケ崎市内でラグビー経験のある他大の同級生を誘って、選手3人とたくさんのコーチで練習していました」と懐かしそうに振り返った。結局、創設初年度は選手7人、マネージャー1人の8人で活動を始めた。その後、部員が増えてくると井上が中心となってクラブで一軒家を借りて、大学生は寮生活することも始めた。

大学卒業後も選手として自ら立ち上げたチームを引っ張った(撮影・斉藤健仁)

井上自身がそうであったように、GRACEは7人制ラグビーも15人制ラグビーもプレーし、両方で「日本一」を目指すクラブとして目標を定めた。キャプテンとしてチームを引っ張る井上は、大学4年生の時の13年、ロシア・モスクワで行われた7人制ワールドカップ(W杯)に出場するなど選手としても徐々に成長していった。

流通経済大職員となり、両肩を再手術

井上は大学を卒業し流通経済大の職員となった14年に大きな決断をする。脱臼癖が直らなかった両肩に再びメスを入れた。「タックル自体をするのが怖かったのではなく、絶対に止めないといけない状況でタックルにいけない自分が嫌だった」。16年のリオデジャネイロオリンピック、そして17年女子15人制のW杯を見越しての決断でもあった。

15年の春、井上は女子7人制日本代表の一員として再び選出された。しかし、その後、指揮官がフィジカルやフィットネスを重視したこと、他競技からの選手の台頭もあり、セブンズの代表から遠ざかり、リオオリンピックに出場することはかなわなかった。手術後の15年から16年にかけて井上本人としては「肩は99%外れることはなくなりましたし、選手として一番、調子良かったのですが……」と肩を落とした。

難敵カザフから初勝利、W杯出場し引退へ

しかし、井上には大きな転機となる試合があった。15年5月9日、福岡で行われた15人制日本代表として出場したカザフスタン代表戦だった。カザフスタンには過去7戦全敗で、06年、10年、14年に開かれたW杯のアジア予選で女子の日本代表の前に大きく立ちはだかっていた壁だった。

カザフスタンに初めて勝って喜ぶ日本代表の選手たち(撮影・斉藤健仁)

因縁の相手に女子日本代表は27-12で初勝利を挙げた。井上も9番をつけて先発していた。「相手が大きくても、フィジカルで負けていても、15人制ラグビーでは戦術やチームプレーで勝つことができる」。この勝利をきっかけに7人制よりも15人制ラグビーの方が面白いと感じ始めるようになっていた。リオオリンピックに出場することができなかった井上は「悔しくないと言ったら嘘になりますが、15人制ラグビーのW杯出場という目標があったので、切り替えられた」と前を向いた。

そして、17年夏、アイルランドで開催された15人制女子W杯には、追加招集ながら井上は日本代表に選ばれ、最終戦の香港代表戦にリザーブから出場を果たした。当時を振り返り、「選手としてずっと目標としていた大会でしたし、雰囲気も全然違いましたね」と破顔した。選手として7人制、15人制のW杯に出場したことで、井上は小学生からのラグビーキャリアを終えることを決めた。

監督として生きる

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