バレー

連載: プロが語る4years.

いきなりの日本代表候補合宿、練習も食事もすべてイチから パナソニック山内晶大3

2014年、南部正司監督(2列目右端)の下でスタートを切った日本代表メンバーに山内(右上)も選ばれた(撮影・朝日新聞社)

今回の連載「プロが語る4years.」は、バレーボール男子日本代表としても活躍するミドルブロッカーの山内晶大(26)です。2016年に愛知学院大学卒業後、Vリーグのパナソニックパンサーズに進み、チームの中心選手として戦っています。4回連載の3回目は、愛知学院大3年生の時に初めて呼ばれた日本代表候補の合宿についてです。

山内の高さは日本代表にとって武器になる

大学3年生の春、想像もしていなかった日本代表候補として合宿への参加が決まった。集合場所は東京の「味の素ナショナルトレーニングセンター」。バレーのみならず、多くのスポーツ強化の拠点となる場所だ。山内は住所も集合時間もしっかりメモをとった。

高校生のころからU19やU21などアンダーカテゴリー日本代表候補に選ばれてきたような選手ならば、何も迷わずたどり着けるのだろうが、それまで代表と言えば高校3年生の時の国体愛知県代表しか経験がない山内にとっては、未知の体験だ。愛知から電車と新幹線を乗り継いでようやく建物の前にたどり着くも、入り方も分からなければ頼る人もいない。

「そもそもどっちに行けばいいかも分からない状態。何とかたどり着いたらたどり着いたで、目の前にいるのはテレビで見る人たちばっかり(笑)。その中で僕はどこに座ったらいいのか、どこにいたらいいのかも分からない状況でした。僕と同世代の選手でもユース(U19)やジュニア(U21)に選ばれていたり、全国大会に出て名前が知られている選手だったりしていたら、『どこどこの大学の誰々だよね』と話すきっかけにもなりますが、僕の場合それすらない。周りも『誰だ?』という感じだったと思うし、僕から話しかけるのはもちろん難しかったですが、周りの人もきっかけがないから、話しかけるのも難しかったんじゃないかと思いますね」

高校、大学での実績がない山内がなぜいきなり日本代表に選出されたのか。種明かしをすると、一つの理由としては、その年の2014年から南部正司氏が監督に就任したこと。前年までパナソニックパンサーズで監督を務めており、前年に山内へ「練習生として参加しないか」と声をかけ、実践した複数チームの一つがパナソニックでもあった。そこで初めて南部氏と山内は接点を持ち、山内にしてみたら「強いパナソニックの監督」という印象だったが、南部氏は山内の高さは日本代表にとって武器になると判断。無名だった山内の大抜擢(ばってき)へとつながった。

五輪に向かう「覚悟」さえ知らなかった

とはいえ、大学の練習でも「周りについていくのが精いっぱい」という状態で、いきなり日本代表として、まさにトップの顔ぶれの中に自分が入る。当然ながら、練習内容も意識も何もかも違う。

「リオ(デジャネイロ)オリンピックまであと2年。『覚悟を持って戦おう』と言われても、正直当時の僕にはその『覚悟』すら分からなかったんです。そもそも日の丸をつけて練習する以上、それだけで責任を持たなければならない立場なのに、それすら分からないし、とにかく毎日、目の前のことに必死でした」

ボール練習が始まればスピードもパワーも違い、一つひとつの動きに意味があり、様々な状況を見すえたシステムが取り入れられている。山内に言わせれば「少年野球の選手がいきなり大リーグの練習に参加した状態」と笑うが、それも決して大げさとは言い切れない。高校や大学で自体重トレーニングなど簡単なメニューはやってきたつもりでいたが、日本代表の合宿ではボール練習とウエイトトレーニングを組み合わせるのは当たり前で、メニューの説明も、飛び交う専門用語もすべてちんぷんかんぷん。

コンビニで好きな物を食べていた生活から一新

もっと苦労したのは食事だ。大学では寮生活をしていたが、当時は栄養学の専門家もいるわけでもなく、通いで食事の支度をしてくれる寮母さんの勤務時間に合わせて食事の支度がされていた。そのため一人ひとり、電子レンジで温めるサイズにご飯が分けられ、汁物と取り分けるサラダがあり、1枚のお皿に載ったウインナーなど簡単な肉料理があるだけ。食欲旺盛の大学生の胃袋を満たすには足りず、ましてやそれがアスリートとなれば、細かな栄養素のバランスも必要なカロリーも圧倒的に足りない。

初めての日本代表合宿で学んだ食事の大切さは、今の生活でもベースになっている(写真提供・パナソニックパンサーズ)

だが大学ではそれも当たり前。そもそも予算も限られており、食事を作ってもらえる環境があるだけありがたいのだから、足りなければコンビニでパンやおにぎり、カップ麺を買い足して食べればいい。いわば「めちゃくちゃな食生活だった」と山内は振り返る。しかし日本代表には、様々な競技で栄養サポートを行う、いわばスペシャリストとも言うべき専属の管理栄養士がいて、当然ながらその状況を見過ごすわけがない。全体への栄養指導はもちろんだが、体重が少なく、栄養知識を持ち得ていなかった山内には個別の指導も始まった。

「それまではタンパク質、炭水化物、脂質など気にしたことがありませんでした。でも基本からしっかり教えてもらいました。合宿中だけでなく大学に戻ってからも、コンビニを利用してもいいけれど意識的に野菜を摂るようにとか、米とタンパク質は必ず摂りなさい、とにかく最初は量を食べるように、というところから始まりました。少しでもタンパク質が摂れるよう、あと実家からレトルトの中華丼やカレー、親子丼、さらに食べる量自体を増やすためにレンジで温めるごはんを送ってもらいました。まず食事に対する意識が変わって、トレーニングや練習に対する意識も変わった。大学に戻ってからも授業の空き時間はトレーニングをしたり、ボール練習も『こんなスパイクじゃ大学生には決まっても、代表では通用しない』と具体的なイメージができるようになったり。代表に呼ばれるようになって、自分の意識はガラッと変わりました」

世界と渡り合う日本代表選手として。山内は新たなスタートラインに立った。

プロが語る4years.

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