陸上・駅伝

連載:4years.のつづき

高校時代に完全勝利で2冠達成、陸上がレールから脱線させてくれた 横田真人2

3年生の時のインターハイ800m、横田さん(右)は予選から決勝まで誰にも抜かされることなく勝ち切った(写真は本人提供)

今回の連載「4years.のつづき」は、男子800m元日本記録保持者で、ロンドンオリンピックで44年ぶりに同種目の日本代表として戦った横田真人さん(32)です。今年1月にプロチームTWOLAPS TCを立ち上げ、女子ハーフマラソン日本記録保持者である新谷仁美(積水化学)や東海大学時代に1500m日本選手権を連覇した館澤亨次(横浜DeNA)などを指導しています。5回連載の2回目は、立教池袋高校(東京)時代の話です。

体操着で駆けた初の800mで優勝、いつの間にか陸上選手になっていた 横田真人1

レペ感覚で毎週試合に臨み

横田さんは野球部を引退した中3の夏に陸上を始めることになり、インターハイ出場を目指して高校では陸上部を選んだが、1年生の時に800mでそのインターハイに手が届いた。結果は準決勝敗退。その上にいくにはどうしたらいいのか、本気で陸上と向き合い始めた。

陸上部にはアドバイスをくれる顧問はいたが、普段の練習は横田さんが考えて決めていた。そのため専門書を読んで練習方法を学び、その時に出会った『中長距離ランナーの科学的トレーニング』には今でもお世話になっている。また、他校の選手に無料で使える400mトラックが東京・代々木にあると聞き、毎週水曜日は織田フィールドへ。苦手なジョグも練習に取り入れたが、「遠くに行ってはいけない」と言われていたため、校内をグルグル走っていた。その一方で毎週のように試合に臨み、複数の種目にエントリーしてはレペティショントレーニングのようにこなしていった。

中距離は他の種目に比べ、その時のレース展開を読んでどう戦うか、いわゆる“勝負勘”も一つの技術となる。レースを重ねる中で横田さんはその感覚を養っていたが、中学校の先生が最初に教えてくれた「先頭のやつについていって抜けばいいんだ」という言葉はずっと残っていた。練習でもラストスパートを鍛え、1年生の時のジュニアオリンピック男子A1500mではその通り、ラスト勝負で勝ち切った。

ただ走るだけでも、勝つだけでもない

しかし2年生の春、他校の先生から「お前はいつまで経っても人の後ろを走っているよな」と言われてしまった。選抜合宿などでもお世話になっていた先生で、「高校だと所属関係なく指導してくれる雰囲気があっていいですよね」と今の横田さんは振り返るが、当時はやはりカチンときてしまった。火がついた横田さんはその後、人の前を走るようなレースもするようになり、「こんなレースをしたい」と考えてはそれに合った練習に取り組み、戦術の幅を広げていった。

3年生の時には800mでインターハイと国体を制して2冠を達成。インターハイは予選、準決勝、決勝ですべて自ら引っ張り、誰にも前に行かせない“完全勝利”をなし遂げた。1分49秒81と当時の大会新記録をたたき出した国体決勝は、今も自身のベストレースとして記憶に残っている。コーチこそはいなかったものの、顧問や他校の先生からアドバイスをもらいながら、自分で考えて実践していった先でつかんだ勝利だった。

3年生の時のインターハイでは4×400mにも出場し、8位だった(中央手前が横田さん、写真は本人提供)

横田さんは今でも「走ることは別に好きじゃない」と言う。だからといって、ただ勝てたから陸上を続けたというわけでもない。「勝つことによって世界が広がっていって、全国のすごいコーチや選手に会えたり、どんどん自分の世界が広がったりするのがすごく楽しくて。僕の中でそのきっかけをくれたのが陸上でした」

あのまま野球を続けていたら見られなかったかもしれない世界。いい意味で、陸上がある種のレールから脱線させてくれた。その思いは今もある。ただ走るだけでも、勝つだけでもない。その中で出会う人々や場所、時には国が、自分の中にある既成概念を壊してくれる。そんなチャンスを大事にしてほしい。横田さんが主宰する中高生のためのオンラインレース「Virtual Distance Challenge(バーチャルディスタンスチャレンジ、通称:バーチャレ)」(8月14~23日実施)には、そんな思いも込められている。

想像できる未来を超えていきたい

横田さんはもう一つ、大学進学を機にレールから脱線した。「期待してくれた以上のところにいきたいという思いはずっとありました。だから僕は“あまのじゃく”なんですよ(笑)」。高校入学前から思い描いていた通り、大学はそのまま立教大学に上がらず、AO入試で慶應義塾大学に進んだ。

陸上に取り組む一方で、大学受験のために1年生のころから週3で塾にも通っていたため、塾がある日はアップもそこそこにインターバルをこなし、早めにあがることもあったという。小学校からエスカレーター式でここまできたが、どうしてもはみ出したかった。「そのまま立教大学に進んで卒業して、なんとなくいい会社に就職するという道もあったでしょう。親が環境を与えてくれたことにはもちろん感謝しています。それがあったからこそ、いろいろチャレンジができたわけですから」

期待通りにそのまま進むのではなく、その上をいく自分の道を歩みたかった(撮影・藤井みさ)

期待以上のことをしたい、という思いは常にあった。同じように付属校に通っていた姉が高校受験で別の高校に進み、海外留学をしていたことも刺激になった。「すげーなって純粋に思っていました。僕とは違うタイプだけど世界を広げていて、でもねーちゃんに負けたくないって思ったんですよね」

何を学ぶかを考える前に、「慶應に行きたい」という思いが先行していたが、自分でカリキュラムを考えて学べる総合政策学部の存在を知ってからは、ここで学びたいと思うようになった。大学で陸上を続けることを考えると別の選択肢もあったかもしれない。しかし中距離という種目を考えると特に強い大学が浮かばず、箱根駅伝にも興味はなかった。

自分がやりたいようにできるところがいい。結局、勉強も陸上も自分のスタイルに合った道を選んだ。

世界の扉をこじ開けるため、日本選手権3連覇よりもリスクがある挑戦を 横田真人3

4years.のつづき

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