世界を驚かせた銅メダル、ペアの歴史を変えた フィギュアスケート・高橋成美2
連載「4years.のつづき」から、慶應義塾大学総合政策学部4年の高橋成美(28)です。フィギュアスケートのペア選手として、2012年世界選手権銅メダル、2014年ソチオリンピック日本代表として活躍。2018年に現役を引退しました。7月、女優に転身し、新しいキャリアを歩み始めました。全4回連載の第2回は、ペアのパートナー、マービン・トランとの出会いから銅メダルを獲得した世界選手権までを振り返ります。
漫画「ワンピース」が大好きなトランとの出会い
2007年、千葉・渋谷教育学園幕張高校に進学した高橋はペアの練習環境を求めて、カナダのリチャード・ゴーティエ・コーチにメールで連絡をとった。わずかな望みをかけての行動だったが、ゴーティエ・コーチからの返事は「すぐに来なさい」という意外なものだった。すぐにカナダ・モントリオールに渡り、そこで紹介されたのがカナダ出身で両親がアジア系のマービン・トラン(29)だった。
二人は日本の人気漫画『ONE PIECE』や『NARUTO~ナルト』が大好きという共通の趣味ですぐに意気投合した。スケートの息もぴったりだった。「マービンは日本代表でもかまわない、大好きなスケートを一緒に頑張ろうと言ってくれました。アジア系のカナダの男の子と中国人ぽい日本の女の子が運命のようにモントリオールで出会ったんです」。まさに奇跡的な出会いだった。
その夏からトランと組み、日本代表としてジュニアグランプリ(GP)シリーズ派遣が決まった。その大会ではまったく歯が立たなかったが、世界に目を向けるきっかけになった。「世界の中で自分たちの基準が分かった。勝つために何が必要かを考え、足りないところを徹底的に穴埋めしていきました。リフトがうまいという私たちの特技をコーチが見つけてくれて、来年までに世界一になっちゃえと言われました(笑)」。トップペアを育てているブルーノ・マルコットコーチらも加わり、世界を目指す戦いが始まった。
忘れられない小さなメダル
結成1年目の世界ジュニア選手権は15位だったが、2年目にはジュニアGPファイナルに進出、世界ジュニア選手権7位に入った。
3年目は飛躍のシーズンだった。後の2018年平昌五輪銀メダリスト隋文静、韓聡組(中国)と競うまで実力を上げ、ポーランドで行われたジュニアGPトルン杯でジュニアGPシリーズ初優勝。「世界のライバルがいる中で取れた1位。自信につながりました。小さなメダルですが勇気が起きます。人生の岐路でいつも見返すメダルです」と誇らしげに語る。そしてジュニアGPファイナル、世界ジュニア選手権で立て続けに銀メダルを獲得。いずれも日本代表として最高成績だった。
スケートが向上する一方で金銭面に苦労した。費用がかかる氷上練習に代えて陸上練習をしたり、シェアハウスを借りて家賃や食費を節約したり、活動費を捻出した。大学進学も考えなければならず、次第に心に余裕がなくなっていった。「結成3年目で、もう最後かもという気持ちでした」と明かす。
そんな時だった。全日本選手権を見に来ていた木下グループ社長と出会いがきっかけで、金銭面でサポートしてもらうことになり、スケート継続の道が見えてきた。
慶應義塾大学に進学、スケートと両立
大学は競技と両立ができる慶應義塾大学総合政策学部を選んだ。複数の大学が候補に挙がったが、AO入試の面接が決め手になった。「面接官から、ここは自分で発見していく学校です。どんなことを学ぶかはあなたが決めます。そこに正解はないし、スポーツをしてから政治を学んでもいいと言われて。そんなのありなの、面白いと思いました。入るならここだなと思いました」。無事合格し、大学と両立しながら世界トップを目指した。
木下グループのサポートで金銭面の不安がなくなると、スケートに好影響が出てきた。「バレエを習ったり、演劇を見たり、スケート以外から吸収できる環境が広がりました。そこで心に響いたものがスケーティングで出せるようになってきて、成績が一気に上がりました。生活の余裕が演技に出るんだということに驚いたのを覚えています」。充実したオフシーズンを過ごし、2010-11年に入ると、ジュニアとシニアの試合を掛け持ち、世界トップの中で戦う機会に恵まれた。
大学も休学し、競技に集中した。ジュニアGPシリーズでは2戦連続2位、ファイナルで優勝を果たすと、世界ジュニア選手権も3位と2年連続表彰台に上がった。シニアのGPシリーズではNHK杯3位、ロシア杯3位と大健闘し、初参戦の世界選手権も9位に入り、日本のペアの最高成績を次々と塗り替えた。
日本代表ペア初の世界選手権のメダル
翌シーズンはシニアに本格参戦。日本代表ペアで初めてGPファイナル進出も果たした。だが2012年2月の四大陸選手権は5位と低迷。学業も疎かにしたくなかった高橋は復学も考え、3月にフランス・ニースである世界選手権で結果が残せなかったら最後にしようと決めていた。
「世界選手権に向けて最後にやれること全部やろうと思っていました。一番にリンクに行って、早朝5時から練習しました。ブルーノ(・マルコット)コーチも付き添ってくれて、私が苦手だったジャンプの練習をしました。その後はマービンとペア練習に打ち込みました。世界選手権に向かうときはトップ10に入ったらいいね、と言っていました」
だが、本番を迎えると気持ちに変化が生まれた。「できるかも」。その予感が的中した。ショートプログラム(SP)で単独の3回転サルコージャンプもスロー3回転サルコージャンプも着氷した。65.37点で3位につけた。
「集大成と思って臨んでよく頑張ったなと。それが3位に入って、えーってなりました。SP3位のスモールメダルは家宝になるって思っていました」。興奮が忘れられず、スモールメダルを首にかけて眠った。フリーが始まる前もメダルをかけていると、ブルーノ・コーチが怒った。「いますぐその考えを捨てなさい。昨日までのあなたはあなた、今日からのフリーのあなたは一から始めるんだ。あなたは3位をまだ取っていない。そのためには全てを出し尽くすんだ」
高橋は我に返った。「夢だと思っていた表彰台のチャンスがある立場にいつのまにか上っていたんだ」。総合3位になるために気持ちを切り替えた。ブルーノ・コーチから「魔法の言葉」である”Who is the best? I’m the best.”という言葉をかけられ、リンクに立った。
夢見心地だった
フリーは最終滑走だった。トランと拳と拳をコツンと合わせる「グータッチ」で演技に入った。得意のツイストリフト、高橋の柔軟性を生かしたペアリフトで確実に得点。単独の3回転サルコージャンプでミスが出たが、スロー3回転ジャンプは2つとも着氷し、演技全体をまとめた。
演技を終え、マービンと抱き合い、右手で小さくガッツポーズ、そして再びグータッチ。キス・アンド・クライで待つ二人に驚きの点数が出た。フリーの自己最高得点を10点以上更新する124.32点。総合成績を示す「3」の文字が表れた。会場は歓喜の渦に包まれた。「演技後はマービンと実力出せたよねって。3位とわかってからは何も覚えてないですね。夢見心地でした」
表彰式で世界選手権では初となる日本国旗が揚がった。まさに世界を驚かせた銅メダル。メダルを手にした高橋のとびきりの笑顔が弾けた。日本ペアの歴史が変わった瞬間だった。