慶應大からソチオリンピックへ、研究対象は自分自身 フィギュアスケート・高橋成美3
連載「4years.のつづき」から、慶應義塾大学総合政策学部4年の高橋成美(28)です。フィギュアスケートのペア選手として、2012年世界選手権銅メダル、2014年ソチオリンピック日本代表として活躍。2018年に現役を引退しました。先月、女優に転身し、新しいキャリアを歩み始めました。全4回連載の第3回は、世界選手権後からソチオリンピックまでを振り返ります。
練習で仮説検証
2012年3月、高橋成美、マービン・トラン組はフランスで行われた世界選手権で銅メダルを獲得した。日本初の快挙にペアへの注目が一気に高まった。
練習も多忙を極める中、高橋は学業との両立も目指していた。「大学を自分のために使う、競技に必要なものは何かを考えて履修しました」。大学にはできるだけ通った。興味ある心理学、ペアの動作理解につながる物理学も学んだ。ロジカルな思考も身についた。「『私はそう思う、なぜなら』と、エンジニアのマービンに対して論理的に説明できるようになりました」と笑う。
「アスリートの自分自身を研究対象にできるのはいましかない」と、練習に仮説・検証のプロセスを取り入れた。例えばジャンプの高さと方向に関して仮説を立てて成功率を検証し、改善につなげた。「動作分析の結果を表やグラフにしてマービンにアドバイスをもらいました。仮説を証明できずに終わったこともありましたが、その楽しみを学びました。いろんな学問分野から要素を取りこんで作り上げていく。スポーツと学問の融合について身をもって感じました」
7か国語話せるスケーター
高橋は言語も得意だった。北京滞在中は中国語をたくさん話すことで身につけた。英語は中学時代、北京から帰国後にインターナショナルスクールにも通って勉強した。ほかにも国際大会で訪れたスペイン語、発音が似ているイタリア語、フランス語、最近韓国語も始めた。
「英語はコーチや海外選手とコミュニケーションをとるのに役立ちました。国と国の交渉では難しいことも人と人がコミュニケーションをとることで物事が簡単にうまくいくことがあります。無理だと規定されているようなときも、実はほかに通り道がたくさんあって、言葉を使って相手に伝えることで通り道を通ることができるんです」。外国語で意志を伝え、実現してきた高橋の境地だ。
トランとペアを解消
世界選手権後、トランの国籍取得を望む声が一層高まった。一方、本人たちは淡々としていた。「正直に言うと国籍は取れたらいいなという気持ちでした。取得のために必要な日本滞在期間も足りなかったですし、物理的に時間もありませんでした。マービンはペアを続けたいと言ってくれて。だから目の前の練習に集中しました」
だが、その思いと現実はかけ離れていった。2012年春に高橋が左肩を脱臼、夏に手術を受けた。GPシリーズを欠場し、ソチオリンピックのプレシーズンを棒に振った。「ペアの技は高難度になるほど関節を変に使うんです。医師からは基本的な技はできても、世界選手権3位以上の成績をとるには無理だと言われました」。高橋の脳裏にオリンピック断念、現役引退の文字がよぎった。
ペア練習ができない時間が長くなり、トランとこれ以上続けることは難しいと判断し、12月にペアを解消した。そんなとき、ペアに興味を持ってくれたのがシングルで国際大会も経験している木原龍一(27)だった。「日本のためになるちゃんとだったらやる」。そう熱く語る木原が漫画の主人公のように見えた。スケートをやめる選択肢も考えていたが、木原の熱意にほだされ、気持ちも固まった。
木原とペア結成、オリンピックを諦めない
2013年1月、木原とのペア結成を発表。高橋がリハビリを続ける中、木原はペアの技の名前を覚えることからスタートした。筋力トレーニングも強化した。一度は諦めかけたオリンピック。周りから無理だと言われても1年後に迫る舞台に向けてやるしかなかった。「オリンピックの舞台を龍一と一緒に経験したいと、毎日真剣で気を抜く場所がないくらい練習しました」
ジャンプが得意な木原、リフトが得意な高橋。お互いの良さを生かしながら、約半年で、国際大会で戦えるレベルまで上げた。一方で、オリンピックの日本の出場枠も確保しなければならず、苦戦を強いられた。2013年9月にネーベルホルン杯(ドイツ)が最後のチャンスだった。高橋、木原組は総合11位だったが、後にエストニアが枠を返上したことにより、繰り上がりで出場枠を獲得した。
2014年2月、ソチオリンピックが開幕した。「オリンピックもそれまでの道のりも一瞬一瞬が思い出で、鮮明に思い出せます」という。高橋、木原組は団体にも出場し、日本5位に貢献。個人はSP18位でフリーに進めなかったが、結成からわずか1年で成長した姿を見せた。
同じ舞台で同世代の羽生結弦が日本男子初となる金メダルを獲得。その快挙を目の前で見た興奮も覚えている。「やっぱりね、と。ゆづが世界で一番でなければ誰がとるのと思っていました」。羽生とは小さい頃、都築章一郎コーチのもとで練習を一緒にしたことがある。「やんちゃだけど、氷に上がるとオーラがある。カリスマ性があって、小学生の頃からずば抜けていた。ゆづが滑っているとみんなで見に行って、スケーティングをまねしようとする。私もそうでした」と思い出を語る。羽生の関連本が出たら真っ先に買いに行くほどのファン。「ゆづからは『いいな~、なるちゃんは何でもできて』と言われるんですが、いやいや、ゆづ様って感じです(笑)」
再びペア解消、生まれた情熱
ソチオリンピック後、自身2年ぶりとなる世界選手権にも出場。それから1年がたち再び岐路に立った。木原とのペアの解消だった。「お互いに気をつかいすぎたのかもしれません。私以上にペアを好きな人はいないと信じていて、その好きなものに龍一を巻き込んでしまった。だから、無理はさせたくないと頑張りすぎていました。そんな私を見る龍一も申し訳ない気持ちがあったのかもしれません。二人の個性を生かすには別のパートナーと組んだほうがいいのかもと考えるようになりました。ペアってなんだか結婚みたいですね」
2015年3月にペア解消を発表し、またひとりになった。だが、引退するつもりはなかった。日本でペア競技を広めたいという情熱が生まれていたからだ。高橋は新しいパートナーを探し始めた。