2度目のオリンピックへ、呼ばれなかった名前 フィギュアスケート・小塚崇彦4
「4years.のつづき」から、フィギュアスケート男子で2010年バンクーバーオリンピック8位、2011年世界選手権銀メダルの小塚崇彦さん(31)です。中京大卒業、中京大大学院修了、社会人になってスケート靴の開発やスケート教室など、競技の普及活動に携わっています。全5回連載の第4回は2度目の出場をかけたオリンピックについて振り返ります。
ジャンプの跳び分けを研究
2011年4月、スケートと研究を継続するため中京大学大学院へ進学した。入学後すぐにロシア・モスクワに会場を変更して開催された世界選手権で銀メダルを獲得した。
一方、学業ではバイオメカニクス(生体力学)を専門に研究。当時、ジャンプのルール改正があり、フリップとルッツの採点が厳格になり、跳び分けができない選手もいた。小塚さんはそこに疑問を持った。「似たようなジャンプなのになぜだろうと思いました。僕は両方ルッツのようになってしまう選手で、高橋大輔さんの映像を見てフリップを跳べるようになりました。身体の動きが違うのだろうと仮説を立てて、自分を題材にして研究していました」
スケートと大学院、どっちが大事?
研究に熱心になるあまり、競技に支障が出てきた。振付師のマリナ・ズエワさんには「大学院はいつでも行ける。スケートは今しかできないし、自分の味も出てきているのだから頑張りなさい」と言われた。高校時代から両立してきたスケートと学業とを初めて切り離すことに決め、休学届を出した。
その後はGPファイナルに出場、全日本選手権でも2位と順調だったが、シーズン終盤の世界選手権で公式練習中に肩を脱臼。試合はなんとか乗り切ったが、前シーズンのように期待にこたえられなかった。翌シーズンはオリンピックのプレシーズンだったが調子が戻らず、足の痛みも重なり、練習は2~3日に1回のペースに落ちた。それでも持ち前の器用さと底力でGPファイナル出場まで進めたが帳尻合わせはそこが限界だった。全日本選手権は5位に終わり、シーズンが終わった。病院をいくつか回って足の痛みの原因を突き止めようとしたがわからなかった。その後、濱田美栄コーチを通してトレーナーの先生を紹介してもらうと、少しずつ回復の兆しが見えてきた。すでにオリンピックをかけた戦いは始まっており、時間はなかった。
2度目のオリンピックをかけて
2013~14年シーズンが幕を開け、自身2度目のオリンピック出場をかけて始動した。日本男子の出場枠は3。ベテランの高橋大輔(関西大学カイザーズフィギュアスケートクラブ)と織田信成さん、次世代エースの羽生結弦(ANA)、さらに無良崇人さんや町田樹さんも参戦し、代表の座を勝ち取るのは簡単なことではなかった。
しかし、小塚さんは代表選考にも影響を与えるシーズン序盤、GPスケートアメリカで6位、中国杯3位でGPファイナル進出を逃した。それでも最終代表選考を兼ねた全日本選手権に望みをつないだ。ショートプログラムで3位につけ、フリーでは4回転トーループジャンプを着氷し演技全体をまとめた。総合成績3位に食らいつき、翌日の代表発表を待った。「選考に1本指はかかっている。やるべきことはやったし、存在感は見せられた」。優勝を決めた羽生は内定、2枠目は全日本2位でシーズン中に実績を残した町田が有力だった。3枠目を、全日本は5位だったがシーズン中の自己最高点で上位の高橋と争う構図になっていた。
大会最終日の夜、運命の代表発表が行われた。静まる会場で「羽生結弦」「町田樹」が呼ばれた。だが「小塚崇彦」の名前が続くことはなかった。3枠目は「高橋大輔」だった。どよめく会場の中で小塚の心境は複雑だった。「名前が呼ばれなかった瞬間は誰もいなくなった感じでした。世界選手権代表も外れていて、まさかと思いました。四大陸選手権の代表にはなりましたが、正直、考えますという気持ちでした」。報道陣に対し「代表選手を応援する」と気丈にふるまったが、何かを考えられる状態ではなかった。
引退か続行か
全日本選手権が終わり、新しい年を迎えたが小塚さんは迷っていた。そのとき頭に浮かんでいたのは2人のアスリートだった。フィギュアスケート女子の中野友加里さんと競泳男子で2012年ロンドンオリンピック銅メダリストの立石諒さんだった。
中野さんは2010年バンクーバーオリンピック代表選考がかかった全日本選手権で総合3位になったが代表から漏れた。四大陸選手権と世界選手権代表に選出されていたが辞退、そのシーズンで引退した。「友加里ちゃんはすぱっとやめてしまって、その印象が残っていました。諒くんは2008年の北京オリンピックはギリギリで選考に落ちてるんですが次のオリンピックでメダルをとりました。彼に相談したら、『とりあえず出てみればと。出られる権利を持っているのは崇ちゃんだけ。それでだめだったらやめたらいい』と言ってくれました」。引退か続行か、自分はどちらを選ぶのか。決断できないまま時間だけが過ぎていった。
練習に身が入るはずもなく、このままではだめだと思い、滑るモチベーションにつなげるためにスケートの昇級試験「バッチテスト」を受けた。そこで「(最高の)8級のバッチテストではこういうプログラムを観たい」と褒められた。滑る気持ちを取り戻し、直後の四大陸選手権は2位に。引退へ揺れ動いた気持ちに変化が生まれ、もう少しだけ現役を続けてみることにした。