バスケ

連載:4years.のつづき

B2参入で大号泣、バスケ愛を貫いた二足のわらじ生活 東京エクセレンス・宮田諭5

42歳になった現在も、宮田さんは選手としても第一線で戦っている(提供・B.LEAGUE)

今回の連載「4years.のつづき」は、B3リーグ「東京エクセレンス」の選手兼ゼネラルマネージャー(GM)の宮田諭さん(42)です。早稲田大学卒業後はサラリーマンをしながらクラブチームでバスケットボールを続け、アメリカ挑戦、トヨタ自動車アルバルク(現・アルバルク東京)を経て現在に至ります。5回連載の最終回は、プロバスケ選手とサラリーマンの二足のわらじを履く現在、そして東京エクセレンスへの思いについてです。

クラブチームから再びプロへ、激怒されながらも我が道を 東京エクセレンス・宮田諭4

バスケと仕事を両立させるためにとった型破りな方法

トップリーグ2部に当たるNBDLに加入し、東京エクセレンスがプロ化した2013年以降、宮田さんは以前に増して忙しくなった。選手としては35歳にして念願のプロ復帰。残り少なくなってきた(実際は相当長くなるのだが)現役中に、なんとしてもプロ選手としての爪痕を残したいという意欲に燃えていた。かたやトヨタ自動車の社員としても、レクサスの広報という大役を任せられ、簡単にやめるとは言えない状況だった。プロアスリートと仕事を両立させるにはどうしたらいいのか……。考えた末、宮田さんは上司にこう宣言した。「結果を出すから自由をください」

夕方からのチーム練習とトレーニングの時間は動かせないし削れない。ならばと、後に採用される裁量労働制を先取るような形で、フレキシブルな働き方をルールの限界で進めていた。定時で退社して練習に打ち込み、その後、会社に戻って残りの仕事を片付ける。明け方まで接待(もちろんノンアルコール)に付き合った日は、翌朝に前日分のトレーニングを行い、昼から出社。当初は戸惑っていた同僚や取引先も、「宮田なら仕方ない」と徐々に受け入れてくれるようになった。

役員決済が必要な大きなプロジェクトの仕切り方も豪快だ。「決裁ルートにいる関係者一人ひとりに概要を説明して、ハンコをもらっていくのって、正直、時間かかるじゃないですか。だから僕は、関係者を一度に集めてその場で議論したり決済をとったり、途中経過は基本的に上司に一切相談せずに業務にあたったりしていました。気になるならあっちから聞いてくれるし、自分が担当してる内容に関しては、自分が一番考えているから説得できる自信があるし、大丈夫だろうって考えていましたね(笑)」

ごく日本的なルールに慣らされて育った人々からすれば、このようなやり方は常識外れにもほどがある。しかし、宮田さんは周りの反応など気にも留めていなかった。いや、気に留める暇すらなかった。「本気で両立しようと思ったら、既存のルールなんて守っている場合じゃなかったです。『俺のバスケの時間は誰も責任を取ってくれないでしょ』。いつもそんな気持ちでした」。宮田さんは当時を振り返った。

いい面が勝ると思ったらチャレンジ

秋になり、NBDLのレギュラーシーズンが始まると、宮田さんの生活はさらに過酷を極め、「1分で熟睡」という特技が身につくほどに。年間を通して、新車発表会やモーターショーなど各種イベントが行われ、2カ月に1度は海外出張を迫られていた。それでも宮田さんは、絶対に試合を欠場しなかった。海外出張がシーズン中にあると、0泊2日で業務を片付けたり、空港から練習場に向かったり、どうしてもの場合は上司に押し付けてかわすこともしばしばあったという。

宮田さん(中央)は「怒られるからやめよう」で立ち止まることなく、その先にある価値を求めて行動してきた(提供・東京エクセレンス)

言うまでもないが、これらの仕事術は誰もが安易にマネできるものではない。宮田さんも「よっぽど頭のネジが飛んでる人以外には役に立ちません」と認めつつ、二足のわらじ生活の中で見出した、誰にでも取り入れられる助言をひとつくれた。

「いい面と悪い面、両方を想像できる力を養ってほしいですね。『怒られるからやめよう』で終わらせず、『怒られるだろうけど、やったらこんな変化があるかも』というところまで考えて、その上でいい面が勝ると思ったらチャレンジしてみればいいんです。バスケだって同じ。どんな名選手だって、1試合を通してまったくミスしないことはないし、シュートも百発百中じゃない。ひとつの失敗を結果で片付ける必要はないと思います」

前進していたからこそ、自他ともに無理も通せた

15年、プロアマ混合リーグの「NBL」と完全プロリーグの「bjリーグ」が統一され、「Bリーグ」が誕生することが決まった。14-15シーズンのNBDLで見事優勝を果たしたエクセレンスは、2部に相当するB2への参入を申請し、8月29日にそれが承認された。承認の瞬間を記者会見場で見届けた宮田さんは、事務所に帰る山手線の車内で大号泣したという。

エクセレンスは14-15シーズンのNBDLで優勝し、チームはその後、Bリーグへ(提供・東京エクセレンス)

「前に進んでいるから許されることってあるじゃないですか。Bリーグ入りに向けた準備は、まさにそれでした。いろんな人に相当な無理を強いてやってきたのに、ダメだったら……と思うと、怖かったですね。僕個人としても『プロ化して、NBDLで優勝して、次はBリーグ』と、常に新しいことを実現している姿を会社にアピールしなければ、自由な働き方を受け入れてもらえなくなって、最悪、自分のバスケキャリアも終わってしまうんじゃないかと思っていましたし。だから、本当にうれしかった。公衆の面前であんなに泣いてしまうなんて思ってもみなかったです」

その後、NBDL15-16シーズン終了から約3カ月間、たった2人のスタッフとともにほぼ寝ずに準備にあたった。

Bリーグ初年度から4年。当初は宮田さんを含めて3人だったクラブのスタッフは10人を超え、18年に建設機械大手の加藤製作所の子会社となったことで、経営も安定してきた。その中で根強い課題として残っているのが、ホームアリーナ問題だ。B2のライセンス基準となる3000人収容のホームアリーナ計画がなかなか進まず、チームは実力以外の問題でB2とB3を行ったり来たりしている。

宮田さんはこれを解決するために、今年よりアリーナ推進室のリーダーとしても手腕をふるい始めた。「エクセレンスにライセンスが付与されていないという事実が許せない」というのがリーダー就任の理由。選手が4人しかいなかったクラブチーム時代から、誰よりもエクセレンスに関わってきたからこそ、自分がやらねばと思った。

残ってくれた選手のためにもB2昇格を

自分が最高だと思う場所で、自分が最高にバスケを楽しむ。これまでの連載で振り返ってきたように、宮田さんの様々な決断の動機は基本的に、上記を実現するためのひたすらわがままで自己中心的なものなのだ。だからなのか、その強大なエゴから生み出される推進力はとてつもなく大きく、不思議と周囲を巻き込み、現状を変えていく。

宮田さんは誰よりも東京エクセレンスに関わってきたからこそ、選手としてもスタッフとしても強い責任と覚悟をもっている(提供・B.LEAGUE)

宮田さんは、エクセレンスの行く末をこう話す。

「直近の目標はアリーナ問題を解決してB2に上がることなんですが、クラブの中長期目標を鑑みると、もはや『B2ライセンスをとれてよかったね』では許されなくなっています。今はB2とB3を行ったりしている状況ですけど、長い目で一番上を目指すために、必要な降格は受け入れるというのが僕らの考え方。キャリアが限られている選手たちには申し訳ないんですが、『あと2年でB2に昇格する』というクラブの意図を汲んで、残留してくれた選手もたくさんいます。彼らの思いにこたえるためにも、絶対に目標を果たさなければという責任は強いです」

プレーする場所も、時間も、環境も。欲しいものはあらゆる策を講じて手に入れてきた。超わがまま男が次に掌中に収めるものは、どでかいものになりそうだ。

4years.のつづき

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