順天堂大で箱根駅伝を目指し、「フィギュア没収」で一躍注目を浴びた 稲田翔威2
今回の連載「4years.のつづき」は順天堂大学で箱根駅伝を3回走り、「オタクランナー」として全国に認知され、SNSが縁で壽屋(コトブキヤ)に就職、いまは宣伝ランナーとして活動する稲田翔威選手(26)です。4回連載の2回目は、順天堂大学に入ってからのこと、2年生で箱根駅伝を走って全国的に注目されたことについてです。
「ガルパン」との運命の出会い
地元・茨城県常陸太田市から順天堂大学の寮がある千葉県・印西市に引っ越し、稲田の大学生活はスタートした。チーム全体は和気あいあいとした雰囲気で、上下関係も厳しくなく先輩も優しい。申し分ない環境だったが、稲田は親元を離れ、他人と共同生活をする寮生活のリズムになかなか慣れず、タイムも伸び悩んでいた。
練習もきついし、サボりたい……。そんな気持ちになったとき、稲田は「自分はなぜここにいるのか?」と考えるようにしていた。箱根駅伝を走りたい、もっと実力をつけたいからここに来たんだ。自分を客観的に見て考える癖はいつの間にか身につけていたものだという。
中学校の頃から癒やしやリフレッシュの時間にアニメを見ていた稲田。この年、運命的な出会いが訪れた。10月から放映が始まったアニメ「ガールズ&パンツァー(以下、ガルパン)」。茨城県大洗町を舞台に、「女子のたしなみ」として華道、茶道などと並び「戦車道」が存在する世界で、スポーツマンシップにのっとり戦車道を極めようとする主人公と仲間、そしてライバルたちが描かれている。
異色の設定ではあるが、稲田はガルパンに夢中になった。「自分と共通点が多かったんです。まず舞台が大洗で、実際に知っている景色も出てきて。もともとミリタリー系が好きということもあって、戦車が出てくるのにも惹きつけられました。あとは『戦車道』は死者の出ない、スポーツのようなもので、自分もスポーツをやっているのでスポ根的に共感できる部分もあるなあと……」
アニメの放映期間は2012年10月から12月、2013年3月と短い期間であったが、未だに根強い人気を誇っている。稲田もそのファンの一人だ。フィギュアを寮の部屋に飾り、癒やしの時間に眺めるのも習慣になった。1年生のときは結局箱根駅伝の16人のエントリーメンバーには選ばれたが、出走はかなわなかった。
「グッズ没収するぞ!」で走れるように
2年生になっても今ひとつ実力を発揮しきれなかった稲田に、夏合宿で転機が訪れる。ポイント練習で走っている時に、後ろをついてきている車からスピーカーで長門俊介コーチ(現・監督)が「たれたらお前の持ってるグッズ没収するぞ!」と声かけをしてきた。
「長門さんはいつもの冗談まじりの流れで言ったんだと思うんですが、すごく不思議なんですがその言葉ひとつで練習ができるようになったんです」。だが同時に「こいつ、そういうこと言えばできるようになるなって思われたかも」と苦笑する。
もう一つ、稲田には忘れられないエピソードがある。出雲駅伝のメンバー入りし、現地に行ったときのこと。駅伝のメンバーには入れず、駅伝後の記録会でもふるわずだった。その夜、出雲市の方々が主催となって行う「さよならパーティー」でのこと。アメリカの大学から選抜されて来日しているIVYリーグ選抜の選手たちが前に出て踊っているのを見て、長門コーチが「お前、前に出て踊ってこい!」と稲田に声をかけた。
「言われたからにはやるしかない! と思って、前に出てブレイクダンスを踊って戻りました。あとから長門コーチに、『あのときにこいつは殻を破れるなと思った』と言われたんです。自分でもすごく印象深くて、思い出に残るできごとでした」
夢の舞台で出しきれず、まさかの公約が全国区に
11月の全日本大学駅伝で大学駅伝デビューした稲田。5区7位とまずまずの走りを見せ、箱根駅伝前の調子もよかった。16人のメンバーに入り、ついに1月2日、3区で箱根駅伝を走ることになった。走り始めたときから考え続けていた夢の舞台。「今までの大会とは全然違って、沿道の人も多いし、注目度も桁違い。雰囲気に飲まれてしまったかもと思います」
このとき稲田は、長門コーチから「1人抜かれるごとにフィギュア1体没収」と言われていた。だが自分の力を出しきれないうちに終わってしまった。区間15位、2人に抜かされて11位から13位に順位を落とした。翌日の報知新聞に、稲田のレース後のコメントが載った。「1人抜かれるごとにフィギュア1個没収と言われていたので2個取られちゃいます…」。この記事が「厳しいなw」のコメントとともにTwitterにアップされると、声優の白石稔さんの目に止まり、彼が「箱根駅伝はアニメファンの祭典だったか」と引用リツイート。ここで奇跡が起きた。なんと、フィギュアやプラモデルの制作・販売を行う壽屋の公式アカウントが「弊社から補給します。ランナーに優しくありたい」とツイートしたのだ。
結果的にこの申し出を稲田は辞退した。「コトブキヤさんへ。順天堂大学の稲田翔威です。お気持ちは非常に嬉しいのですが、今回没収されたフィギュア2体は、来年の箱根で活躍し、自分の力でフィギュアを奪還したいと思っています。そのときはまた応援のほどよろしくお願いいたします。」とリプライした。
当時、実は長門コーチからはフィギュアを没収されなかったという。「でもけじめとして、2体をマネージャーに預けました。『来年絶対走って取り返すから、預かってくれ』って。でもなかば冗談で話していたことが、こんなに広がって全国的に取り上げられたのは、ちょっとびっくりでした」
自分の走りを、普段ファンとして利用している企業が見てくれている。そのことも稲田の励みになった。「何がきっかけになるか、本当に人生って予想できないですよね」と笑顔で語る。
「目の前の選手がフィギュアに見える」ほど必死に走った
1年後、3年生で迎えた箱根駅伝。稲田の姿は4区にあった。Twitter上の箱根駅伝ファンの間では「昨年フィギュアを没収されたアニメファンのランナー」として認知されていた稲田。1年前は雰囲気に飲まれてしまい力を出しきれなかったが、2回目の箱根駅伝では落ち着いた心境で臨めた。「前日までどう過ごすか、一度経験したことも大きかったです」
襷(たすき)を受け取った稲田は冷静に自分の走りを心がけた。15位でもらった襷を13位で渡し、2人抜きを達成。「自分で言ったことでもあるので、なんとか前の選手を抜こうと必死でした。目の前の選手がフィギュアに見えるぐらい、血眼になりながら走りました(笑)」
有言実行、愛するフィギュアは手元に返ってきた。稲田個人は区間6位と、前年よりも大幅に順位を伸ばした。しかし、チームは12位で、前年の16位に続いて2年連続のシード落ち。2007年の第83回大会で優勝して以来、上位争いからも遠ざかっていた。4年生になった稲田の代は、「箱根駅伝優勝」を掲げてチームの意識改革に取り組んでいくことになる。