陸上・駅伝

連載:4years.のつづき

「優勝」を掲げて臨んだラストイヤーと、驚きの就職決定 稲田翔威3

4年次の夏合宿、先頭で引っ張る稲田(右前、写真は本人提供)

今回の連載「4years.のつづき」は順天堂大学で箱根駅伝を3回走り、「オタクランナー」として全国に認知され、SNSが縁で壽屋(コトブキヤ)に就職、いまは宣伝ランナーとして活動する稲田翔威選手(26)です。4回連載の3回目は、順天堂大学での上級生としての思い出、そして就職先が決まったことについてです。

新チーム始動、「箱根駅伝優勝」を目標に

12位で終わった箱根駅伝。4年生が引退し、稲田は最上級生となった。主将となったのはいまも富士通でスピードランナーとして日本トップレベルの活躍を見せる松枝博輝。新しいチームになるにあたって、2年連続シード落ちの現実が目の前にあったが、話し合いの結果、目標を「箱根駅伝の優勝」に置いた。

「箱根駅伝予選会からのスタートでしたが、『シード権獲得』を目標にするとそこにすらたどり着けないだろう、と。優勝を目指すチームとして、1から動き出そうという話をしました」

優勝を目標にすることで、チーム全体の意識が変わった。練習のみならず、普段の行動や食事なども「優勝のために」というモチベーションで取り組むことで、一人ひとりが考えて行動するようになったという。稲田の目標も「箱根駅伝で活躍すること」、そして「区間賞」だ。トラックやインカレでなく、箱根駅伝を最大の目標に据えた。

4月にはスーパールーキーとして、インターハイ3000m障害(SC)で優勝した塩尻和也(伊勢崎清明、現・富士通)が入学してきた。5月の関東インカレでは松枝が5000m3位、10000m5位と2種目入賞。ハーフマラソンでは3年の聞谷賢人(愛知学院愛知、現・トヨタ紡織)が7位入賞、2年の栃木渡(佐野日大、現・日立物流)が9位、稲田は11位と長距離に強いところを見せた。

背中で見せ、練習を引っ張る

稲田は大学まで、大きなけがをすることなく競技を続けてこられた。それは「なぜここにいるのか」と自分の立場を客観視して見られると同様に、自分の体がどのような状態なのか常にわかっていたからだという。「けがをしてしまうのって、自分の体をわからずに練習をやりすぎてしまうことが多いのかなと思います。僕は昔から感覚で『これ以上やったらまずいな』とかがなんとなくわかっていました」。それは稲田のひとつの才能ともいえるだろう。

当時の順大では、松枝のようなスピードランナーは練習メニューが別になっていることが多かった。そのため、稲田は自然と全体練習を引っ張る立場になった。「もともと先輩・後輩分け隔てなく話すタイプなんですが、競技に関してはアドバイスをする、というよりは背中で引っ張るタイプでした」と笑う。けがをせずに4年間練習を継続できている稲田の姿は、後輩たちの刺激となったに違いない。

箱根駅伝予選会、本戦出場を決めて喜ぶ選手たち(写真は本人提供)

秋になると塩尻が日本インカレ3000mSCでジュニア歴代4位となるタイムで優勝。10月の箱根駅伝予選会では全体の8位で走り、1年生ながら学生トップランナーの仲間入りをした。松枝は18位、稲田は34位と堅実に走り、予選会4位で順大は箱根駅伝に出場できることとなった。11月の全日本大学駅伝でも稲田は5区区間5位。「大舞台で崩れることなく走れる」と陸上専門誌にも評価される存在となった。

長門コーチが企画書を提出、「宣伝ランナー」が現実に

この時期、稲田はすでに就職が決まっていた。4年生になった時に、実業団で陸上を続けるか、陸上をやめて就職するか迷っていたという。その時に声をかけてくれたのもまた長門俊介コーチ(現監督)だ。「せっかくここまで続けてきたのに、陸上をやめるのはもったいないだろう。お前、好きなことを仕事にしながら『宣伝ランナー』として走ってみたらどうだ?」

SNSで壽屋との縁がつながったことは、もちろん長門コーチも知っていた。しかし、壽屋は社員100人程度、陸上部もない。そこに長門コーチは企画書を持ち込んだ。稲田は一人で練習でき、コンディション管理もできる選手。壽屋で扱っているフィギュアをはじめとしたカルチャーへの愛も深い。壽屋に所属し「宣伝ランナー」として走ることは、壽屋のことを今まで知らなかった人に知ってもらうきっかけにもなる……。この企画書を受け取り、今は陸上部担当もしている経営企画室の杉山学さんは「純粋に長門さんの提案が面白いなと思いました」と話す。

卒業式で同期との写真。それぞれの進路に進んだ(写真は本人提供)

実は稲田が2年のときに「フィギュアを補給します」とつぶやいた「中の人」も杉山さん。社長にこの話を持っていくと「『選手』として採るのではなく、壽屋の『生涯社員』として、働きながらだったら良い」という回答だった。面接を経て稲田と会社側の意向が一致し、壽屋初にして唯一の「宣伝ランナー」としての内定を勝ち取った。

最後の大舞台ですべての力を出し切れた

チーム状況も充実した中で迎えた2016年の第92回箱根駅伝。稲田の担当は7区に決まった。この年の公約は「区間賞をとれなかったら『あんこう踊り』を踊る」。あんこう踊りとは、アニメ「ガールズ&パンツァー(ガルパン)」の中で「罰ゲーム」としてキャラクターたちがピンクの全身タイツを身につけて踊ったもの。この公約にネットはまたざわついた。

稲田の給水を担当してくれたのは小盛(左)。社会人を経て入学してきた異色の選手だった(写真は本人提供)

最後の箱根駅伝で任された7区。この区間を稲田は「復路で唯一流れを変えられる区間」だと考え、意気に感じて臨んだ。他校のエントリーメンバーは青山学院大の小椋裕介(現・ヤクルト)、東洋大の櫻岡駿(現・NTN)、駒澤大の西山雄介(現・トヨタ自動車)など、各チームの主力級の顔ぶれだった。「区間賞が目標とは言ってましたが、裏のエース区間とも言える区間だったので、心のなかでは区間賞をとるのは至難の業だな、というのは思ってました」と当時の心境を明かす。

国府津駅から少し離れた場所には、壽屋の杉山さんがガルパンの主人公・西住みほをあしらった応援ボードを持って立っていた。「進む姿は乱れなし 鉄の掟 鋼の心 それが稲田翔威」。西住みほの家が代々受け継いできた戦車道の流派、「西住流」を表す台詞「撃てば必中 守りは固く 進む姿は乱れ無し 鉄の掟 鋼の心 それが西住流」を稲田に向けてアレンジしたものだった。運営管理車から長門コーチが気づき、ニヤリとすると同時に、仲村明監督(当時)に説明してくれたという。

キャラクターを使うにあたって、壽屋は版権にも確認した。つまり「公式」だ(写真提供・壽屋)

結果的に、稲田は1時間4分37秒で区間5位。4年連続7区を走り、2年連続区間賞の小椋裕介には1分29秒及ばなかった。だが、稲田のタイムは翌年だったら区間賞を取れたタイム。「それを考えるとあとからちょっと悔しいという気持ちにはなりましたけど、持っている力はすべて出しきれたので、悔いはなかったです」。チーム順位も9位から5位に上げた。

この年、順天堂大学は総合6位。チームが一つにまとまり、シード権を奪還した。いまも陸上部の同期と一番連絡を取るという稲田。松枝とは住んでいる場所が近いこともあり、月に2~3回ロングジョグをするという。後輩の塩尻とは陸上の話よりも、アニメの話をする「ヲタ友」としてつながり続けている。

4years.のつづき

in Additionあわせて読みたい