サッカー

連載:サッカー応援団長・岩政大樹コラム

大学で働きながら、大学院で学び 岩政大樹がマルチタスクで鍛えたこと

岩政さんは1月に上武大学の准教授とサッカー部の監督に就任し、4月からは筑波大学大学院博士課程の学生になる(撮影・全て松永早弥香)

4月より、大学院生として筑波大学に通うことになりました。久しぶりの受験もいい経験となったわけですが、これからはもっと大変。上武大学で准教授とサッカー部の監督、解説や執筆などと並行して、またやることが増えました。果たして私はこれらをうまく回していくことができるのでしょうか(笑)。

島で育ち、勝つためのサッカーを悟る 元日本代表・岩政大樹さん1

夢に向かって行動する過程にこそ意味がある

大学院合格発表の報を受け、近い人たちに報告していると決まって驚かれました。そして、続いて出てくる言葉は「何のため?」。これに対する私の答えは「何のためでもない。ただ、やってみようと思った」。あまり理解されませんが、本当にただそれだけなんですよね。

以前「夢を持つことは素晴らしい。でも、夢がなくたって構わない」という記事を書いたことがあったかと思います。私は元々、プロサッカー選手になるためにサッカーを頑張っていたわけではなかったために、ことあるごとにそう語っています。夢や目標、目的って何のために必要なのかと問えば、おそらく「それに向かって頑張れるから。努力するから。毎日が充実するから」ということなのでしょうから、結局大事なことは、“頑張ること・努力すること・充実した日々にすること”であって、夢たちはその手段でしかないと思うのです。となると、必ずしも必要ではないですよね。

私は将来の夢(ここで言う夢は職業や具体的な目的)のために日々を過ごさなくても、自分が描く将来像(こうなりたい! こうありたい!)にたどり着けると思っているので、今もただ「面白い」「やってみよう」と感じたら、まず動き出してみる。そんなスタイルで生きています。

監督になった今、学生の自主性を育てることにも力を入れている

島で生まれ育ち、陸上もサッカーも生徒会も勉強も

思い出すのは、中学生だった頃です。私は山口県の島に生まれ、中学校の全校生徒は30人足らずでした。サッカー部は当然ながらなく、私は陸上部に所属(男子は全員陸上部と決まっていた)し、サッカーは週末だけ島のクラブチームでプレーしていました。

サッカー選手になろうなんて夢にも思わなかったので、当たり前に勉強もして、さらに人数が少なかったために生徒会や行事には常に駆り出されて、忙しく過ごしていました。今思うと、よくやっていたな、と思うのですが、中学3年の時は本当に忙しかった。ただ、それが思わぬ方向で私に返ってきました。

陸上で培った体力やジャンプ力はセンターバックとしての基礎へ、コツコツ時間を見つけて最低限をこなした勉強からは思考力や人としての幅に、生徒会での役割も全体を俯瞰(ふかん)する力につながったように思います。加えて、様々なことを同時に回していったことで、時間管理の感覚やそれぞれを別個のものでなくつなげて考えられる人生観も手にできたと思っています。

様々なことを、同時に、一生懸命、取り組む

プロサッカー選手を引退してからの日々は、またあの中学生時代のような日々を送ろうとしてきたところが多分にあります。いや、執筆活動を始めたJリーガー晩年の頃から、そうだったかもしれません。とにかく私はもう一度、様々なことを、同時に、一生懸命、取り組む日々を過ごしてみよう。過ごしてみるべきだと感じたんです。

学生時代もプロ時代も、岩政さんはいろんなことを同時並行でこなしてきた

さあ、それが今後の人生にどうつながっていくのでしょうか。それは私にも分かりません。高校生の時までは思いもしなかった人生がその後にあったのですから、今も想像しても仕方がないでしょう。ただあの時と違うのは、この生き方に「これでいい」と思えているということ。いやむしろ、5年後のことも分からない今の世の中には、“これがいい”のではないか、とさえ。

だから、また私は動きながら将来を考えましょう。自分らしい日々を、丁寧に、積み重ねながら。

サッカー応援団長・岩政大樹コラム

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