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連載:サッカー応援団長・岩政大樹コラム

上武大の勝利と敗北 岩政大樹監督「あの経験があったからこそ」と言える未来を

上武大学サッカー部の監督に就任して、初めてのシーズンが始まった(撮影・全て松永早弥香)

少し前に、誰かが「20代の頃は“何を知っているか”が価値になったけど、40歳くらいになると“何をしてきたか”しか価値がなくなる」とおっしゃっているのを聞きました(見ました?)。なるほどな、と思ったものです。

私も40歳手前になりました。この歳になって、自信をもって自分の言葉でお伝えできることは全て“何をしてきたか”。つまり「経験」です。そうなると、常々ここでお話ししている人としての「幅」「深さ」を考えた時に、“新しい経験“というのはとても大切。監督業を始めた今年も、またそんなことを痛感する日々を送っています。

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「負けた時は監督の責任」

今月、私が指導させていただいている上武大学サッカー部は北関東選手権を優勝しました。しかしその5日後、初の本大会出場を目指した天皇杯群馬県予選決勝で敗れました。監督としての初めての歓喜と初めての挫折を1週間のうちに経験して、私は様々なことを考えました。

サッカーのシステムや戦術はその一端に過ぎません。結局、人がプレーする限り、大事なことは選手たちがいかに前向きに意欲をもって、一つひとつのプレーに挑めるか。そこに私はまだまだ自分の経験不足と落ち度があったと言わざるを得ませんでした。

監督になってから、「負けた時は監督の責任」の言葉を素直に受け止められるようになった

「勝った時は選手たちの功績。負けた時は監督の責任」。これまで何度も聞いたことがある言葉が頭をよぎりました。これまで私はこの言葉を少し斜めからうなずく気持ちでいました。それは確かにそうなのだろうけど、ある面では監督が表向きに話すきれいごとだろう、と。

しかし今回、それは本当だなと思いました。苦しい試合を勝ち切った時は確かに選手たちが勝ち取ったものだったし、苦しい展開を打開するチームにできなかったのは確かに私の力不足によるものが大きかった。だから、この言葉をまず真正面から受け止めることが、私のすべきことだと思いました。

この経験を選手も監督も今後に生かす

こんなちょっとしたことも、私は今経験したからこそ分かることです。経験したからこそ言えることでもあるでしょう。そして、何より監督として私自身が経験したからこそ、次のステップに向かえることでもあると思います。この経験を今後に生かしていかなければなりません。

前向きな言葉を並べていますが、正直に言って、まだ敗戦の傷は癒えていません。学生スポーツは強制的に毎年選手が入れ替わります。「天皇杯に上武大学が初出場を果たす」。そんな“史上初”を達成する目標は、もう叶(かな)わなくなった選手たちがいますからね。吹っ切れるはずがありません。しかし、それがこの世界の常であることもまた事実です。

悔しさを皆が抱え、ここから立ち上がる

悔しさとともにまた歩き出し、いつか「あの経験があったからこそ」と言える未来を迎えるために次に向かう。諦めなければ試合終了はまだ先にあるのです。私たちの戦いも、そして私の監督としての戦いもまだ始まったばかりです。

サッカー応援団長・岩政大樹コラム

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