絶対に失敗できないアジア選手権、「末續世代」と高め合った日々 富士通・澤野大地3
今回の連載「4years.のつづき」は、棒高跳びの日本記録保持者(5m83)で3度のオリンピック(2004年アテネ、08年北京、16年リオデジャネイロ)を経験し、40歳になった現在、東京オリンピックを見据えている澤野大地です。富士通で競技を続ける傍ら、母校である日本大学の専任講師とコーチを務めています。5回連載の3回目は日大4年生の時に出場したアジア選手権についてです。
シドニー五輪を逃し、日本選手権では勝負に徹した
日大2年生の時に澤野は日本選手権2連覇を果たしているが、前回とは違い、勝負にこだわった中での優勝だった。
その00年にはシドニーオリンピックがあったため、澤野も参加標準記録(5m60)の突破を目指していたが、春先にけがをしてしまい、夏になっても記録が伸びなかった。結局、横山学さんが代表に選ばれ、澤野はシドニーオリンピックを逃した。そのシドニーには200mと4x100mリレーに同学年の末續慎吾(当時は東海大2年)が出場。世界の舞台で躍動する末續に「すごいな」「いいな」と感じ、逃したことで改めて「この舞台に立ちたい」という思いが強くなった。
横山さんはシドニーオリンピックで5m55を跳び、予選B組13位だった。その横山さんも10月の日本選手権に出場する。「(シドニーオリンピックに)自分は行けなかったけど、『オリンピック選手に勝ちたい』『意地でも日本選手権で勝ちたい』と思ったんです。大会の1カ月前から生活の全てをそこに合わせて、色々と考えて過ごしていました」。その日本選手権で澤野は前回と同じ5m40で優勝。5m40という記録以上の意味が、この勝利にはあった。
アジア選手権までの1カ月、全てをやりきった
3年生の時に5m52を跳んで日本学生記録を更新。4年生の時にはアジア選手権に出場しているが、当時としては“異例”の抜擢(ばってき)だった。
大学時代は捻挫や肉離れなどけがが多く、6月にあった学生最後の日本選手権も万全な状況では挑めなかった。この大会はアジア選手権代表選考会を兼ねていたため、記録なしだった澤野はメンバーに選ばれないはずだった。しかし棒高跳びの元日本記録保持者でもある中京大学の安田矩明先生は、「澤野は将来、絶対強くなるから今のうちに経験させないといけない」と強化委員会のメンバーに呼びかけ、澤野の代表入りが決まった。「あり得ないことですよね。絶対失敗できない。100%結果を残さないといけないと思いました」
スリランカでのアジア選手権まであと1カ月。同じ寮の友人に声をかけ、練習中の様子を動画に撮ってもらい、その動画を見て意見を交わし、新しい気づきがあればすぐに行動へ移した。自分ができること全てをやり切ろうと決めた。ポールの選択もそのひとつだ。それまではコーチから勧められたものを使っていたが、より反発力が得られる硬いものの方が自分にはいいのではと思い、スピリットのポールに変えた。迎えた舞台で澤野は5m40を跳び、優勝をつかんだ。「なんかそこから自分の競技の向き合い方とか、バイオリズム的なものが一気に好転した感じはありましたね」。この時から澤野はスピリットを使い続けている。
ともに戦ってきた「末續世代」
澤野たち1980年生まれの選手を形容する「末續世代」という言葉がある。110mHの内藤真人さん(アテネオリンピックと北京オリンピックの日本代表)や走り高跳びの醍醐直幸さん(北京オリンピック日本代表)などが同学年におり、末續さん(200m/20秒03)と井村久美子さん(旧姓・池田、走り幅跳び/6m86)、森千夏さん(故人、砲丸投げ/18m22)、川崎真裕美さん(5km競歩/21分27秒、10km競歩/42分50秒、15km競歩/1時間06分12秒)は現在も日本記録保持者である。
学生のころからそれぞれの種目で頭角を現し、同学年の活躍を素直に自分へのモチベーションにすることができた。当時のことを振り返り、井村さんは「みんなで『末續ばっかり目立ってるんじゃないよ!』と笑い話にして、『自分の苗字も呼ばれるように頑張ろう』と言い合っていましたね」と言う。
とくに井村さんは同じ跳躍種目ということもあり、澤野と接点は多かった。自分が伸び悩んでいた高校時代に澤野は高校新記録を打ち立て、インターハイでMVPに選ばれるほどの活躍をしていたこともあり、互いに大学生になって顔を合わせた当初は、澤野に対して敬語を使ってしまったという。「『同学年じゃん!』って突っ込まれました。澤野くんは覚えているか分からないですけど」と井村さん。また井村さんにとって、澤野は「跳躍選手は走れないといけない」という意識を共感できる唯一の選手でもあった。種目こそ違えど、互いの記録がちょうど1m違いだったことをメディアで取り上げられ、井村さんにも競争心が芽生えたという。
「いい時も悪い時もお互いに感じたことを素直に言い合えたし、『また頑張ろう』と気持ちも技術も整理できました。トップ選手が(気持ちが)落ちている時とか、近寄りがたいところがあると思うんです。でも、今しゃべっていいのか、そっとした方がいいのか、肩をたたいていいのかとか、アイコンタクトでお互いのことが理解できたし、澤野くんには何でも相談できました。等身大の自分を理解してくれる、頑張れる原点でした。きょうだいのような、双子のような感じでしたね」
井村さんは2013年に引退し、現在は「イムラアスリートアカデミー」でジュニア世代を中心に指導している。第一線で活躍し続ける澤野の存在は、あの時と同じように今でも刺激になっている。「40歳で日本のトップ選手なんて、もう、『すごいな~』の言葉しかないです。本当に棒高跳びが大好きなんだなって伝わってきますよね」