陸上・駅伝

連載:4years.のつづき

教え子の江島雅紀と目指す日本記録、世界と戦うために6m00へ 富士通・澤野大地5

澤野(右)は江島の将来性を感じて日大に勧誘し、ともに戦ってきた(撮影・松永早弥香)

今回の連載「4years.のつづき」は、棒高跳びの日本記録保持者(5m83)で3度のオリンピック(2004年アテネ、08年北京、16年リオデジャネイロ)を経験し、40歳になった現在、東京オリンピックを見据えている澤野大地です。富士通で競技を続ける傍ら、母校である日本大学の専任講師とコーチを務めています。5回連載の最終回は日大での教え子の江島雅紀(富士通)と日本記録についていです。

日大・江島雅紀 両親の励ましに応えて日本選手権初V、澤野大地へも恩返し

江島と2人、これからは富士通のユニホームで

昨シーズンは新型コロナウイルスの影響で様々な大会が中止・延期となり、目指していた東京オリンピックも延期になった。澤野も心身ともにバランスを崩してしまうこともあったが、それ以前に動きに鈍さを感じていたという。しかし今シーズンは打って変わって調子がいいという。

そんな今年、富士通に江島雅紀が入社した。「不思議ですよね。高校生だった時に(日大に)勧誘して、教え子になってくれて、今度は同じチームに入ってくる。普通はあり得ないですよね」

江島は過去に澤野がもっていたU18とU20の記録を塗り替えており、その先に澤野がもつ日本記録(5m83)の更新も見据えている。そんな江島に、澤野は「(自分の記録を)抜いてもらわないと困ります。早く抜いてください。83で足踏みしないで、早く6(6m00)を跳んでほしいです」と期待を寄せる。世界記録は昨年、アルマンド・デュプランティス(スウェーデン)によって6m18(室内)、6m15(室外)にまで高まっている。「世界では普通に6m00を跳んでいるので、オリンピックや世界選手権で6m00を跳んでも勝てない時代になってきます。江島はそのレベルまでいけるポテンシャルを持っていると信じていますし、そのために私は日大で一緒にやってきたし、彼には日本の棒高跳び界を引っ張っていってほしいなと思っています」

競技力だけでなく、魅力のある人になってほしい

2人が同じ舞台に立つ時は、澤野は自分の跳躍に集中する一方で、コーチとして江島のことを見守っている。試合中、澤野は江島に「いけるよ!」「あとは気持ちだけ!」などと前向きな言葉をかけている。「私は試合の時に何を言ってもしょうがないかなと思っているんですけど、とくに彼の場合は精神的なことがすごく大きいように感じているので、細かいことは言わずに自信を持たせて、澤野はそばにいるよというのを示すようにしています」

自分の競技中も、コーチとして江島(右)に寄り添う(撮影・松永早弥香)

江島は恩師である澤野と2人で東京オリンピックに出場するのが夢だという。そして常々、「棒高跳びの普及にもっと力を入れたい」と口にしている。そんな江島に対し、澤野は「実際に何をやっていけばいいのか。そのためには子供たちの夢にもならないといけないよね。じゃあ、子供たちの夢になるにはどういう言動をしなければいけないのか」と問題提起し、競技力を高めることだけでなく、誰からも愛される魅力のある人になってほしいと願っている。

そんな江島も含め、指導する学生とは倍近く年齢が離れている。「彼らはなにくそって思うだろうし、この歳でもできちゃうんだよというのを見せられるし、対等に戦えて跳べているのは何にも代え難い幸せですね」。棒高跳びが楽しいという気持ちは、競技を始めた中学生の時から一度も変わらない。

日本記録が5m83になったわけ

澤野が05年に記録した日本記録は、澤野自身が持っていた5m80を更新しての5m83だ。なぜ83だったのかが気になっていた。その理由をたずねると、「本当は83でも84でも85でもよかったんです。いつでも超えられる“ひとつの通過点”だと思っていましたから。結局それが16年残っているんですけど」と明かす。

澤野は04年1月にロサンゼルス近郊にあるマウント・サン・アントニオ大学(マウントサック)でコーチのブライアン・ヨコヤマさんに出会い、同年12月にはマウントサックで1カ月程度、合宿に取り組んだ。そこで技術練習を積めたことで室内シーズンから調子も上がり、05年5月、万全な状態で静岡国際を迎えた。

その大会に合わせてアメリカからブラッド・ウォーカーも来日していたため、試合当日の朝食を一緒にホテルで食べて試合に備えた。しかしウォーカーは時差ボケもあって調子が上がらない。一方の澤野は5m70も軽々クリアし、まだいけるという感覚があった。

そこで「ブラッドのベストっていくつだっけ?」とたずね、「5m82」とウォーカー。「なら(5m)83いっていい?」という言葉で盛り上がり、その結果が5m83の日本記録となった。「彼からしたら『このやろう!』ですよね」と澤野。しかし目の前で自分の記録を超えられたウォーカーは、翌06年には6mボウルターの仲間入りを果たし、07年の世界選手権(大阪)では澤野の目の前で5m86を跳んで優勝している。澤野は“火をつけてしまった”わけだ。

自分もスポーツの力を体現し、多くの人に夢を与えたい(撮影・朝日新聞社)

スポーツをする上で年齢を重ねることはリスクを伴う。しかし40歳になった今も、澤野は5m83を超えられない壁だとは思っていない。「40歳で日本新記録って夢がありますよね」と笑う澤野の目は、長く目指してきた6m00もしっかり捉えている。

4years.のつづき

in Additionあわせて読みたい