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連載:アメフト応援団長・コージコラム

実は一度、アメフトを辞めていた! コージ・トクダが初めて明かすその理由(後編)

今を一歩ずつ進んでいく(本人提供)

4years.をご覧の皆様こんにちは。アメフト応援団長のコージ・トクダです。3度目の緊急事態宣言が発令され、各所で予定されていた試合が無くなりました。東京、大阪などの大都市が含まれていることから影響は多大なモノになっています。特に学生達の溢(あふ)れ出るエネルギーの発散場所が無くなってしまったことに悔しさが溢れます。

困難や壁を打ち破る力を

もし、僕が最終学年でこの様に突然試合が出来なくなってしまったらと思うと、「今まで必死に練習したのは何の為(ため)だったんだ」。こう思ってしまうことでしょう。僕達の時は間違いなくそうでした。

でも今は違います。こう考えてみましょう。「試合の為の練習」では無く「人生を豊かにする為の練習」。こうなれば試合はあっても無くても大丈夫。いつか必ずやって来る困難や壁を打ち破る力を身につける為に、今の間に世の理不尽と闘っている。これです。

春の試合も次々に中止になったが、負けない(みらいふ福岡SUNS提供)

僕が学生アメフトを引退して10年以上経つ今でも何を糧に努力出来ているか。それは、「あの試合に勝ったから」ではなく、「あの練習を乗り越えたから」があります。今後の長い長い人生の為にも、今を一歩ずつ進んでいきましょう。

高校時代、続きはどうなった

さて、僕の高校時代の話に戻しましょう。前編では、アメフトを始めて、次第に疑問を抱き、先生に想いを伝えに行ったが失敗する。そんな話でした。今回は後編としてその続きをお話しさせて頂きます。

実は一度、アメフトを辞めていた! コージ・トクダが初めて明かすその理由(前編)

撃沈だった。

先生の言った「他にやりたいことってなんや?」。この言葉が何度も何度も頭の中を駆け巡る。数日間、必死に悩んだ。

「やりたい事はなんなんだろう」

帰宅部になり、友達と遊びたい訳でもない。勉強に集中して国立の立派な大学に進学したい訳でもない。僕は何がしたいんだろう。そう考えてる間も、学校ではアメフト部の先輩や後輩とすれ違う。その時に皆から言われる。

「早く戻って来てくれよ」

その言葉がつらくて仕方がなかった。人数が少ないながらも皆必死になって練習していたのをよく知ってるから。

放課後夕焼けの中、校舎の上からバレない様にアメフト部の練習を見ていた。

「バチン!バチン!」

激しく当たるヘルメットの音を聞きながらひとりで「よくあんなスポーツやってたなぁ。。」と物思いに耽(ふけ)っていた。隣では野球部がキャッチボールをしている。その奥ではサッカー部がパス練習をしている。

その時、ふと頭をよぎった。別にアメフト部を辞めたい訳ではない。アメフトは好きだ。だからって他を嫌いになる必要もない。そうか、、先生が言った「他にやりたい事ってなんや?」の答えが分かった!

「自分の得意なことを探したい」

これだ!!!!

アメフトだけに絞る必要はないだろう。もしかしたら野球で花が開くかもしれない。サッカーのゴールキーパーの才能があるかもしれない。吹奏楽で楽器の才能があるかもしれない。やってみないとわからないだろう。本気でそう思った。

再び、体育教官室へ

次の日の放課後、また体育教官室を訪ねる。毎度のごとく、緊張で30分は扉の前で躊躇(ちゅうちょ)した。汗も垂れてくる。行くしかない。ようやく意を決した。

コンコンッ
先生 「はいー」
いつものあの声だ。
僕 「失礼します」
先生 「おう! 考えたか?」
僕 「はい。先生の言った他にやりたい事が見つかりました」
先生 「なんや?」
僕 「アメフトもやりたいし、野球もやりたいし、サッカーもやりたいし、吹奏楽もやってみたいです」

言った。言ってやった。もはやクーデターだ。そんな高校生、見たことも聞いたこともない。5秒くらいの沈黙があった。とても長く感じた。その空白の時間を先生の一言がズバッと切り裂いた。

先生 「アカン」
グッと歯を食いしばって反論した。
僕 「なんでですか?」
先生 「練習はどうすんねん?」
僕 「曜日で分けて、月曜はアメフト、火曜は野球とかにしたいです」
先生 「そんなんアカンに決まってるやろ。んなら試合はどうすんねん」
僕 「試合もかぶったら、どっちに行くか、その時決めます」
先生 「そんなワガママが通る訳ないやろ」
僕 「……」

反論したかった。でも言葉が出てこなかった。

先生 「気持ちはわかるけど、アメフト部戻って練習やったらいいねん。お前やったら絶対にいいところまでいけるから」
僕 「はい。。もう少しだけ考えさせてください」
先生 「アメフトやったら大学もスポーツ推薦でいける。お前やったらいいところも紹介できる。必死になって頑張ってみ」
僕 「ありがとうございます。失礼します」

言うべきことは言った。弱いながら闘ってはみた。この数日間、必死に自分の人生について悩んでもみた。今やれることはやってみたのかな。そういう想いになっていた。

それから数日後、アメフト部の練習に顔を出した。皆、本気で喜んでくれた。僕も色々な想いを抱えながら必死に練習をした。3年生の時には主将を務めチームを引っ張ることになった。僕を必死に止めてくれた先生も進路について本気で考えてくれた。

弱い力で闘ったことが後の原動力に

そのお陰で当時大学日本一だったチーム「法政大学トマホークス(現オレンジ)」にスポーツ推薦で入ることが決まった。結果的にはあの時、アメフトを続けて良かったと思う。ただ、弱い力ながら闘った事実が、後の原動力になったのは間違いない。僕の高校時代のもう一つのお話。

かけがえのない仲間と(みらいふ福岡SUNS提供)

そして今でもこう思う。「やりたい事は一つに絞る必要はない」と。

いわゆる世の二刀流と呼ばれる人達はどちらの刀も凄(すご)い切れ味を持っています。メジャーリーグの大谷翔平選手(エンゼルス)しかり、野球と水泳を両立させている光永翔音(みつなが・しょうおん)君(日大豊山高1年)しかり。

二刀流は切れ味良くないとダメなのか。僕は思います。「未熟な二刀流でもいいじゃない」。なんだったら刀も持たせてもらえないレベルでもいい。なんの力もないのに両手で闘うんです。やってみないとわからないんだから。今でも高校時代の僕にちょこっと勇気をもらいながら、まだまだ力のない演技とアメフトを必死に頑張っています。

アメフト応援団長・コージコラム

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