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連載:リーダーたちの4years.

沖縄アリーナを甲子園のような地に、バスケは私のどこでもドア 琉球・木村達郎社長4

沖縄アリーナは今年4月に開業し、7月には男子日本代表の国際強化試合の会場にもなった(写真提供・B.LEAGUE)

Bリーグの島田慎二チェアマンが「スーパーマン」と表現するのが、琉球ゴールデンキングスの木村達郎社長(48)です。中学生の時にバスケットボールと出会い、筑波大学を経てエマーソン大学で修士課程を修了。企業でスポーツ映像制作に携わった後、仲間とともに琉球ゴールデンキングスを立ち上げました。連載「リーダーたちの4years.」ではそんな木村社長の大学時代も含めて紹介します。4回連載の最終回は、沖縄アリーナで目指す夢についてです。

社長も図面を引いて作った夢の空間

木村社長の中で新アリーナ建設の思いが強くなったのが、Bリーグの前身であるbjリーグを初めて制覇した2009年のこと。そして14年、多目的アリーナの建設を掲げていた桑江朝千夫さんが沖縄市長に就任して以降、具体的なプロジェクトとして動き始めた。木村社長はアメリカ留学後も定期的に渡米してアリーナを巡り、バスケに限らず、09年に完成した新広島市民球場「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」へ視察に行っては、プロ野球・広島東洋カープオーナーだった松田元さんに話を聞いた。その中で感じたのは、バラエティーに富んだ座席の重要性だ。

「スポーツクラブとしては、やっぱり試合を見てほしいという気持ちが大きいと思うんですけど、お客さんからしたら2時間も同じ座席に座って試合を見るのは結構つらいと思うんですよね。席に座って2時間一生懸命応援しながら試合を見ているというよりは、一歩引いて、試合がメインじゃない時間を過ごしてもらうでもいいのかなと考えるようになりました。家族みんなで応援できるようなテーブル席とか、個室風の席とかも作って。キングスは試合が面白いというよりも、試合会場で楽しい時間を過ごせる。そういう順番で考えています」

誰もが楽しい時間を過ごせるよう、座席の形状にも工夫を凝らした(写真提供・琉球ゴールデンキングス)

アリーナ建設にあたっての図面はもちろん、設計会社や施工会社の建築士が作図したが、木村社長も意見しながら一緒になって考えたという。木村社長はNHK情報ネットワークに就職した後に建築の勉強を始めた。振り返ると筑波大に進学する際も、建築のために理工学群に進むか悩んだ末、バスケのために体育専門学群に進んでいる。琉球を立ち上げる時にはすでに設計図を引くのに用いるCADが使えていたため、事業計画書に記入する観客収益の算出も頭の中でできていたという。

「空間が頭の中で構築できて、数字にも強くなりました。このコートサイドに60席置けるから、チケットが5000円だったらトータルで何万円だなとか積算するのが得意でしたね。私がCADを使って客席配置のレイアウトをしていたから、『なんでできるの?』ってみんな不思議に思っていたと思いますよ(笑)。それからほどなくしてアリーナの設計という機会に巡り合えて、もちろん専門の人が図面を引いたんですけど、私にも意見できるだけの共通言語があったので、『こんなのが日本のアリーナにはあるべきだ』と希望を伝えました。アリーナの計画が具体的になる前から、自分の中でなんとなくのレベルにしてはもっと具体的に『こんな感じがいいな』と思い描いていたものがあったので、それがやっとつながりました」

出来上がったアリーナはホスピタリティーを重視した作りになっており、観客席には4人用テーブル席や2人で向き合うシートなども備え、家族やカップルでも楽しめるようになっている。またビジネス利用もできる30室のスイートルームを備え、真上から見る感覚になるパノラマラウンジも完備。アリーナの天井からは510インチの大型ビジョンが吊り下げられており、様々な空間演出が可能だ。

高校球児が甲子園を目指すように

アリーナ内で提供するフードにもこだわりが詰まっている。スポーツイベント会場では、ホットドッグやポップコーンなどアメリカンな軽食が一般的だが、沖縄アリーナではおでんや牛すじなども提供している。

「年配の方も飽きることなく楽しんでもらえるよう、1杯飲みながらつまみになるようなものも提供できたらいいですよね。座席と同じ考え方で、バラエティーに富んだものをそろえています。確かに言われてみれば、おでんはちょっと沖縄風な味付けかもしれませんね(笑)」

沖縄の人々が気軽に楽しめ、県外の人にとっても観光の一環として楽しめる。そんなアリーナエンターテインメントでの地域貢献を木村社長は目指している。

例えば沖縄観光の一環としてバスケを楽しむなど、様々なエンターテイメントを生み出す場所を目指している(写真提供・B.LEAGUE)

沖縄アリーナは7月7~11日に行われた日本生命カップ2021(AKATSUKI FIVE男子日本代表の国際強化試合)の舞台となり、23年には日本・フィリピン・インドネシアが共催するバスケのワールドカップの1次リーグ開催地にも決まっている。ただ木村社長としては、トップ選手に限らず、バスケにも限らず、多くの選手たちが目指す舞台に沖縄アリーナがなれたらと考えている。

「バスケット以外の競技でもいいんですけど、インターハイの県予選を沖縄アリーナでやってみて、例えば高校球児が甲子園を目指すように選手たちが沖縄アリーナを目指し、その選手たちの同級生や家族も見に来て試合を楽しんでもらう。一生の思い出に残るような体験ができる場所になれたらいいなと思っています。そういう試みをしていくことで、バスケット以外の他の競技にも広げていけたらいいですよね」

沖縄アリーナと琉球ゴールデンキングスは2020-21シーズンのBリーグアワードで、バスケで奇跡を起こすべく、全ての垣根を越えて日本のバスケットボールを盛り上げるよう取り組んできた団体や個人に与えられる「BREAK THE BORDER賞」を受賞した。ただ木村社長の話を聞いて、沖縄アリーナと琉球が目指す挑戦はさらにこれから始まるように感じた。

エリートアスリートではなかったから広がった

最後に、木村社長にとって「バスケットボール」とは。

「バスケットは私のどこでもドア。それこそ、英語を習い始めた中学生の時とか、最初に示される『This is a pen』が理解できなくて、中学1~2年生の頃はテストでいつも落第点でした。成績はいつも1か2。親が心配したのか、バスケットが好きならThe Japan Timesなどにあるバスケット情報なら読むだろうと、私に洋雑誌を手渡してくれました。NBAの解説を英語で聞き始めたのもその頃です。すると中学3年生の時に急に英語が分かるようになって、テストでは満点をとり、成績は5になりました。アメリカ留学もそうです。バスケットに出会って世界が広がり、地図上だけでなく英語で得られる情報量も桁違いに増えました。バスケットには感謝しています」

友達に誘われてバスケに出会い、のめり込み、筑波大では練習初日に選手としての限界を知らされた。ただ今となれば、そこから行動したことでその後の人生が大きく変わったと木村社長は感じている。

「バスケットは好きという以上に、私にたくさんのきっかけをくれた存在です」と木村社長(左)は言う(写真提供・琉球ゴールデンキングス)

「私はエリートアスリートではないですし、むしろ世の中にはそうではない人の方が多いでしょう。だからこそ、その先に広がることもあるんですよ。当時のエリートアスリートと今でも話しますよ。『あの時の木村は何を考えていたのか分からなかったけど、俺も大学時代からもっと考えておけば良かったな』と。エリートだとその競技に夢中になるでしょうし、それはそれで道がつながることもあるでしょう。人生、後で何がどうつながるか分からないですから」

バスケもそう、留学もそう、建築もそう。全て組み立てて計画していたわけではなくとも、好きなものにこだわって突き進んだ結果、後で点と点が線になっていた。大切なことは、どんな環境でもさめない情熱を燃やし続けることだろう。



リーダーたちの4years.

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