全国が遠かった高校時代、引退試合でのある言葉で大学を初めて考えた 千葉・原修太2
今回の連載「プロが語る4years.」は、国士舘大学4年生の時から千葉ジェッツふなばしに加入し、2020-21シーズン、チームメートとともに悲願のBリーグ初優勝を成し遂げた原修太(27)です。2019年からは3x3のTOKYO DIMEの所属選手としてもプレーしています。4回連載の2回目は市立習志野高校(千葉)での最後の試合と、国士舘大との出会いです。
県大会ベスト8止まり、それでも「楽しい3年間」
市立習志野高校(千葉)は全国でもトップクラスと言われる吹奏楽部が有名だが、野球部を筆頭にスポーツが盛んな高校としても知られる。その中でバスケ部は、県大会には出場するものの優勝には手が届かず、最高成績は原がスタメンに起用された2年生の時のベスト8。3年生ではベスト16に終わった。つまり、3年間一度も全国大会を経験できなかったということだ。それでも原は「改めて振り返ってもイヤなことが1つも見つからないほど楽しい3年間でした」と笑う。
「バスケ部の同期は15人いたんですが、15人もいると裏で『あいつ、ちょっとな』みたいな話になりがちじゃないですか。でも、僕らの代はマジでそういうのは全然なかった。ホントに仲が良くて、今でもグループチャットで会話してるぐらいです」
本人いわく「ちょっとサイズがあって、ちょっとシュートがうまい程度だった自分」が3年間でどれほど成長できたかは分からない。更に正直に言えば、県内の強豪校と戦うチャンスがなかったため県内にどんな有力選手がいるのかも知らず、“強さのレベル”さえよく分かっていなかった。「唯一中学の時から知っていたのは小松雅輝(福岡第一高→筑波大)で、小松を応援するために福岡第一と延岡学園の試合は見たことはありました。だけど、同じ高校生でも別の世界の戦いみたいで、単純にすげーなと思って見ていたような気がします」
その年のインターハイ、国体、ウインターカップを制して話題を呼んだ延岡学園(宮崎)は原の言葉通り、確かに「すげーチーム」だった。その中でも強く印象に残ったのはチームを牽引(けんいん)するベンドラメ礼生(サンロッカーズ渋谷)の存在だという。「やっぱり強いチームにはああいう選手がいるんだなぁと思いました。“ベンドラメれいせい”ってホントにすごい選手だなって」。ベンドラメの名前が“れいせい”ではなく“れお”だと知ったのは大学に入ってから。「ホント、そのころの自分はそれぐらい何も知らなかったんですよ」
「できるならお前はバスケを続けた方がいいぞ」
最後の県大会が終了し、バスケ部を卒業した原は、その夏を宅配業者で仕分けのアルバイトをしながら過ごした。もうすぐ始まるインターハイへの興味はさほどなく、「周りのみんながトレーナーを目指して専門学校に行くと言うのを聞いて、自分もそうしようかなぁとぼんやり考えていました」。ただ、大学に進んでバスケを続ける選択肢が全くなかったわけではない。心の奥にはある先生から言われた一言がひっかかっていた。
「最後になった県大会の試合は勝てると思っていました。けど、直前にチームをまとめていたキャプテンが膝のケガで出られなくなっちゃったんです。そいつの分も頑張りたいと思っていたのはみんな同じだと思いますが、結果的に負けてしまって……。あの時はみんなでめっちゃ泣きました」
涙を拭きながらロッカールームに戻ろうとしていた原に声をかけてくれたのは、試合で敗れた拓大紅陵の監督だった。「すれ違う時に呼び止められて、『できるならお前はバスケを続けた方がいいぞ』って言われたんです」。驚く原に向かって監督はこう続けた。「関東大学リーグの1部でやるのは厳しいかもしれないが、2部か3部なら十分できる。考えてみるといいよ」
大学説明会、パッと目に入ったのが「国士舘」
当時の原は大学バスケのことを何一つ知らなかった。関東大学リーグというのがあって、その中に1部とか2部とか3部とかたくさんのチームがあるのか。「考えてみるといいよ」と先生に言われた2部や3部にはどんな大学があるのだろう。その後に自分で調べてみたのは少し気持ちが傾いた証拠だったかもしれない。そして、原の心を決める“出会い”は夏が過ぎたころにやってきた。
「受験シーズンが近づくと、どこの高校でも大学説明会が開かれますよね。体育館にいろんな大学のコーナーみたいなものが設けられて、興味を持った生徒はそこで話を聞くみたいな。で、自分も一応体育館をのぞいてみることにしたんですけど、その時、パッと目に入ったのが入り口の一番近くにあった『国士舘』の名前だったんです」
以前に調べた関東大学リーグ2部のチームの中に国士舘大があったことを思い出す。担当者の話を聞くと指定校推薦の枠が使えることも分かった。「話を聞けば聞くほど、ここいいじゃん!と思えてきて、自分の中ではほぼほぼ国士舘に進む決意が固まりました」
それまで大学の試合を見たことは1度もなかった。もちろん国士舘大がどんなチームなのかも知らない。頭にあったのは2部に所属するチームで学校の指定校推薦が使えるということだけ。それだけで「ほぼほぼ進学の決意をした」のは若干安直ではないかとも思うが、人の人生の分かれ道は案外そんなふうに訪れるのかもしれない。大学説明会をのぞいた原が真っ先に見つけたのが「国士舘」の文字だったみたいに。
「3年間はBチームでコツコツ頑張るつもりでした」
「国士舘に進みたいということは、それから親に相談しました。『一人暮らしをするにはお金もかかるのでバイトもしなきゃいけないよ』とは言われましたが、『自分が決めたのなら頑張りなさい』とも言ってくれて、学校に相談したら指定校推薦もしてもらえることになり、いよいよ国士舘進学が本決まりになったわけです」
国士舘大の試合を初めて見たのは秋のリーグ戦の最終日だった。その試合に勝てば1部との入替戦が決まる大事な一戦。応援席も盛り上がっていたが、残念ながら結果は敗戦。仕方ないこととはいえチームには暗いムードが漂い、「ここで監督に挨拶(あいさつ)するのか」と緊張感が増した。だが、緊張しながら聞いた監督の言葉は今でもよく覚えている。
「まずバスケ推薦ではなく学校の指定校推薦で入った僕のことを監督は知らなかったと思います。だけど、チームにはバスケ推薦以外の選手もいるわけで、監督は『今の4年生にもずっと真面目に努力を重ねてAチームに上がった選手もいるのだからお前も頑張れ』と言われました。とにかく3年間はBチームで頑張れと」
監督の言葉に疑問を持つことは一切なかったという。そうだよなあ。全国から有力な選手が集まってくるんだものなあ。3年間、Bチームで頑張るのは当たり前だよな。むしろ監督の言葉で自分の立ち位置を確認できたような気がした。「4年生でAチームに上がれるように、3年間はコツコツ頑張ろう」。その時、原は素直にそう考えていた。
ところがである。入学前の3月、練習後の体育館で原は監督からこう告げられることになるのだ。
「おまえ、明日からAチームに行け!」
それは初めて参加した新チーム合宿の最終日のことだった。