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連載: プロが語る4years.

Bリーグ開幕直後のけがで「ハラーニ」誕生、2連覇の先で日本代表へ 千葉・原修太4

千葉は2020-21シーズン、初めてBリーグ制覇を成し遂げた(右端が原、写真提供・B.LEAGUE)

今回の連載「プロが語る4years.」は、国士舘大学4年生の時から千葉ジェッツふなばしに加入し、2020-21シーズン、チームメートとともに悲願のBリーグ初優勝を成し遂げた原修太(27)です。2019年からは3x3のTOKYO DIMEの所属選手としてもプレーしています。4回連載の最終回は千葉ジェッツで戦う現在についてです。

Bリーグ元年、チームも自分も大きく変わった

原が千葉ジェッツにアーリーエントリー選手として加入したのは、国士舘大学4年生だった2016年1月。天皇杯が終了してすぐのことだった。「まだNBL時代です。それなりに張り切って練習に参加したんですが、当時のヘッドコーチから名前を呼ばれたことは一度もなくて、多分大学生の僕のことなど何も知らなかったと思います。練習中にやるのはレギュラー選手がシュートを打つ時のスクリーナーになること。チームの一員というよりただの練習生みたいな感じでした」

しかし同年9月にBリーグが開幕すると、チームの様子が一変した。新しくヘッドコーチに就任した大野篤史さんは初日からしっかり原の名前を呼び、安易なミスには遠慮のない怒声を飛ばす。

「ものすごく厳しかったです。その頃の自分は間違いなくチームで一番下手くそで、大野さんからは毎日呼び出されていました。練習が終わると体育館の隅に呼び出されて、足りないものとか修正すべきことなんかを次々指摘されるわけです。きつかったですね。でも、不思議とイヤではなかったんです。変な言い方ですが、大野さんは自分のことを好きなんだと思っていました。言われることはめちゃめちゃ厳しいけど、この人はちゃんと自分を見て、自分のために言ってくれてるんだというのが伝わってきたんです。この人の下でバスケができる自分は『持ってるな』と思いました」

大野HCは原と向き合い続けてくれ、その思いを原も感じ取った(写真提供・B.LEAGUE)

戦線離脱の3カ月間でフィジカルをアップグレード

しかし、ルーキーシーズンが開幕して間もない10月、さあ、ここから!と意気込む原を見舞ったのは右第5中足不全骨折という大けがだった。足首にボルトを入れる手術を受け、全治3カ月と告げられた時、「さすがにガーンと落ち込みました」

そんなある日、原の肩をたたき「せっかく3カ月も時間ができたんだから、オフにできなかったトレーニングを一緒に頑張ろうや」と声をかけてくれたのは、ストレングス&コンディショニングコーチの多田我樹丸さんだ。大学時代は3&D(3ポイントとディフェンス)を武器としてきた原がプロとして飛躍するには、より強いフィジカルが必要になる。多田さんはけがが全治するまでの“せっかくの3カ月”をそのためのトレーニングに充てようと考えたのだ。

ピンチはチャンス。綿密に練られたメニューに沿って鍛えられた原の体は見事にアップグレードし、3カ月後に立ったコートの上で見る者を盛大に驚かせた。その後も原と多田コーチの二人三脚は続き、いつからか原は東山動物園(名古屋)のイケメンゴリラ「シャバーニ」を文字って「ハラーニ」と呼ばれるようになった。「おかげで今はフィジカルで負けることはあまりなくなりました。むしろ自分から体を当てにいくようにしています」と胸を張るハラーニは、もちろんこの名を気に入っている。

ネガティブな出来事も自分次第でポジティブに変換できる

千葉ジェッツで過ごした5年間を振り返れば、当然のことながらつらい時間もたくさん経験した。思うようなプレーができず、期待に応えられない自分の不甲斐(ふがい)なさに泣いた時期もある。3年目のシーズンを迎える前には、潰瘍(かいよう)性大腸炎という難病を患った。1日30回もトイレに駆け込み、腹痛と血便に苦しんだ末、1カ月の入院を余儀なくされた日々、は今思い出しても「つらかったなぁ」と思う。だが、1年目の大けがが「ハラーニ」を誕生させてくれたように、ネガティブな出来事は自分次第でポジティブな結果に変換できるということを知った。

「例えば自分がすごく落ち込んでいた時、目の前で励ましてくれたのは先輩たちの背中です。なかでもイートンさん(伊藤俊亮)、岳さん(荒尾、現・仙台89ERS)、阿部さん(友和、現・富山グラウジーズ)の3人は、例え試合に出られなくても黙々と練習を頑張る人たちでした。どんな時も頑張る。人一倍頑張る。その姿に自分はどれだけ救われたか分かりません。3人とももうチームにはいないけど、自分の中には今でも3人の背中が残っていて、気持ちが落ちた時は一層練習を頑張ろうと思えるようになりました。そうすることでネガティブはポジティブに変換できるんです」

原(左)は先輩たちの姿から、どんな時も練習を継続する大切さを学んだ(写真提供・B.LEAGUE)

かつて「ドリブルもつけないし、ボールハンドリングも悪い」自分に悩んでいた原は、大村将基スキルコーチの指導を受け、そこから多くを学ぶことで自分の苦手を克服してきた。千葉に入ってしばらくは、3&Dを武器に主力を支えるロールプレーヤーのイメージが強かったが、今では堂々主力の1人だ。富樫勇樹のピック&ロールが止められたら、すかさず自分が仕掛ける。そんな原を見られるようになったのは2019-20シーズンの後半あたりだろうか。新たな役割を担い遂行する姿に確かな成長を感じた。「ボールハンドリングは大村コーチのおかげで成長できたという実感があります。プレーの幅が広がり、積極的になったのはそのせいかもしれません」

だが、まだ足りない。まだまだ足りないと思う自分がいる。

「これから目指すのは3ポイントシュートに加え、ガツガツしたプレーを増やすことです。外国籍選手のようにドライブでこじ開けるようなプレーを増やしていきたい。それにはもっと我を出すことが必要ですよね。もっとシュートを打ちたいとか、もっと点数が取りたいとか、ここは俺が決めてやるとか」

その思いは決してセルフィッシュなものではなく、「チームを勝たせるために必要なもの」だと考えている。泣き虫で、人と争うことが苦手で、言いたいことがあっても言えないまま飲み込んでしまっていた自分。そんな自分をコートの上で変えたいのだ。

人生の目標は自分で定め、自分の足で歩いていく

小学校が合併したことでやんちゃで明るいバスケ友達と出会った原は、中学3年生の時に亡くなったじいちゃんが残してくれた縁で、進みたい高校を見つけることができた。大学でバスケを続ける選択肢が芽生えたのは高校最後の試合の後、すれ違った先生がかけてくれた一言。自分を見出してくれる人と出会ったのは大学2年生の時。そして千葉ジェッツでは「この人の下でバスケができるのは幸運」と思える大野ヘッドコーチと、自分に真剣に向き合ってくれるコーチ陣、背中で励ましてくれる先輩たちと出会うことができた。

「なんか不思議なんですよね。自分は会うべき時に会うべき人と出会ってきたような気がします。会うべき人たちはいつも自分を助けてくれて、いい方向に自分を変えてくれたと思うんです」

ディフェンディングチャンピオンとして迎える今シーズン、原はその先に日本代表を見据えている(写真提供・B.LEAGUE)

だからこそ、これからは自分で自分を変えていきたい。前を見据えて、努力を惜しまず、結果を誰のせいにもせず。

「今シーズンのリーグ2連覇はもちろん大きな目標ですが、実は僕にはもう1つ、日本代表に選ばれるという大きな目標があるんです。そのためにも千葉の優勝に貢献して、候補選手として(代表チームに)呼んでもらえるようになりたい。そこをスタートラインにして次のオリンピックを目指したいんです」

一気にそう語った後、「こんなことを言うと無理だと笑われるかもしれないけど」と、小さな声で付け加えた。いや、いや、それは違うよ。今度は遮られる前に大声で伝えよう。しっかり前を向いて歩く原修太の目標を笑う者などいるわけないじゃないか。



プロが語る4years.

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