ラグビー

連載:4years.のつづき

「プロ選手だったと胸が張れるように」35歳での決断 GR東葛・瀧澤直(下)

NECグリーンロケッツ東葛のPR瀧澤直。主将に復帰しチームを鼓舞する(撮影・全て斉藤健仁)

ラグビー新リーグ「NTTリーグワン」のNECグリーンロケッツ東葛で、キャプテンに復帰したPR(プロップ)瀧澤直(すなお)。35歳で生まれ変わったチームを引っ張る。後編は、一度はあきらめたラグビーへの復帰、12年目でプロ選手となり何を残そうとしているのかなどを聞いた。

「週末ラガー」と3度の大学日本一、早大理工学部での5年間 GR東葛・瀧澤直(上)

判子よりトライ

早稲田大学で1年からFW第1列を支えていた瀧澤は当然、NECも含めてトップリーグ(リーグワンの前身)の複数の強豪チームから声をかけられた。ただ、中学校までバスケットボールをしていて高校から新たにラグビーを始めた瀧澤には「違う道が開けた」という感覚があった。そのため、「大学卒業後、ラグビーを続ける幸せもあるが、また新しいことにチャレンジすれば違う幸せもあるんじゃないか……。ビジネスの社会も見てみたい」との思いがあり、一般就職の道を選んだ。

就職活動をするにあたり、商社や広告代理店の試験も受けたが、「特にやりたいことが決まっていなかった」ため、いろんな経験ができて可能性が広がりそうと第一希望だったリクルートに就職することができた。

しかし、4カ月ほど働き、再びラグビーの道に戻ることになる。

スクラムを前に気合を入れる。ラグビーの魅力から離れられなかった

その理由の1つ目は、早大同期のFL(フランカー)豊田将万(当時はコカ・コーラウエスト)が日本代表として秩父宮ラグビー場で試合するのを目の当たりにしたことだった。「早稲田大の同期が日本代表に選ばれて、すごい人たちの中でプレーしている。純粋にうらやましいなあ、格好いいな、自分ももしかしたらその可能性があったのでは……」と感じたことだった。

グラウンドに帰ってきた元日本代表、九州産大女子ラグビー部監督・豊田将万

もう1つは、初めて自分の力で仕事を受注したときだった。先輩社員から「自分で契約書にお客さんから判子をもらって持って帰るときにすごく感動するよ」と言われていた。ただ、実際に仕事を受注した帰り道に「僕の中では(関東大学)対抗戦で勝ったときやトライを取ったときの方が嬉(うれ)しかった」と思ったという。

中途採用に恩を感じ

そこからの行動は早かった。「もう半年経ったらラグビーの道はなくなってしまう。今だったらもしかしたら間に合うかもしれない」。すぐに会社を辞めて、復帰の道を探った。NECが頭に浮かんだ。大学時代に声をかけてもらい、大学5年目の時、日本選手権1回戦で強豪サントリーと引き分けた試合を見て「雰囲気がいいチームだな」と思っていた。NECにいた大学の一つ先輩の権丈太郎に連絡を取ってもらった。

瀧澤は「もしNECに断られていたらラグビーに復帰することは止めよう」と心に決めていた。採用担当から連絡があり、瀧澤を選手として評価していたNECに中途採用という形で入社、再びラグビー選手としての道を歩み始めた。2010年のことだった。

NECでは人事系の仕事や生産管理の仕事をしながら、スクラムを引っ張り14年~17年には一度キャプテンも務めた。中途で採用してもらった恩を感じていたこともあり「30歳までは頑張ろう」と決めていた。そして30歳になったとき、NECの留学制度で3カ月ほどニュージーランド(NZ)のクライストチャーチでプレーしたことに刺激を受け、「ラグビーを武器に、自分の人生に影響があることがやりたい」と海外でのプレーを模索した。

当時は独身で「貯金を切り崩せば2年くらいどうにかなるかな?」という思いで、会社に海外でのプレーをしたいと相談すると「辞めなくていいんじゃない。出張という形で大丈夫だよ」と背中を押してもらった。そして、19年、3週間だったが、アメリカのプロクラブ、オースティン・エリートで試合に出場した。

NZやアメリカでプレーした経験が生きている

アメリカでのプレーの後、再びNZでもプレーした。「文化が違う、言葉が通じない外国でラグビーする事の大変さとか、難しさが身をもってわかりました。『もっとできるのに……』と自分も思ったし、NECにいる外国人選手もそう思っているかもしれない。彼らの能力をもっと引き出してあげられるように、グラウンド以外にも少しでもコミュニケーションを取るようにしています」(瀧澤)

変化を恐れず「必要と言われるまで」

そんなNECだが、トップリーグの最後の2年間はリーグ戦で1勝もできず、低迷してしまった。瀧澤は「過去2年は1人の選手としてもそうだし、若い選手もつらい思いしていたのでは、と感じています。1つのチームになれなかったことが敗因の一つだった。能力とか戦略、メンバーとか関係なく、チームが1つになることが本当の強さにつながってくる。個人的には、外国人とか日本人とか関係なく、1つになるために何かできればいいかな」と話した。

そして今季、リーグワンに参入するにあたり、NECグリーンロケッツ東葛とチーム名が変わり、監督やコーチ陣といったスタッフも一新。さらに15人を超える新戦力も加入した。「若い選手も新しい気持ちになっていますし、勝てなかった鬱憤(うっぷん)を募らせているので、僕も含めて変わることをすごくポジティブに受け入れているし嬉しいですね」(瀧澤)

昨年9月に35歳になった瀧澤は「将来、プロ選手だったと胸が張れるように」と社員選手からプロ選手になると、再びキャプテンにも任命された。経験豊富な瀧澤は「みんな偉そうに引っ張っていくと考えていません。世界を相手にリーダーをしてきた選手や、日本を代表して試合に出ている選手もいますし、若手で将来キャプテンになるような選手もいる。そんな中で、無理しなくてもやっていける、みんなに頼ればいいだけ。僕は自分のやることを100%やることだけです」と謙虚に話した。

トンガ支援のチャリティーTシャツ。新チームでチャレンジすることは多い

リーグワンは各チームが興行権を持ってホストゲームを運営し、ホスト&ビジターで対戦するリーグとなった。つまり地域に密着し、トップリーグ時代よりよりプロ的なリーグ運営を目指している。瀧澤は「新リーグとなり、チームも手探りの部分はありますが、新しいチームに入ったぐらいの気持ちでやっているので楽しみです。まず選手個人としては1試合でも多く出場し、強くなるだろうチームでそれに値する選手になることが目標です。チームとしてはチームが変わる中で強さを出して、1つでも多く勝ってトップ4を目指せるようになりたい」と腕を撫した。

年齢的にはチームで上から3番目のベテランとなった瀧澤だが、プロ選手となり心機一転、ラグビーに真摯(しんし)に打ち込んでいる。「キャプテンとなって矢面に立たせてもらって、誰かの役に立っているならハッピーです。チームに必要だと言われる間は、長くプレーしようと思っています」。アフロヘアーを揺らしながら屈託のない笑顔を見せた。

4years.のつづき

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