ラグビー

リーグワン開幕、負けた試合から学んだこと BR東京・武井日向新主将(上)

リコーブラックラムズ東京のHO武井日向。2年目で主将に就いた(撮影・斉藤健仁)

ラグビーの新リーグ「NTTリーグワン(LEAGUE ONE)」が1月8日から試合が始まる。これまでのトップリーグを発展的に再編し、DIVISION 1(1部)は12チームを2つのカンファレンス(組)に分けて初代王者を決める。注目選手に大学時代を振り返ってもらい、新しいリーグへの抱負を聞いた。1人目はリコーブラックラムズ東京(BR東京)のHO(フッカー)武井日向(ひなた)主将(24)。今季の全国高校大会と全国大学選手権の決勝に勝ち進んだ國學院栃木高校から明治大学でも活躍してきた。前編は、3大会連続で大学選手権決勝を戦った明大時代の経験などから。

國學院栃木高から明大へ

昨季のトップリーグにはルーキーながら8試合(7試合に先発)に出場し、今季から新キャプテンに任命された。また2021年秋は候補選手として日本代表合宿にも参加、現在、伸び盛りの選手である。

武井は実家のすぐ近くに、後に高校、大学の先輩となるFB(フルバック)石井雄大(現セコムラガッツ)が住んでいたため、誘われて小学校3年から佐野ラグビースクールで競技を始めた。國學院栃木高では1年から3年連続で花園(全国高校大会)に出場し3年生の時はキャプテンも務めたが、上位進出はならなかった。「高校では日本一になれなかったので、日本一になりたかった。伝統あるFWのチームだった」ので明大に進学した。

國學院栃木高2年の時、第94回全国高校大会でトライを挙げる(撮影・友田雄大)

身長170cmほどだと将来的にNo.8では厳しいと感じて、HOへ本格的に転向した。武井が明大ラグビー部に入ってまず驚いたのは、毎日、早朝5時半に起きて全体練習をしていることだった。「高校時代は考えられなかったので、すごくビックリしました 」

また全員が寮生活で、4人部屋に慣れるまでは1カ月くらいかかったという。大学1年生の前期はFL(フランカー)桶谷宗汰(東京SG)、後期はCTB(センター)尾又寛汰(三重H)の両4年生と同部屋だった。「最初に入ったときの桶谷さんがめちゃくち優しくて、厳しい上下関係や何か買ってこいなどといったことはまったくなかった」と話す。ただ自分の空間はベッドの上だけしかなく、「一人の時間がないとダメなタイプ」という武井は「もう寮生活はしたくないですね」と苦笑した。

伝統のジャージー洗い

それでも明大ならではの伝統は残っていた。紫紺のジャージーを蛍光灯にかざして光が透けるくらいまで白く、しかも手洗いで、洗っている姿は人に見られてはいけないというものだ。「僕が大学在学しているときも4年間、1年生の仕事でした。ただ『人に見られてはいけないらしいよ』というくらいの感じでそこまで厳しくはなかったですね」

ラグビー面でも大学から本格的にHOになったため、スローイング、スクラムなど新たに学ぶことが多かったという。「先輩HO全員に聞きましたし、レビューもめちゃくちゃしました。2年時から滝澤佳之FWコーチが来たので、いろいろ教えてもらいましたね。特にスクラムでは悩んでいました。今も変わらないですが、4年間、勉強でした。やっていくと次のレベルが見えてくるという感じでしたね」と振り返った。

明治大でHOに転向し1年生から出場した(撮影・斉藤健仁)

スキルやフィールドプレーに長(た)けていた武井はセットプレーにやや難があっても1年生から先発起用された。対抗戦の初戦、日本体育大学戦で2番を背負い、79-0の勝利に貢献しマン・オブ・ザ・マッチにも選出された。「スクラムは全然ダメでしたが、フィールドで評価されていたのだと思います。初めて紫紺のジャージーを着たときは、責任もありますし、こんなに早く着られるとは思っていなかったので、すごく嬉(うれ)しかった!」

ただ1年時は大学選手権の3回戦で22-26と京都産業大学に負けて、不完全燃焼のままシーズンを終えた。2年の時から田中澄憲(きよのり)ヘッドコーチ(HC、現東京SG・GM)が就任し、翌年からは監督としてチームを指揮した。 「キヨさんが来て、大きく変わりました。最初に、マインドセットを変えようという話をしてくれて、本当に日本一目指すチームに 変わっていった」と目を細めた。

チームとして私生活の振る舞いや意識の問題など「本当に大学日本一のクオリティーなのか」ということにこだわり続けた。武井個人としても「挨拶(あいさつ)や礼儀、ファンの方へのふるまい方など、ラグビー以外の人としての成長がものすごくできたと思います」。

初めての決勝、帝京大に1点差に敗れる

2年生の時から3年連続で全国大学選手権の決勝に進んだ。3年の時は22-17で天理大学を下し22大会ぶりに大学王者に輝いた。そんな中、武井の心の中で強く残っている試合の一つは大学2年時の決勝戦だ。帝京大学に20-21で敗れ、前人未到の9連覇を目の前で達成された。

明大2年の時は全国大学選手権決勝で帝京大に敗れた(撮影・朝日新聞社)

「ずっと先発で出ていたのですが、決勝だけセットプレーの信頼がなかったので、リザーブに落とされました。前半リードして、後半、僕が入ってからスクラムでもペナルティーし、ラインアウトもミスがあった。そして、最後にノット・リリース(・ザ・ボールの反則)を取られたのは僕です。誰も何も言ってこなかったですが、自分の中では本当に自分のせいで負けたぐらいの感覚に陥りました」

ただこの負けが武井を大きく成長させることになる。「こんな思いは最後にしたい。もうそんな思いはいたくない」と日々の練習に対する態度が変わったという。翌シーズンの3年時は「自分にフォーカスした」1年を過ごした武井は、明大の中心選手として大学選手権の優勝に大きく貢献した。そして4年になるとキャプテンに指名される。対抗戦で全勝優勝したが、大学選手権決勝戦で35-45と早稲田大学に敗れて連覇はならなかった。

明大3年では大学選手権決勝でもトライを挙げ大学日本一に貢献(撮影・西畑史朗)

「正直言うと、まだ決勝戦、一回も(映像で)見られていないんですよね……。本当に100%の準備をしていたのかといったら、多分そうではないですよね。最悪の状況や満員の新しい国立競技場でパニックになった時にどうするというマインドを持つかなど、想定して準備できていたら……と思います」と今でも悔しそうな表情を見せた。

改めて、大学4年間はどんな時期だったか聞くと武井は「嬉しさだけでなく悔しさも全部入り交じっていたし、なかなかこんな体験を人生でできることもないですし、長い目で見たら、充実した4年間だった」と笑顔で振り返った。

後輩へ「同じ失敗はしない」

明大の後輩にエールをお願いすると武井は「対抗戦の早明戦は応援にいきました。僕らが3年時のときも厳しい山を乗り越えて優勝できた。素質と実力はあるので、同じ失敗をしないように取り組んだら必ず優勝できると思います。頑張ってほしいですね」と語気を強めた。

第55回大会で明大は22季ぶりに大学日本一に返り咲いた。後列右から3番目が武井(撮影・斉藤健仁)

将来はコーチ業に興味があるという武井は「國學院栃木も好きですし少しでも力になれればという思いはありますが、トップリーグ、リーグワンといった高いレベルやいろんなコーチングを経験して、一番は明治大を教えて強くしたい。もし将来、選手を引退した後、声がかかることがあれば断る理由はありません。今から考えてもワクワクします!」とキッパリと言った。

【続きはこちら】「世田谷から活力と感動を」武井日向新主将(下)

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