青山学院大の主将として、いい意味で「力が抜けて」臨んだラストイヤー 安藤悠哉3
大学時代を経てさまざまな分野で活躍される方のお話をうかがう連載「4years.のつづき」。今回は、青山学院大学が大学駅伝史上初めて三冠・三連覇を達成したときの主将、安藤悠哉さん(27)です。4回連載の3回目は、ラストイヤーに主将になったこと、そして出雲駅伝、全日本大学駅伝で優勝したときのことについてです。
自分がキャプテンになることでチームを盛り上げたい
3年生の終わりになると、主将を決める話し合いも選手間で行われる。ほぼほぼ、安藤さんに決まりかけていたが、「自分になるだろう」とどこか浮ついていた気持ちもあったのか、大学に入学して初めて寝坊をして練習に遅れるといったことがあった。「それで『こいつはダメか……』という雰囲気になって、キャプテン決めが振り出しに戻り、箱根が終わるぐらいまでなかなか決まりませんでした。そのあとちゃんと生活を見直したりして、最後は自分がやる、と言った気がします」。豊川工業高校(愛知)でも主将を務めていた安藤さんは、このときなぜ主将に立候補したのだろうか。それを聞くと少し独特の表現で返してくれた。
「キャプテンって、自分的には2パターンあると思っていて。1つは、走力もしっかりあってガンガン引っ張っていくタイプ。もう1つは、『こいつなんか足りないな』『こいつがもっと頑張ったら、チームも上がっていくのに』と思わせるタイプで、僕は後者だろうなと。それで、僕がしっかりとしたキャプテンになれば、他の選手ももっと頑張れるだろうなと思ったんです」
安藤さんが3年生の年も、青山学院大は箱根駅伝総合優勝。注目されるチームの主将ということもあり、さぞプレッシャーもあったのでは? と話を向けると「正直、そこまで感じなかったですね」と笑う。安藤さんの1つ上の代には、小椋裕介(現・ヤクルト)、神野大地(現・セルソース)、久保田和真、橋本崚(現・GMOアスリーツ)ら実績ある選手が多く、特に注目されていた代だった。「僕たちの代は『一色(恭志、現・GMOアスリーツ)とその他』みたいな感じで、そんなに期待されてなくて(笑)。逆に期待されていない分、のびのびとやれたかなと思います」。1つ上の代は目標も「駅伝は全部勝ちます!」という感じだったが、安藤さんの代は、「箱根は勝ちたいから、それ以外も1つずつ勝っていこうよ」という感じで「いい意味で力が抜けてました」と笑う。
出雲駅伝は「生涯ベストレース」
しかしラストイヤーも、けがに悩まされるところから始まった。アキレス腱を痛めてしまい、主将になって早々に走れなかった。治ったと思ったら、また別の場所に痛みがでてしまうという悪循環に入ってしまった。「やっぱり、キャプテンとして走れないのは部員に示しがつかないので、すごくはじめは気にしました。でも他の4年生がすごく頑張ってくれてたので、そこはお願いして、けがをしてくすぶってしまいそうな選手たちに話をしたり、自分は下からチームを上げていこう、と徹するようになりました」。自分もけがをして走れない期間があったからこそ、どういう気持ちでいるかは身にしみてわかっているし、後輩たちも経験者である安藤さんのアドバイスをよく聞いてくれた。「で、1年生のときの僕ほど腐ってる子は、ほとんどいないってわかったんですけど(笑)。みんな、ここからどうしたらさらに上に行けるか、と前向きに考えてくれてましたね」
夏合宿から復帰した安藤さんは、しかし前半シーズンほとんど走れていなかったこともあり、3大駅伝をすべて走れるとは考えていなかった。「だけどなぜか、出雲駅伝前にめちゃくちゃ調子が上がったんです」。出雲駅伝のメンバーに選ばれ、5区6.4kmを担当。2位で襷(たすき)を受け取ると、9秒前にスタートした東海大学の三上嵩斗(現・SGホールディングス)を追った。「あのレースが、生涯でのベストレースですね」と安藤さん。追い風と、三上を追って抜こうという意識もあり、それまでの記録を11秒更新する17分43秒でトップに立ち、アンカーの一色につないだ。そして一色は笑顔で優勝のゴールテープを切った。
大学では初めての区間賞、そして表彰。だが「個人としてというより、チームが勝てたことがうれしかったです」という。4年生、主将として臨む初戦で勝てて、「あれからチームとして乗っていった感じがありますね。もちろん優勝はしたかったけど、そこまで重く感じず走った結果、勝てたんじゃないかなと思います」。ちなみに安藤さんの区間記録は、5年経った今でも破られていない。
全日本初優勝に「ごめん、ありがとう」
続く全日本大学駅伝でも好調を維持していた安藤さん。4区で襷を受け取ったときに前の早稲田大学との差は14秒だった。区間5位とまずまずの走りだったが、前を行く早稲田大の永山博基(現・住友電工)が区間賞の走りをし、トップとの差は1分7秒と大きく開いてしまった。その後、小野田勇次(現・トヨタ紡織陸上部)、森田歩希(現・GMOアスリーツ)が区間賞の走りを見せ、アンカーの一色が49秒差を逆転して全日本大学駅伝初優勝を成し遂げたが、安藤さんの口から出てきたのは「みんなごめんなさい、みんなありがとう」という言葉だった。
「あの時、メンバーに選ばれてない中にも調子がいい選手が何人もいたんです。そういう中で走ったのに、申し訳ないなという気持ちがありました。優勝してくれて本当によかったです」。安藤さん以外にも何人か満足いく結果でなかった選手たちと、ゴール前は気が気でなかったという。「これ、負けたらヤバイよな、俺たちのせいだよなって話してました。勝てたんで、笑い話にしてもらいましたけど」と笑う。
箱根駅伝が近づくにつれて、「もう最後なんだな」という気持ちが日に日に強くなってきた。2年生の時はただただ自分のことしか考えられていなかったが、4年生として迎える段になって、他の4年生、特にメンバーに選ばれていない同期のことを気にかけるようになった。「モチベーションを失ってないかとかが気になってしまって。みんなでいい形で終わりたかったんです」。だが安藤さんの心配は杞憂(きゆう)に終わった。メンバー外の選手も「できることをやりたい」とそれぞれ頑張る意識を持ってくれ、まさにチーム一丸となって箱根駅伝に向かおうとしていた。「本当にいいチームになったな、とうれしかったです」
箱根駅伝前になってもしかし、安藤さんたちは「勝てる」とは思っていなかった。
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次回は明日公開です。