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連載: プロが語る4years.

トヨタから千葉Jへ、大野篤史HC「荒尾は日本一のディフェンダー」千葉J・荒尾岳3

荒尾はより多くのプレータイムを求め、2013-14シーズンを前にトヨタ自動車アルバルクから千葉ジェッツへと移籍した(写真提供・B.LEAGUE)

今回の連載「プロが語る4years.」は、仙台89ERSから4シーズンぶりに千葉ジェッツふなばしに帰ってきた荒尾岳(35)です。4回連載の3回目は2009年に青山学院大学を卒業後、トヨタ自動車アルバルク(当時JBL)でプレーし、13年に千葉Jに移籍した当時のお話です。

青山学院大「期待の新人」は先輩に鍛えられ“その先”を切り拓いた 千葉J・荒尾岳2

得意とするディフェンスをしっかり自分の武器とする

「当時のトップリーグの中でもあれだけ激しいディフェンスをするチームはなかなかなかったと思う」と荒尾が言うように、10年にトヨタのヘッドコーチ(HC)に就任したドナルド・ベック氏は、選手全員にタフなディフェンス力を求めた。スタイルで言えばオールコートの速いバスケではなく、徹底したプレッシャーディフェンスから、確実性の高いオフェンスを組み立てるハーフコートのバスケ。ベルギー、オランダ、ドイツのクラブチームで指揮を執ってきたベックHCのヨーロッパスタイルのバスケは、荒尾にとって新鮮なものであり、同時に自分のディフェンスを再考する機会となった。

「自分で言うのもなんですが、それまでもディフェンスには自信を持っていました。だけど、ベックさんが求めるものはさらにその上をいくもの。練習は超ハードで厳しかったですね。自分のストロングポイントであるディフェンスをもっと磨いてはっきり“武器”と呼べるものにしたいと考えたのはその頃です。武器がなければプロとして生き残れないことに気づいたというか、意識したというか。そのきっかけを与えてくれたのがベックさんのバスケットだったと思います」

方向性が定まったトヨタはリーグ戦で確実に白星を増やし、竹内公輔(現・宇都宮ブレックス)が移籍加入した翌2011-12シーズンには、念願のリーグ優勝を達成する。もちろん荒尾の中にも達成感はあった。しかし、主力としてコートを走る竹内の影で出番が減っていったのは事実。新たにNBLが開幕する2013-14シーズンを前に、4年在籍したトヨタから千葉Jへの移籍を決意したのは、「より多くのプレータイムを求めて」のことだった。

大きく変わった環境の中でプロの在り方を学んだ

今でこそ、Bリーグのビッグクラブの一つに数えられる千葉Jだが、荒尾が加入した当時はまだ発展途上。「練習場所も決まってなくて、今日はこっちの体育館、明日はあっちの体育館という感じでした。観客数も多くて700人ぐらいだったかな。地元の皆さんにジェッツを知ってもらうためにオフには必ず何かのイベントに参加していたし、毎日が結構大変でしたね」。トヨタ自動車という大企業に守られ、その下で不自由なくバスケをしていたこれまでとは大きく違った環境に、移籍当初は戸惑うことも多々あったという。

プロチームの選手として、荒尾(右)はプレー以外にも自分ができることを考えて取り組んできた(写真提供・B.LEAGUE)

「だけど、ネガティブなことばかりじゃなかったです。考えてみれば、千葉Jは自分が初めて経験した“プロチーム”だったんですね。プロチームの選手となればスポンサーさんの獲得やファンへのアピールも重要な仕事になります。ただバスケットだけをやっていればいいわけではない。それにイベントに参加することで地元の人たちにチームを知ってもらえる喜びもあるし、応援してくれるファンとの距離が縮まる楽しさもありました」

環境が変わっても「バスケ選手としてやるべきことをやると」いう姿勢は変わらない。千葉Jに移籍して2年目の2015年、第28回FIBAアジア選手権(現・FIBAアジアカップ)の日本代表メンバーに選出されたことも、そんな荒尾の姿勢が評価された結果と言えるだろう。

富樫が加入、大野HCが掲げた“ハイエナジー”

そして同15年、バスケ界のニュースターと目されていた富樫勇樹が加入したことで千葉Jの注目度は一気に上昇する。「そうですね。富樫が入ってから観客数も着実に伸びるといううれしい変化がありました。でも、本当の意味で千葉Jが大きく変化したのはその翌年、新しいヘッドコーチとして大野(篤史、現・三遠ネオフェニックスHC)さんがやって来た時だと思っています」

大野HCが千葉Jの指揮官に就任したのはBリーグが開幕した2016-17シーズン。就任時のインタビューで口にした「どこよりもハイエナジーなチームを目指す」という言葉通り、富樫を起点とした多彩なオフェンスと足を止めないアグレッシブなディフェンス徹底させることで、常勝チームへの階段を一気に駆け上がった。大野HCがもたらしたものについて荒尾はこう語る

「あのシーズンからチームに活気が出てきたのは間違いないです。大野さんの指導は分かりやすく、目指すものがはっきりしているからみんなが同じベクトルで戦うことができたんですね。あと、大きかったのはメンタルの部分、例えばディフェンスに対するプライドを浸透させることで、手を抜かないという共通意識が強まりました」

就任時に大野HCが掲げた“ハイエナジー”の旗印の下、千葉Jは確実に変化していった。そして、同じく就任時のインタビューで大野HCはこんな言葉も口にしている。

「私は荒尾のことを日本一のディフェンダーだと思っています」

実は前シーズンの荒尾は度重なるケガに苦しみ、Bリーグ開幕時もまだリハビリ中だった。にもかかわらず、ゴール下で躊躇(ちゅうちょ)することなく体を張り、泥臭いディフェンスに徹する荒尾を大野HCは「日本一のディフェンダー」と評し、「チームを変える存在」と言い切ったのだ。有力な外国籍選手の加入が勝敗を左右するという声も聞かれる中で、大野HCが挙げた荒尾岳の名前。そこには新しいチーム作りに着手する新指揮官の理念が示されていたようで、今も深く印象に残る。

大野HC(中央)はディフェンスに対するプライドを浸透させるなど、チームは大きく変わった (c)CHIBAJETS FUNABSHI

どこへ行っても前向きな姿勢で

荒尾が千葉Jに在籍した年数は5年。その間もケガによる離脱やプレータイムの減少など下を向きたくなる出来事はあったが、決して下は向かなかった。以前、大ケガを負った原修太が「どんな状況でも一切手を抜かず黙々と練習する先輩の姿に励まされた」と語っていたが、そんな先輩の1人が荒尾だ。千葉Jから移籍した滋賀レイクスターズ(現・滋賀レイクス)で2シーズン、広島ドラゴンフライズで1シーズンプレーしたが、どんな状況であっても前を向いていた自負はある。

そして、B2仙台89ERSの一員となった昨シーズン、荒尾はコートの上ではもちろん全力を尽くし、オフコートではファンを楽しませる「荒尾先輩」としてチームを盛り上げる役を買って出た。その先にあったのがB2リーグ準優勝と念願のB1昇格。シーズンを通して懸命に戦い、ともに歴史を刻む場に立った仲間たちのことを荒尾は「とても誇らしい」と称(たた)えた。

「千葉が変わるシーズンだからこそ」35歳の自分ができること 千葉J・荒尾岳4



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