勘違いからバスケ部へ、高校で“30秒事件”を経て県ベスト4 滋賀・川真田紘也1
今回の連載「プロが語る4years.」は、滋賀レイクスの川真田紘也(かわまた・こうや、24)です。2021年に天理大学を卒業後に滋賀へと進み、22年には日本代表候補に選出されました。4回連載の初回はバスケットボールとの出会い、城南高校(徳島)時代のお話です。
日本人ビッグマンには珍しい“陽キャ”
身長185cmを越える日本人男性は、全人口のうちたった1%程度しかいないらしい。気づけば人生の半分以上バスケを取材していると、そんな希少な人々と接する機会が普通の人よりもかなり多い自負があるが、身長が高ければ高いほど、コートを離れるとおとなしく、優しげで、控えめな人が増える印象がある。ただ立っているだけで多くの目を集める人生。言動や振る舞いでさらに目立とうだなんて考えもしないのだろう。
さて、今回の主役である滋賀レイクスの川真田紘也は、身長204cmの巨人だ。今回が初めての取材ということもあり、あちこち資料をあたってみたところ、クラブのグッズをPRするために「香水」を熱唱したり、トナカイのマネをしながらコートに入場したり、琵琶湖に浮いたゴザの上を激走したりと、コート外でも猛烈に目立っている。しかも昨シーズンの髪色は「ド」がつく金髪で、現在はなんとなんとの青髪。日本人ビッグマンには珍しい“陽キャ”に違いないと思い、「もともと目立つことが好きでしたか?」と本人にたずねると、「僕けっこう人見知りなんで、実は恥ずかしいんです」と意外な答えが返ってきた。
川真田はなぜ恥ずかしさをおして、オフコートで張り切るのか。
「僕がああいうことをやって、『あの選手面白いな』って思ってくれる人がおったら、そら嬉(うれ)しいやないですか。チームメートが笑ってくれるのも嬉しいし、こういうのをきっかけに『試合を見に行ってみよう』って思ってくれる人が1人でもいたら……って考えたら、吹っ切れてやれちゃうんですよ。金髪も、先輩に提案されてやってみたら『けっこうええやん』って思ったんで続けてました。ハハハ。どれも楽しいし、自分にプラスになってるものばかり。さらに、いろんな人がバスケに興味を持ってくれるきっかけになるんやったら、僕は全然ええなって思っています」
プロバスケ選手になって1年と少し。話を聞いていると、広報活動という言葉を「広告活動」だと勘違いしている節があるような“ひよっこ”だが、川真田はプロアスリートのプレー以外の存在価値を本質的に理解し、楽しんで身を捧げられる。身長だけでなく、そういった意味でも稀有(けう)な存在だ。
ルーキーシーズンの昨季は、出場27試合、平均1.1得点、1.0リバウンドという個人成績にとどまったが、豊富な運動量と強い体、そして接触を厭(いと)わないプレースタイルに夢を見る人は少なくないだろう。今シーズンのオフには初めて日本代表候補に選出され、トム・ホーバスヘッドコーチも「合宿に呼ぶ度にうまくなってる感じで、若いけれど面白い。何年かかるか分からないけど、すごくいい選手になりそう」と、川真田のポテンシャルを高く評価している。
中学でも陸上をするつもりだった
24歳になった今も身長が伸びていると話す、文字通りの“未完の大器”のバスケ人生は、なんとも間抜けなきっかけから始まった。
幼少期から陸上、ラグビー、水泳、テニスなど様々なスポーツに親しんでいた川真田は、小学6年生の時に全国大会で上位に入った走り高跳びを極めるために、中学でも陸上部に入るつもりでいた。しかし、川真田少年の耳に飛び込んだは「陸上部には専門の先生がおらんらしい」という噂(うわさ)。それならば別の競技をやってみるかと、友人から誘われていたバスケ部に入部した。
ここまでは割とよくある話だが、オチがある。川真田は恥ずかしそうに説明した。
「あの……ホンマにポンコツな話なんですけど、バスケ部に入った後、陸上部に指導者がおるって聞いたんですよ。『おったんじゃあ!』ってがっかりです(笑)。そんなポンなミスで始まったのが僕のバスケ生活なんです」
あの時、川真田が噂の真偽をきちんと確かめていたら、プロバスケ選手の川真田はいなかったかもしれない。「運命ですね」と言葉を向けると「まあそうですね。一つの……運命ですね、これが……」と、情けなさそうに笑った。
毎朝10周、走った?成果
中学入学時に170cm台だった身長は、3年間で187cmまで伸びた。「でかいから他の子より出てるだけ、みたいな感じでした」と川真田は振り返るが、3年生での中学総体で徳島県ベスト4という結果を残し、城南高校に進学。当時の思い出を問うと、川真田は「わけが分からんぐらい走った記憶ばっかですね」と話し始めた。
「うちのチームは走力を重視するスタイルで、みんなめちゃくちゃ走らされるんです。でも僕は全然走れなかったから、監督に言われて毎朝学校の周りを10周走ってました。距離はだいたい6kmくらい。当時の僕だと走りきるまでに30~40分かかるんで、7時くらいには学校におらなあかんかったんですけど、やっぱり朝起きられないじゃないですか。起きられんかった時は周数をちょろまかして、先生に『ハアハア……10周走りました……』みたいに報告してました」
走った思い出は止まらない。「そうじゃ、思い出した」と笑いをこらえながら話してくれたのは、“30秒事件”だ。
「高2の時、うちの学校で練習試合があったんですけど、試合始まって30秒くらいで監督に怒られて、『お前はたるんどる。外周10周してこい』って言われたんですよ。わざわざ見張り役の後輩までつけられたのでしっかり10周走って帰ってきたら、『じゃあ試合に出ろ』って。『いや、無理やから!』って思いながらプレーしました」
平日はもっぱらハーフコートでしか練習できなかった。2年生になって代替わりした時は、部員が10人しかおらず、うち2人が初心者だった。そのような環境で、川真田は走りまくって得たスタミナを発揮して試合に出続け、3年生でのインターハイ予選では195cmになった身長を生かしながら、チームのベスト4入りに貢献した。「今振り返ると、ようベスト4まで行けたなあ、ようあんなに頑張れてたなあと思いますね」。遠い目をして振り返った川真田は、いきなり「ブハッ!」と吹き出した。
「高校生はいろいろありますからねえ」。そう濁した思い出話に後ろ髪を引かれつつ、話題を大学時代へと移した。