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連載: プロが語る4years.

コロナ禍で決意、天理大でのラストゲームで魅せたプレー 滋賀・川真田紘也3

学生最後となったインカレで川真田はインパクトを残した(写真提供・FASTBREAKS)

今回の連載「プロが語る4years.」は、滋賀レイクスの川真田紘也(かわまた・こうや、24)です。2021年に天理大学を卒業後に滋賀へと進み、22年には日本代表候補に選出されました。4回連載の3回目は天理大学での最後のインカレについてです。

天理大で知った新たなバスケの魅力、自身初インカレで残った後悔 滋賀・川真田紘也2

コロナ禍で活動休止、卒業後の自分の姿を考え

筆者が川真田のことを知ったのは、彼が天理大4年生でのインカレだった。その年、ぶっちぎりで大会を制することになる東海大学を相手に、22得点9リバウンドを挙げたビッグマンがいると知り、「まだまだ逸材は隠れているものだな」とワクワクしたのをよく覚えている。

振り返ると、川真田は3年生になってようやく頭角を現したものの、緊張に振り回されて思うようにプレーできずにいた。逆転負けを喫した3年生でのインカレ1回戦で、6得点3リバウンドというスタッツにとどまり、「何もできなかった」と激しく悔いた男は、一体どのような1年を過ごしてこのようなパフォーマンスを獲得したのか。話を聞いてみると、卒業後の目標が定まったことが大きかったようだ。

大学1年生の終わり頃に、入学前から志していた教員を「人に教えるのは無理そう」と断念して以降(といっても教員免許は取得している)、キャリアプランがほぼ白紙の状態だった川真田。サラリーマンをしながら実業団でバスケができたら……という薄ぼんやりとした考えを変えたのは、4年目を迎える前に訪れたコロナ禍だった。

「4年生の最初の方に、学校もクラブも休みになった時期があって、『この1年が終わったら仕事をせなあかんのか』って、真面目に卒業後のことを考えたんです。だけど、自分がスーツ着て外回りをしたり、オフィスでパソコンを打ったりしている姿が想像できなくて。やっぱりもっとバスケがしたい。しかももっと上のレベルでやりたいと思って、プロを目指そうと決めました」

コロナ禍の混乱で予定されていた公式戦は軒並み中止となり、プロクラブへの貴重なアピールの場は、秋のリーグ戦と冬のインカレのわずか2大会に絞られた。「この状況で本当にプロになれるだろうか」と不安を抱えながらも、「やるしかねえ」と腹をくくり、自分の持ちうる力をすべてコートにぶつけようという意識を持ってプレー。すると、散々苦しめられた体のこわばりは不思議とほどけていった。

「リーグ戦は結局、半分くらいの試合は良くなかったんですけどね」。川真田はそう笑いながら、「でもまあ3年生の時に比べたら全然良くなって、半分以上の試合で20点くらい取れるようになりました」と振り返った。

スーパースター軍団・東海大相手に「俺が流れを作ろう」

関西1部リーグ戦を準優勝で締めくくり、最後のインカレがやってきた。リーグで好成績を挙げたにもかかわらず、2回戦で、その強さが関西にまで聞こえていた東海大学と当たることを知った時は「2回戦でかよ!」と不運を嘆かずにはいられなかったが、勝ち進めばいずれは必ず戦う相手と気持ちを切り替えた。1回戦の相手は、3年生の時に西日本選手権で敗れた九州共立大学。試合はシーソーゲームの展開になったが、川真田は23得点、13リバウンドという素晴らしいスタッツを挙げて勝利に貢献し、大一番の2回戦へと駒を進めた。

川真田(右)は前回のインカレとは打って変わり、チームを牽引する活躍を見せた(写真提供・天理大学バスケットボール部)

スタメン全員が卒業後にB1クラブに進むことになるスーパースター軍団との対戦で、川真田がマッチアップしたのは、八村阿蓮(現・群馬クレインサンダーズ)や佐土原遼(現・広島ドラゴンフライズ)。「2人ともすごい選手だけど、俺の方が身長がでかい。そのアドバンテージを使って俺が流れを作ろう」と、自らが積極的にインサイドで勝負をしかけ続け、リバウンドに飛び込み続けた。

試合には62-86というスコアで敗れた。悔しさはもちろんあったが、チームが4年間で最も高い場所にたどりつけた上に、日本一のチームに、自分が持ちうる精一杯のプレーが通用したという充実感はかけがえのないものだった。何より、緊張で顔を真っ青にしていた1年前の自分は、もうどこにもいなかった。

学生へ「自分の得意なことをどんどんやっていくのが一番」

インカレ後、川真田は特別指定選手として佐賀バルーナーズに加入した。スペインの名将・ルイス・ギルヘッドコーチの薫陶(くんとう)を受け、彼に導かれるような格好で滋賀レイクス(当時はレイクスターズ)でプロ1年目を過ごした川真田は、思うように自分の力を出せずに悩んでいる学生たちにアドバイスを送る。

「当たり前ですけど、本番って自分がやってきたことしか出ないじゃないですか。だから、できないことは『できない』で割り切って、できることを全力でやるしかないと思うんです。緊張がひどかった時、僕は『何かやらなあかん、何かやらな……』って、できもしないようなことまでやろうとしてたような気がします。何でもいいから、自分の得意なことをどんどんやっていくのが一番やないかと思いますし、それが叶(かな)えられた東海戦はすごく嬉(うれ)しかったですね」

川真田は悔しさもバネにして、大学4年間で大きな成長を遂げた(写真提供・FASTBREAKS)

己の未熟さを受け止め、今持ちうる武器を見極め、それを出し切ることに力を尽くす。すべては自分とまっすぐ向き合うことから始まるのだと、川真田は教えてくれた。

「“4人目の外国籍”みたいな存在に」これからもセンターとして 滋賀・川真田紘也4

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