天理大で知った新たなバスケの魅力、自身初インカレで残った後悔 滋賀・川真田紘也2
今回の連載「プロが語る4years.」は、滋賀レイクスの川真田紘也(かわまた・こうや、24)です。2021年に天理大学を卒業後に滋賀へと進み、22年には日本代表候補に選出されました。4回連載の2回目はバスケットボールへの意識が変わった天理大学3年目のお話です。
夢はバスケ選手でなく教員だった
バスケは高校でおしまいにしようと思っていた。「十分走ったし、もうここでええわ」。とりあえず大学に進学するとして、そこで何をしようか……と思いをめぐらせていた川真田だったが、天理大でバスケを続けることにした。徳島県総体後に行われた四国大会でのプレーが天理大の二杉茂監督(故人)の目に留まり、勧誘されたからだ。
関西の名門チームである天理大は、部員数が80人を超えるような大所帯。川真田と同じポジションのセンターには中国やアフリカ生まれの長身選手もおり、1年生の頃は応援席にいることも多かった。
そもそも、バスケに対する大きなモチベーションもなかった。夢はバスケ選手でなく教員。「誘われたから続けるか~って程度でしたし、Aチームに上がりたいなってくらいしか目標はなかったです」。そんな川真田の意識が変わったのは、3年生に進級する前の春休み。合宿中に同ポジションの選手がケガをし、チャンスがやってきた。「ミスをしたらまたBチームに落ちるかもしれない。もっと気合入れてやらなと思うようになりました」
「ディレイゲーム」を通じて知った喜び
天理大のオフェンススタイルは、オフェンスの制限時間である24秒をじっくりと使ってシュートチャンスを作る「ディレイゲーム」。高校のスター選手が関東の大学に集中する大学バスケ界の状況を受け、地力に勝る相手と互角に戦うために講じられたというこのスタイルは、高校時代に速攻主体のオフェンスしかやってこなかった川真田に、新たなバスケの魅力を教えた。
「高校時代はゴール下でじっくりボールを持って点をとるというよりは、リバウンドをとってガードにパスしたり、ノーマークのシュートを決めるみたいな役割がほとんどでした。天理大はフォーメーションを使うにせよ使わないにせよ、まず1回、センターにボールを渡して、そのままローポストで攻めるか、空いたスペースにパスする、みたいな感じなんです。センターをしっかり使ってくれるし、何より、高校の時みたいにめちゃくちゃに走らんでもいい(笑)。自分に合ってるなって思いました」
ちなみに当時の天理大は、上記のようなディレイゲームを行うために、膨大なフォーメーションを準備していたという。川真田はチームメートとともに、累計数百個におよぶフォーメーションを必死で覚えながら、高校時代にあまり磨いてこなかったポストプレーの個人練習に力を入れるようになり、マークマンと体をぶつけ合いながら得点を決めることに喜びを見出すようになった。
公式戦でナーバスに
仲間のアクシデントで試合に出るチャンスを獲得し、遅まきながら少しずつバスケにのめり込んでいった川真田。しかし、すぐ次のご褒美を与えるほど神様は甘くなかった。身長200cmを超えた大男の眼前に現れたのは、自分よりもさらに巨大な魔物だ。
「僕、緊張しいで、『ちゃんと自分の力を出せるかな』みたいなことを考えていたら、どんどんナーバスになるんです。練習試合やと20点くらいとれるのに、公式戦になるとてんでダメになってしまって、3~4分しか出られなかったです」
4月の関西学生選手権、6月の西日本選手権、秋のリーグ戦。試合前は毎回緊張で体がこわばり、思うようなプレーはまったくできなかった。「お前、顔真っ青やぞ」と先輩に茶化される度に、「そんなん言われたらもっと緊張する。言わんといてくれ」と心の中で懇願した。
天理大として3年ぶり、川真田として初めての出場となった12月のインカレでは、1回戦で早稲田大学と対戦し、ブザービーターでの逆転負けを喫した。留学生や195cm超の長身選手がいない早稲田大が相手だったにもかかわらず、川真田は24分の出場時間で6得点、3リバウンドと、その長身を生かす活躍はできなかった。「(同ポジションのディアラ・)イソフ(現4年、福岡第一)に任せきりで、何もできなかった」と後悔が募った。
「試合前に何をやってもナーバスになってしまって、最初のプレーでその日の出来が決まる感じでした。一発目が良ければいい方向に進むけれど、ダメだったらもうそのまま。頼むから初っぱなだけはうまくいってくれ……って、運に頼るしかなかったですね。あの頃は」
川真田は憂鬱(ゆううつ)そうに振り返った。