「千葉が変わるシーズンだからこそ」35歳の自分ができること 千葉J・荒尾岳4
今回の連載「プロが語る4years.」は、仙台89ERSから4シーズンぶりに千葉ジェッツふなばしに帰ってきた荒尾岳(35)です。4回連載の最終回は盟友・寒竹隼人とともに戦った仙台89ERSから古巣・千葉Jに移籍するにあたり、荒尾が覚悟したことです。
「仙台は最高のチーム。最高の1年間でした」
荒尾が仙台89ERSに在籍した1年をともに過ごした寒竹隼人は、高校時代に初めて選出されたU-18日本代表のチームメートであり、大学時代に選出されたいくつもの日本代表チームでともに戦い、揃(そろ)って入団したトヨタ自動車アルバルク(現・アルバルク東京、当時JBL)では入った寮も同室で、何かにつけて励まし合ってきた盟友である。それから10余年、それぞれの道を歩いてきた2人が再び仙台で出会ったことを寒竹は「マジかよ。また岳と一緒にプレーできるのかよ」と、心の底から喜んだという。
「バスケ人生にはこんなこともあるんだなって、びっくりしました。めちゃめちゃうれしいびっくりでしたね」
だが、寒竹の驚きはそれだけではなかった。
「岳が変わってたんですよ。僕が知ってる岳はのんびりしてて、面白いんだけど、ちょっと人見知りというか、初めて会う人に自分から進んでコミュニケーションを取りに行くタイプではなかったんです。それがですよ。仙台に来た岳はものすごく社交的になっていたんです。すべてのチームメートにまんべんなく話しかけ、チーム全体をすごくいい雰囲気にしてくれました。人って変わるんだなと思いましたね。岳、30歳半ばにして成長してるやんと思いました(笑)」
一方、荒尾は仙台での1年を「最高に楽しいシーズンだった」と振り返る。
「ものすごーくいいチームだったんですよ。みんなで優勝しよう、B1に行こうと気持ちを一つにして、周りには全力で後押ししてくれるファンの皆さんもいて、そういう雰囲気の中で1年間バスケができたことは本当に幸せだったと思います」
シーズン終了後、仙台からは残留の希望があった。自分もまた仙台に愛着があった。それだけに千葉Jから誘いの声がかかった時は「素直にうれしかった」と言うものの、「手放しで『はい、行きます』とは言えませんでした」と言う。それでは最終的に千葉Jへの移籍を決めたもの、決心した理由はなんだったのだろう。
盟友・寒竹に「千葉なら仕方ない」と思わせたもの
周知の通り、今シーズンの千葉Jは大野篤史ヘッドコーチ(HC、現・三遠ネオフェニックスHC)を筆頭にこれまでチームを支えてきた多くのスタッフが退団し、新たなチームビルディングを目指すチームとなった。もちろん、大野HCやコーチングスタッフが残した財産が消えるわけではなく、選手たちがネガティブになる必要もないだろう。だが、新しく迎えたジョン・パトリックHCの下でどんなチームが生まれるのか、“未知”に対するいくばくかの不安があったとしても不思議ではない。
そんな状況の中、荒尾は「千葉が変わるシーズンだからこそ、おまえが必要だと言われたことに心が動いた」と言う。千葉Jを離れてからすでに4年。自分が在籍していた時のメンバーは富樫勇樹、西村文男、原修太の3人だけになった。ましてやHC、多くのコーチングスタッフが入れ替わったとなれば、古巣といえども「ほぼ新しいチームへの復帰」となる。
「その時、思ったんですね。これまでトヨタ、千葉J、滋賀、広島、仙台でプレーしてきた自分が選手として求められるものは同じだった気がするけど、今度は違うんじゃないかと」
5年間在籍した千葉Jは“荒尾岳”をよく知るチームだ。そこから「必要だ」と言われたことは、自分の何かが認められ、その力を貸してほしいということではないか。考えて、考えて、荒尾が出したのは「もう一度このチームの役に立ちたい」という答えだった。その葛藤を一番近くで見ていた寒竹は、心を決めた盟友にこう告げたそうだ。
「千葉なら仕方ない。どこか他のチームだったら俺は全力で仙台に残るように説得するけど、おまえがどんな選手なのかを知っている千葉から必要だと言われたのなら仕方ない。おまえがいなくなるのはめちゃくちゃ痛いけど、俺は笑って送り出すよ」
そして、もう一つ。「こんなことを理由にしちゃいけないんでしょうけど……」と、荒尾が小声でぼそっと口にしたのは、「千葉に移籍することでまた家族が一緒に暮らせるようになるので」という言葉だ。
千葉で暮らす家族と離れ、単身赴任の身となったのは広島に移籍してから。2人の息子は会う度に大きくなっていて、いつもうれしい驚きを与えてくれた。だが、同時に感じたのは何とも言えない一抹の寂しさ。「元気に育ってることはもちろんうれしいんですよ。うれしいけど、思えば自分はちゃんとその過程を見ていないんですね。できることならずっとそばで成長を見ていたいなあって、息子たちに会うといつもそんな気持ちになりました」
千葉Jへの移籍でその願いが叶(かな)う。小声で話す必要などない、しごくまっとうな理由ではないか。長男は6歳、次男は4歳。父に似てやっぱり体は大きいそうだ。「上の子がね、この夏からバスケットを始めたんですよ」。そう教えてくれた声は少し弾んで耳に届いた。
35歳の自分だから気づけるもの、伝えられるもの
“千葉ジェッツの荒尾岳”としての練習が始まる前、今の心境は?と尋ねると「緊張してます」と、笑いながら即答した。「とにかく今は自分にできることは何でもやっていかなきゃならないと思っています。プレーを精いっぱいやるのは当たり前ですが、それ以外にも自分ができることはどんなことでもやっていくつもりです」
荒尾が考える“自分にできること”は「ベテランの俺がこのチームを引っ張っていく」といった大それたものではない。周りの選手の話を聞き、スタッフとコミュニケーションを取り、みんなが気持ちよくバスケができる環境を作ること。
「そうですね。35歳の自分だから気づけたり、35歳の自分だから伝えられること。それは大したことじゃなくて、ちっちゃなことかもしれませんが、そのちっちゃなことを大事にしていきたい。大事にしていこう決めています」
その言葉を聞きながら思い出したのは、すでに“荒尾ロス”になっていると笑った寒竹だ。
「プロになってからいろんなことがあったと思うけど、岳は絶対ネガティブなところは見せない。プレータイムの長さとか関係なく、どんな試合であっても黙々と準備をします。うまく言えないけど、その背中にものすごく安心感があるんですよ。若い選手たちはみんなそれを見ている。背中から何かを学んでいる。岳の存在の大きさはそこにあると思います」
盟友の言葉を聞かせたら、おそらく荒尾は「あはははは」とまたおおらかな笑顔を見せるに違いない。荒尾岳、35歳。4年ぶりに千葉ジェッツのユニホームを身に着けたベテランは自分が思うよりずっと大きな背中を見せながら、14年目のコートに踏み出す。