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連載: プロが語る4years.

中部第一の「地獄の練習」を経て、日本一を目指し青山学院大へ 名古屋D・張本天傑2

中部第一時代、張本は高校界屈指のオールラウンダーとして躍動し、多くの大学から注目されていた(撮影・柏木恵子)

今回の連載「プロが語る4years.」は、男子バスケットボール日本代表として昨夏の東京オリンピックにも出場した名古屋ダイヤモンドドルフィンズの張本天傑(てんけつ、30)です。名古屋は昨シーズン、BリーグCS(チャンピオンシップ)進出を果たしました。4回連載の2回目は、宇都直輝(現・バンビシャス奈良)と過ごした中部第一高校(愛知)時代についてです。

中国での寂しさをバスケで埋め、宇都直輝との出会いで道を変え 名古屋D・張本天傑1

「地獄の練習」で手に入れた精神力と走力

進学した中部第一の練習を張本は今も「あれは地獄だった」と笑いながら振り返る。顔は笑っていても口にしたのは100%本音だろう。例えば授業のない日の練習は険しい山道を走ることから始まる。1時間ほどかけて走り終えると、戻った体育館で待っているのは延々と続くディフェンスのフットワークだ。

「午前中は走って、走って、とにかく走って終わりです。ようやくボールを使った練習が始まるのは午後から。明日は山道を走るらしいという情報はなんとなく伝わるじゃないですか。すると、その日だけ練習休んで逃げ出す選手が出てくるんですね。バスケ部をやめるわけじゃないけど、ランニングの日は練習に来ない。名古屋には東京の山手線みたいに同じ駅を循環する名城線というのがあるんですが、朝からずっとそれに乗って時間を潰す人がいたり、朝イチの新幹線で実家に帰っちゃう人がいたり。今では笑い話ですけど、ランニングのメニューはそれぐらいきつかったということです」

しかし、その地獄のトレーニングを1日も休まず、3年間やりきった選手が3人いた。後に主将になった一戸真と宇都直輝、そして張本天傑だ。中学まで太目だった張本はみるみる痩せていき、周りから「もっと食べて太れ!」と言われるようになった。それほど練習に費やすエネルギーが膨大だったということだろう。が、おかげで手に入れたものはたくさんある。まず強靭(きょうじん)な足腰、次に格段にアップした走力、そして、弱音を吐かない強いメンタルだ。

中部第一で徹底的に足腰を鍛えたことが、プロでになった今にも生きている(写真提供・B.LEAGUE)

「先生(常田監督)には日頃から『メンタルが1番大事』と言われていましたが、あのきつい練習を通して、僕は間違いなく精神的に成長できたと思います。先生とは今も連絡を取り合っていて、たまに『おまえたちがいた頃は俺のバスケット知識が足りなかったせいで走らせてばかりで悪かったなあ』と言われるんですね。でも、僕はあのランニングで走力がついたし、ちょっとやそっとじゃへこたれない精神力もつきました。もう2度とあんな練習はしたくないと思うほどめちゃくちゃきつかったですが、3年間頑張り通して本当に良かったと思っています」

ラストチャンスで悲願のウインターカップへ

中部第一に入ってから変わったのは精神力や走力だけではない。

「プレースタイルそのものが変わりましたね。中学まではまずリバウンドを取ることが一番の仕事で、得点もゴール下が多かったですが、高校では外からドンドンシュートを打つようになって、一言で言えばオールラウンダーという感じになりました。多い時は宇都と2人で100点ぐらい取っていたと思います」

張本たちが入学する前は県のベスト8に入るか入らないかというレベルだった中部第一をインターハイに連れて行ったのも張本と宇都のコンビ。3年連続夏の舞台に上がり、高校最後のウインターカップで悲願の初出場も果たした。だが、張本がインターハイやウインターカップより忘れられないのは高校3年生の東海大会だと言う。

「インターハイ前に行われる東海大会で僕たちは初めて優勝したんです。決勝戦の相手は藤井祐眞(現・川崎ブレイブサンダース)がいた藤枝明誠で、確か97-93ぐらいで勝った試合でした。ずっと点を取り合って、正確には覚えてませんが、97点中僕が47点、宇都が45点取ったような気がします。祐眞も40点以上取ったんじゃないかな。とにかく誰かが点取ってるみたいなすごい試合でしたね。それに勝ち切って初優勝できたことはめちゃくちゃうれしかったです。思い出すと、今もなんか気持ちが高まるというか(笑)、それぐらいうれしい優勝でした」

「ここで優勝の喜びを味わいたい」と青山学院大へ

身長198cmの高さと機動力、力強いリバウンダ―でありアウトサイドシュートの確率も高いとなれば、高校界屈指のオールラウンダーとして大学から熱い視線が集まるのも無理はない。張本の元には早い時期からたくさんのオファーが寄せられたが、決断したのは青山学院大学への進学だった。当時の青山学院大は関東大学リーグで常に優勝を争う強豪チーム。張本は「ここで優勝の喜びを味わいたい」と思った。

吉本完明トレーナーによる厳しいトレーニングの噂(うわさ)は聞いていたが、実際に入ってみると「走ることに関しては中部第一で鍛え抜かれてきましたから、あの地獄に比べたらなんてことなかったです」と笑う。それよりも大変だったのは「体を大きくすること」だった。中学ではかなり太目だった張本が高校の走り込みで「ガリガリになった」ことは先述したが、青山学院大に入学した時の体重は87kg。現在の体重が105kgだと聞けば、いかに細かったか想像できるだろう。

「フィジカルで負けないために体重を増やすことが命題となったんですけど、食べても食べてもなかなか増えないんですね。もちろんただ太ればいいわけじゃなくて、必要な筋肉をつけるためのウェートトレーニングが重要になる。当時の青学には円盤投げで日本3位の実績を持つトレーナーが来てくださっていて、その人の厳しい指導の下、地道なトレーニングを積み重ねていきました。時間はかかったけど徐々に徐々に目指す体に近づけていった感じです」

ウェートトレーニングにも力を入れていた青山学院大で張本は地道な努力を重ねてきた(撮影・柏木恵子)

張本が入学した2010年はまさに青山学院大が黄金期を迎える時期だった。4年生には橋本竜馬(現・レバンガ北海道)、湊谷安玲久司朱(あれくしす、現・BEEFMAN.EXE)、3年生に辻直人(現・広島ドラゴンフライズ)、伊藤駿(現・秋田ノーザンハピネッツ)、2年生に比江島慎(現・宇都宮ブレックス)、同級生には永吉佑也(現・ライジングゼフォーフクオカ)、畠山俊樹(現・越谷アルファ―ズ)、小林遥太(現・仙台89ERS)といったそうそうたるメンバーが顔をそろえ、10年、11年はトーナメント、リーグ戦、インカレをすべて制覇した。

「1年生の時はガードが竜馬さんと伊藤さん、ウイングが辻さんと比江島さん、ゴール下がアレク(湊谷)さんと永吉という強力な布陣で、きれいなバスケをしていたなあと今も思います。その中で自分は比較的自由にやらせてもらって、レベルの高い先輩たちに揉(も)まれて力がついていくのを感じました。2年生から主力として使ってもらうことが増えましたが、試合に出るのはほんとに楽しかったですね。自分たちのバスケに自信を持っていて、どの試合でも負ける気がしなかったです」

しかし、どんな王者であっても“絶対”はない。翌年、張本はその苦さを身をもって知ることになる。

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