アメフト

連載:OL魂

特集:第77回甲子園ボウル

関西学院大・牛尾海 お世話になった先輩たちに、攻め続けるプレーを見てほしい

盟友の占部主将(左の79番)に話しかける牛尾(右、すべて撮影・篠原大輔)

アメリカンフットボールの関西学生リーグ1部は、11月27日の最終戦で6戦全勝の関西学院大学ファイターズと5勝1敗の立命館大学が対戦する。すでに59度目の優勝を決めている関学が勝つか引き分ければ、単独優勝で全日本大学選手権準決勝へ進む。関学が負け、6勝1敗で関西大学も含めた3校が並べば3校同率優勝で、主将による抽選で選手権進出校を決める。関学の牛尾海(4年、啓明学院)はアメフトを始めた中1からずっとOL(オフェンスライン)で10年目。「自分の10年間をすべてぶつけて勝ちきりたい」と、心を燃えたぎらせている。

高3の弟も同じ日に大一番

牛尾には4学年下の弟がいる。啓明学院高校の3年生で、攻守のラインとしてチームを引っ張っている。11月27日は、全国高校選手権関西地区準決勝で大産大附との大一番がある。兄の関立戦と同じ午後2時にキックオフの予定で、牛尾家では頭を悩ませた結果、父が兄の応援、母が弟の応援と二手に分かれることになった。

牛尾は仲間から「アラン」と呼ばれている。それがミドルネームなのだ。母がアメリカ人で、テキサス州ダラスの出身。父がカメラマンを目指してダラスへ留学しているときに出会った。ダラスといえばNFLのカウボーイズ。野球とサッカーをしていた小学生のころから、家のテレビではNFLの試合映像が流れていた。小5の終わりからは受験勉強に力を入れ、第一志望だった啓明学院中学に合格した。

10年のフットボール人生をかける一戦が近づいている

啓明学院中には野球部がなかった。部活をどうしようかなと思っていたら、入学してまもなくあったオリエンテーションで、牛尾のグループのリーダーが中3とは思えない体つきの人だった。それが2020年に関学ファイターズの主将をすることになる、鶴留輝斗(つるとめ・きらと、現・西宮ブルーインズ)さんだった。「鶴留さんはそのときからムキムキの体をしてて、カッコいいなと思いました」と牛尾。「アメフトやってみたら?」と誘われて、入部を決めた。

すぐにラインになったが、最初はただただ痛く、体のあちこちに青あざができた。でも、自分のブロックでできた道をRBが通ったり、パスが通ったりするとうれしいし、それがTD(タッチダウン)になると格別な気持ちになった。「中学の段階で、『自分にはOLが合ってるなあ』という思いはありました」

衝撃を受けた4年生の熱量

啓明学院高に進み、最初は左T(タックル)の控えだった。しかし1年秋、全国高校選手権関西地区決勝という大舞台に立つことになった。3年生の先輩が、進学の関係でその日に東京に行かねばならなくなり、牛尾に出番が回ってきたのだ。しかもいつものTでなくG(ガード)で。必死でGについて勉強して練習して臨んだが、関学に0-17で負けてしまった。いろいろ面倒を見てくれた先輩だったから、勝利の報告をしたかったのに、負けて謝ることになった。先輩はひとこと、「気にすんな」。カッコいいなと思った。2年生になると左Tでスターターとなり、春は関西大会で優勝。秋は全国選手権の関西地区準決勝で関大一に負けた。3年のときは春も秋も関西大会へ進めず、牛尾の高校フットボールが終わった。

継続校推薦で関学への進学は決まっていたが、最初はアメフトを続ける気はなかったという。「ずっとライバルでやってきた関学の選手らと一緒のチームになるのもなあ」。そう思い、トレーニングをしないでいるうちに100kgあった体重が、90kgまで落ちた。でも目標の日本一を達成せずにアメフトをやめるのも気が引ける。啓明出身で当時ファイターズのOLだった藤田統貴(もとき)さんが相談に乗ってくれた。話を聞いているうち、牛尾は「自分が日本一になる最後のチャンスだから、4年間頑張って日本一を達成しないと」と強く思うようになり、入部することにした。

「どこまでも緻密に考え続けるのが関学のOL」と牛尾

19年春に入学すると、牛尾は衝撃を受けた。想像していたよりも練習がハードで、ミーティングは何時間も続いた。最初から1軍メンバーの練習に入れたのはよかったが、OLの1年生では自分だけ。プレッシャーがあり、メンタル面で苦しいこともあった。ただ、森田陸斗さん(現・エレコム神戸)をはじめとした4年生たちの熱量がものすごく、牛尾のためのミーティングを開いてくれたり、事細かに決められた関学OLのテクニックについてグラウンドで丁寧に教えてくれたり。「あのときの4年のOLのみなさんは、気持ちのアツさが桁違いでした。ついていきたいと思ったし、自分に何ができる訳でもないけど勝たせたいと思いました」。左Tの控えとしてではあったが、甲子園ボウルで勝ち、初の日本一を経験した。「スタメンではないけど、人生で一番うれしかった。達成感があった」

ガードのすべてを教えてくれた高木さん

2年生になるとTでうまくプレーできなくなり、戸惑っていたら、OL担当の神田有基コーチに「ガードやってみたら?」と軽い感じで言われた。やってみたら「いけるやん」と言われ、その気になった。下級生のときからOLを支えてきた4年生の高木慶太さん(現・ホークアイ)に、Gのすべてを教わる日々が始まった。先輩と2人で高木門下生となり、練習の2時間前からグラウンドに出て、何から何まで教えてもらった。牛尾はファイターズで一番多くのことを教わったのが高木さんだと思っている。秋の2試合目から左Gのスターターになった。日大との甲子園ボウルで、初めてスタメンで出ての日本一を味わった。

3年生の秋は苦しんだ。試合でのミスがきっかけで試合に出られなくなった。控えとして練習する一方で、1年生を試合に出られるように育てる役割も担うようになった。先輩の負傷で立命との順位決定戦には出たが、それ以降は出番がなく、最終学年を迎えた。

OLの3ポジションすべてやってきた経験が、いま生きている

立候補してOLのパートリーダーになった。再びスターターを取り戻して、5人中3人が抜けたOLの立て直しに貢献するという気持ちで生きてきた。泥臭くランを出し、パスも通させるオフェンスをOLから作っていこうと試行錯誤してきた。春の関大戦では後半の勝負どころ、FG(フィールドゴール)を狙える位置で、関学はあえて4回続けて中央付近のランに出た。首脳陣の「相手もランと分かってる中で進めてみろ」とのメッセージだったが、攻撃権は更新できなかった。牛尾は「あれからずっと苦しかった。どうやってプレーの精度を上げるのか、下級生にどうやって気持ちを高めさせるのか、ずっと考えてました」と振り返る。

長年のライバル・水谷に挑む

負ければ終わりだった今月13日の関大戦。OLの腕の見せどころであるランは、22回で58ydに終わった。「ディフェンスに助けられた試合でした。最初にTDを取ってから全然通せなかった。立命戦へ向け、ランを通すために必要なことを突き詰めてやってきました」

その立命には長年のライバルがいる。DLの水谷蓮(4年、高槻)だ。中3のときに初めて甲子園ボウルの中学生招待試合で当たってから、何度も最前列で勝負を繰り返してきた。「水谷には自分の10年間をすべてぶつけて勝ちきりたい。水谷に勝って、もちろん試合にも勝ちきります」。立命の99番に対し、己のすべてをもって挑む。

関大戦の先制TDに喜び、牛尾は吠えた

いま関学のOLのスターター5人で、4年生は牛尾だけ。人生をかけて立命戦で一緒に戦うことになるであろう4人について、牛尾に語ってもらった。

「右タックルの鞍谷(くらたに)は練習ではめっちゃやってくれるんですけど、普段はのほほんとしてます。4年でタックルやってるヤツがいないので、タックルのメンバーを引っ張っていってくれてます。リーダーシップを出してくれて助かってます」

「右ガードの森永はめっちゃまじめで気むずかしいところもあるんですけど、ファンダメンタルの部分は一番うまいと感じています」

「センターの巽はイジられ役です。でもずっとセンターをやってきたから、センターの細かい部分は一番うまい。僕も今年初めてセンターしたときは巽に教わりました」

「左タックルの近藤はけがが多くて、やっときたって感じです。性格はダラッとしてる感じなんですけど、練習中は声を出してアツくやってます。体のデカさもうまさも人とは違うんで。1年のときにできなかった分、頭の面を補ったり経験を積んだら、もっともっとうまくなる。一番期待してます」

ほとんど試合に出た経験がないのに主将になった占部雄軌(4年、関西学院)の苦労は、同じOLの最上級生として、一番近くで見てきた。「練習の最初から誰よりもアツくやってます。アイツの抱えてる葛藤は、僕が一番分かってる。占部の思いも僕が背負って、立命にぶつかりたい。どんなシチュエーションでも守りに入らず、攻め続ける試合にする。そして、この一年やってきたことが間違いじゃないってのを結果で示したいです」

OLの後輩たちとともに、アニマルリッツにぶつかる

そして占部は言う。「自分がグラウンドで、背中で見せられない分、牛尾がやってくれてる。ほんとに頼りにしてます。年中一緒にいて、ずっと話し合ってきた。牛尾ならやってくれます」

いざ、関立決戦。

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