陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

駒澤大学で箱根優勝メンバーの藤井輝さん 母校・一関学院高校で、指導者の道へ!

今年から一関学院高校の監督に就任した藤井輝さん(左)。教え子の工藤信太朗選手(右)と(写真提供本人)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は藤井輝(ひかる)さんのお話です。駒澤大学時代は箱根駅伝に4年連続で出場し、2度の総合優勝も経験しました。実業団・愛三工業では5度ニューイヤー駅伝に出場。その後、介護の仕事を経て、今年4月、母校・一関学院高校陸上競技部の監督に。就任1年目の今年、3年生の工藤信太朗選手がU20日本選手権3000m優勝を飾り、国体少年A 5000mでは5位入賞。チームも28年連続となる全国高校駅伝出場を決めました。指導者として新たなスタートを切られた藤井輝さんに取材しました。

野球少年から陸上の道へ

岩手県出身の藤井さん。中学3年の夏までは野球部でしたが、合間に陸上の大会にも出場していました。3000mは、9分32秒が中学時代のベストでした。藤井さんの父・正昭さんは全国高校駅伝の1区で区間5位にもなった選手。ちなみに、その年(第24回大会・1973年)の1区で区間賞を獲得したのは、あの瀬古利彦さんでした。

正昭さんの影響もあり、一関学院高校に進んでからは陸上を始めました。「中学で(目立った)結果がなかったので(高校)3年間補欠かなと思っていました」という藤井さんでしたが、1年目から急成長。国体少年B3000mでは、8分33秒と中学時代の記録も約1分更新。「そこからスイッチが入りましたね。恩師のおかげで結果が出るようになりました」とその後につながる走りとなりました。

全国高校駅伝(都大路)では、1年生ながら4区を任されて区間10位。2年生になるとエース区間の1区を任され、区間17位で役目を果たしました。

左から父・正昭さん、藤井輝さん。後輩の阿部豊幸さん。阿部さんの父・豊治さん。父親同士も高校時代に都大路を走ったチームメートです(写真提供:阿部豊幸さん)

3年生になり、インターハイ5000mでも決勝に進むなど、さらに力をつけた藤井さんでしたが、同学年には「四天王」と呼ばれた佐久長聖高校の上野裕一郎さん(現・立教大学陸上競技部男子駅伝監督)、西脇工業高校の北村聡さん(現・日立女子陸上競技部監督)、洛南高校の松岡佑起さん(現・大塚製薬陸上競技部男子部アシスタントコーチ)、大牟田高校の伊達秀晃さんがいました。「4人はもう別格でしたよ。しかも一つ下に佐藤悠基(当時・佐久長聖高校、現・SGホールディングス)、佐藤秀和(当時・仙台育英高校)がいたので、ハイレベルでした」

最後の都大路では、再び1区を走り区間13位。記録は30分00秒ということで「29分59秒でいけなかったところに自分らしさが出てしまいましたね」と悔しさも残ったそうですが、チームの8位入賞に勢いをつけるエースの走りとなりました。

「素人で入って、全国大会の舞台を経験させてもらいましたし、次に箱根っていう夢を持たせていただき、その時の恩師に感謝しています」と当時の小岩光宏監督への感謝を口にされました。

大学時代は、箱根駅伝に4年連続出場

大学は駒澤大学へ。藤井さんが入学する前の箱根駅伝も総合優勝し、3連覇していた年でした。(その後、4連覇を達成)ちなみに、私、M高史は2年生になり、マネージャーとして副務をさせていただいた年に、藤井さんは入学されました。

「最初グラウンドに行った時に、4年生がインターバルをやっていたのですが、正直ビビりました(笑)。うわぁ、速いなぁと。強い大学に入ったという自覚とこの先やれるのかという不安が入り混じっていました」。入学早々は不安も感じていたそうですが、得意な距離走やロードでの走りも光り、1年生から選抜合宿にも選ばれました。

「高校時代からロードが好きだったので、距離走もすんなり入れたと思います。メンバー争いは熾烈(しれつ)でした。そこでまず勝たなければいけなかったので」。1年目からメンバーに入り、8区を走りました。区間14位と悔しい走りとなりましたが、チームは総合優勝、4連覇を達成しました。「チームは4連覇しましたが、結果的にみんなに迷惑をかけてしまいました。最後の遊行寺、あれは地獄でした(笑)。チームに迷惑をかけてしまう焦りで、気が動転していましたが。ただ、あの大観衆の中で走れたのは喜びでしたね」

今でも覚えている6区の後ろ姿

2年生になると山下りの6区へ。先頭と30秒差の2位というプレッシャーのかかる場面で、復路のスタートを切りました。「5連覇の不安もありましたし、初めて挑戦する区間で緊張もありました。5連覇を逃して悔しかったですね。今まで勝ち続けてきたことを崩してしまった責任を感じました」。区間9位と悔しさをにじませた藤井さん。チームとしても悔しい総合5位となりました。

2年生で山下り6区に挑んだ藤井さん

3年生では出雲駅伝にも出場し、箱根では再び6区を走りました。往路7位から巻き返し、途中まで区間賞ペースで前を追います。箱根湯本を過ぎてからペースが上がらず、惜しくも区間賞はなりませんでしたが、区間2位の好走でした。「ラスト3kmでタイムを上げれなかったあたりに自分の詰めの甘さ、自分らしさが出てしまい、区間賞を取れないんだなと実感しました。宮ノ下のあたりは坂が急なので、かなりスピードが出ています。1km2分30秒は切って20秒台でいっています。箱根湯本から緩やかに下っているのですが、そこがキツいんですよ」。6区の過酷さが伝わってきますね。
ちなみに藤井さんの2、3年生の時、私、M高史は主務をさせていただき、大八木弘明監督と運営管理車に乗車させていただきました。藤井さんが最もキツかったという箱根湯本を過ぎてから6区の場合、選手の後ろを車がついていくことができるのですが、大八木監督の檄(げき)を受けて必死で中継所を目指す藤井さんの姿は、今も覚えています。

3年生で挑んだ6区は区間2位の好走

4年生になると主将の安西秀幸さん(現・都道府県駅伝福島県チーム監督)と一緒にチームを牽引(けんいん)する立場になりました。「トラックで結果を出せていなかったので、安西に負担をかけてしまいました。あとは後輩の宇賀地(強、現・コニカミノルタ陸上競技部コーチ)世代に頼っていたなと思います。コミュニケーションの部分では、ミーティングで溜め込まないように意見や気持ちを出し合っていました」

4年生の箱根も3度目となる山下り6区。1分14秒差の2位で復路のスタートを切りましたが、先頭・早稲田大学と差が広がる結果に。その後、9区で逆転し、総合優勝を飾りました。

駒澤大学OB・安西秀幸さん「駅伝優勝請負人」が駆け抜けてきた道!
4年生の箱根では総合優勝。主将・安西秀幸さん(右)とともに表彰を受ける藤井さん(左)

「僕のところでみんなに心配かけて、差も広げられてしまったのですが、優勝できて今でも感謝しています。駅伝って1人じゃないですし、駅伝っていいなと思います。駅伝大好きですね。駒大での4年間は貴重な経験をさせてもらいました。箱根も4回経験できましたし、素晴らしい仲間と素晴らしい指導者に出会えました。大八木監督に言われた言葉は今でも身に染みていますし、今でも生徒たちに伝えています」。仲間や恩師に恵まれて将来につながる4years.となりました。

恩師・大八木監督のご指導のもと、素晴らしい仲間と出会えた4年間とお話されました(左から2番目が藤井さん。私、M高史の姿も)

実業団を経て、介護の仕事に

大学卒業後、実業団の愛三工業で競技を続けました。「自己管理がより求められましたね」という実業団時代は、ニューイヤー駅伝に5度出場。「実業団になるとさらにレベルも高くなりました。それでもとにかく駅伝が好きでしたね。駅伝の魅力は協力するところです。支えあって1本の襷(たすき)をつなぎ、誰かがブレーキしてもカバーする。そういう気持ちが生まれてくるのが魅力ですね」

その後、マラソンにも挑戦しますが「ひざのけがもあり、手術も経験しました。マラソンに向けてなかなか練習を積むこともできなかったですね。びわ湖毎日マラソン(2014年)で引退しました」。29歳で現役を引退し、社業に専念することになりました。

仕事をしながら、会社があった愛知県の小学生、中学生を対象にした陸上クラブの指導をすることになりました。「人を育てること、考えること、行動することなど、楽しかったですね。人に教えるのがとにかく楽しかったです」。思えば、駒大時代から後輩への面倒見の良さを発揮していた藤井さん。当時から指導者への道が見えていたのかもしれません。

現役引退後は小学生、中学生の指導も経験(写真提供本人)

その後転職し、介護の道へ進みました。「母親も介護の仕事をしていました。人付き合いも良いし、面倒見も良いから介護に向いているんじゃない? と勧めもあり、ショートステイを利用される高齢者の方の介護の仕事に就きました」
介護の仕事で特に印象的だったのが「傾聴」でした。「入社した時の教育係の先輩からまず『傾聴』ということを聞きました。『人の話をまず全部聞く』ということで、何よりも自分自身が成長できたかなと思います」

介護の仕事にも慣れ、やりがいを感じていたときのことでした。母校・一関学院高校での監督就任の打診がありました。

「母親にも相談しましたが『介護の仕事は後からでもできるし、指導者は今しかできないから』と言われましたし、職場の方も『これは藤井さんにしかできないこと』と快く応援してくれました」。今年4月、母校・一関学院高校陸上競技部の監督に就任しました。

選手の走りを見守る藤井さん(撮影・M高史)

介護現場で培った「傾聴」の指導

「指導にあたって、介護で経験した『傾聴』がすごく生かされています。生徒とのコミュニケーションを大事にして『けがをする前に、体を整えよう』って話をしますね」

駒澤大の恩師・大八木監督も応援してくださっています。「結果を報告すると喜んでくださいます。大八木さんのようになりたいですね。全然追いつくことはできないですが、日々近づいていきたいです。陸上に対して、子どもたちに対して、情熱を持った指導者になりたいです。自分が冷めていたら、子どもたちに影響が出てしまうので、みんなに情熱を持っているんだよというのを届けていきたいです」

指導1年目ながら、前述した工藤信太朗選手(3年)はU20日本選手権3000mで8分08秒05で優勝。国体少年A5000mでは13分59秒70で5位入賞と成長を遂げました。

駅伝でも、一関学院は岩手県高校駅伝で優勝。28年連覇(優勝は32度目)を果たし、全国高校駅伝出場を決めました。エースの工藤選手は東北高校駅伝でも1区区間賞を獲得し、全国高校駅伝でも得意のラストスパートで1区区間賞を狙っています。

藤井さんと3年生の皆さんと。工藤信太朗選手(右から3番目)を中心に都大路での活躍も注目です(写真提供本人)

「全国高校駅伝に向けては、こどもたちに不安を見せないどっしりと構えた指導者として臨みたいですね。結果にもこだわってやっていきたいです。将来的には、一関学院の過去最高順位である5位を上回りたいですし、大学、実業団に行くときの土台を作れるような指導者になりたいです」

駒大OBの指導者も増えてきています。秋田工業高校の高橋正仁監督、青森山田高校の河野仁志監督は駒大の先輩であり同じ東北の学校ということもあって「意識しています(笑)」とのこと。

ふるさと秋田の陸上を盛り上げたい! 駒澤大OB高橋正仁さんの挑戦
駒澤大OBの河野仁志さん、母校・青森山田高校で指導者に
朝練コースにて。藤井さんの指導者としての挑戦に注目です!(撮影・M高史)

恩師・大八木監督の情熱を受け継いだ藤井輝さん。うれしさも悔しさも味わった競技経験と、介護で培った傾聴や寄り添う気持ちを大切に、指導者として新たな道を現状打破されています!

M高史の陸上まるかじり

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