関西外国語大・矢尾桃子選手 駅伝・マラソンから社会貢献まで活躍「幸せな4年間」
今回の「M高史の陸上まるかじり」は関西外国語大学女子駅伝部の矢尾桃子選手(4年、北陸)のお話です。高校時代は3000m10分03秒と目立った実績はありませんでしたが、関西外大に進んでから日本学生女子ハーフマラソン4位、全日本大学女子駅伝や富士山女子駅伝にも出場しました。先月の大阪国際女子マラソンではネクストヒロイン枠で出場し、2時間34分48秒で学生ラストレースを駆け抜けた矢尾選手にお話をうかがいました。
トライアスロンから陸上の道へ
福井県出身の矢尾桃子選手。3歳年上のお姉さんの影響で5歳から水泳を始めました。「小学3年生からは選手コースに入って、心肺機能も鍛えられましたし、根性も鍛えられました(笑)」。その後、小学6年生からはトライアスロンにも挑戦することに。「姉の中学の先輩がトライアスロンをされていて、全国で活躍されているのに憧れて始めました。水泳の練習をした後にフィットネスクラブのジムでバイクの練習やランの練習をしていました」
中学時代はトライアスロンで全国大会に出場。ところが、全国の舞台ではバイクで転倒するアクシデントに見舞われました。「あきらめずにランも完走したのが印象に残っています。せっかく全国大会に出場したので走りきりました」と転倒にも負けず最後まで駆け抜けました。
高校は北陸高校へ。「北陸高校陸上部の吉田良一先生から声をかけていただき高校から陸上を始めることになりました。北陸高校は部員が60人くらいで短距離や跳躍が強かったのですが、長距離部員は少なくて1人で練習することが多かったです。その時の体調を考えて自分で練習メニューを考えて練習することが多かったです」
都道府県駅伝では福井県代表に選出。「1人で練習することが多かったので、チームとして戦う駅伝の魅力に気づき、駅伝にはまっていきました。(都道府県駅伝では)全国には本当にたくさんの強い選手がいて、今の自分の実力不足を感じましたし、もっと強くなりたいと感じました」
高校時代のベストは1500m4分39秒、3000m10分03秒と目立った実績はありませんでしたが「オリンピックに2回出場している吉田良一先生にたくさん指導していただきました。走る練習だけでなく水泳の練習を取り入れたり、自由にのびのび練習させていただいた思い出があります」と高校3年間を振り返りました。
関西外国語大で大学女子駅伝デビュー
高校卒業後は関西外国語大学へ。「陸上の成績では進めるところがないと思っていたのですが、関西外大の説明会に参加した時に駅伝部への憧れをお話させていただきました。その後、山本(泰明)先生が私のことを調べてくださって声をかけていただきました。関西外大女子駅伝部のSNSを見たりして、すごく楽しそうに生活している姿やチームの明るい雰囲気に『この先輩方と頑張りたい』と思いました」とチームの魅力を感じ、進学を決めました。
入学したての頃は練習量にも驚いたそうです。「JOGも高校では30分程度しかしていませんでしたが、大学では朝練の50分JOGもポイント練習に感じるくらい最初はキツかったです(笑)。1年生の頃は授業数も多くて、5限後に1人で練習することもありましたが、忙しくも充実していました。学校の友達と協力しながら英語の授業も頑張っていました」
杜(もり)の都行きを懸けた関西学生女子駅伝では悔しい走りとなり、チームとしては杜の都出場を逃す結果となりました。「今までで一番悔しい経験でした。その経験があったからこそ(その後)成長できている自分がいます。決して無駄ではなかったです」
その悔しさを晴らすべく富士山女子駅伝で大学女子駅伝デビュー。最短区間の3.3kmを任されました。「今まで1年間、練習してきた先輩方と襷(たすき)を繋(つな)ぐことが本当にうれしかったです。結果はあまり良くなったですが、駅伝の楽しさを改めて感じました。来年こそは良い結果で笑顔で終わりたいと思いました」と悔しさもうれしさも感じた1年目のシーズンでした。
逆境をチャンスに!自主練習で急成長
大学2年生の春、新型コロナウイルス感染拡大により、しばらく自主練習の期間が続きました。「自粛期間は自主練習だったので、その期間はみんなに差をつける時期だと思い、その期間で急成長した部分があります。高校時代に1人で練習していましたし、自然といい練習ができていたと思います」。コロナ禍という逆境をチャンスに変えて矢尾選手は急成長を遂げたのでした。
2年生の富士山女子駅伝では高低差169mの「魔の坂」を駆け上る7区を任されました。「自粛期間中にアップダウンのあるコースを走っていたら、上りが好きになりました(笑)」と話す矢尾選手。区間5位の力走で14位でもらった襷を10位に押し上げました。
圧巻だったのは3月の日本学生女子ハーフマラソン。例年はまつえレディースハーフマラソンと同時開催となりますが、コロナ禍により男子と同様、陸上自衛隊立川駐屯地での周回コースで行われました。
強風が吹き荒れるコンディション。滑走路のため風を遮るものがなく、1人で走っているのに転倒する選手がいたほどの過酷な暴風の中のレースで、矢尾選手は4位入賞を果たします。
「周回コースで、向かい風と追い風が続き、ペース変動が激しいインターバルのようなレース展開でした。今までで一番風が強いレースでしたね。今までやってきた水泳やトライアスロンの経験(体幹の強さなど)も生きているのかなと思います。正直、個人として初めての全国大会で、走る前はまさか入賞できるとは思っていませんでした。驚きが大きかったですが、自分でもできるんだと自信になったレースでもあります」。
ちなみに、関西外国語大学女子駅伝部・山本泰明監督によると矢尾選手は「長い距離、上り坂、向かい風など悪条件に強い」ということで、矢尾選手の強さを発揮するレースとなりました。
3年生では日本インカレ10000mに出場しましたが、けがに苦しんだ時期もありました。それでも「先輩方と駅伝を走りたいと思っていたのは、走れない時も頑張れたモチベーションになりました」
杜の都駅伝ではエース区間の5区を担当。拓殖大学のスーパールーキー不破聖衣来選手(現・2年、健大高崎)とほぼ同時に襷をもらう展開でスタート。
「事前に山本先生から『同じタイミングで来るかもしれない』と伝えられていましたが、まさか同じタイミングで襷をもらうことになるとは(笑)。実力に差があるのはわかっていたので冷静に自分のペースでいきました。(不破選手は)速くて一瞬で見えなくなりました(笑)。初めてのエース区間、最長距離で不安もありましたが、不安をなくすために練習を積んで走ることができました」。5区で区間10位と初のエース区間を全うしました。
駅伝からマラソンへの挑戦
4年生のシーズンはマラソンにも挑戦。10月に杜の都駅伝を走り、11月に福知山マラソンで初マラソン。12月に富士山女子駅伝、1月に大阪国際女子マラソンというスケジュールでした。
「初マラソンは未知の世界でしたが、30kmまでは沿道の声援を力にマラソンを楽しみながら走れました。30km以降はエネルギー切れでマラソンの厳しさ、練習不足を痛感しました」と話されましたが、2時間39分36秒の大会新記録、福井県新記録で優勝を飾りました。前後に駅伝やトラックレースがあった中、大阪国際女子マラソンの練習と位置付けての出場でした。
杜の都では再びエース区間である5区を走って、区間5位に入りました。富士山女子駅伝では3度目の7区で3人抜きの力走。3年連続で7区を走り、合計10人抜きで上り坂の強さを発揮しました。「(富士山女子駅伝7区は)準備が大事です。坂ダッシュや起伏のあるコースを走っていました。また、気持ちの面で不安にならないよう練習量も増やしていました。上り坂が好きになるくらい練習しました(笑)」
続いて学生ラストレースとなった大阪国際女子マラソン。ネクストヒロイン枠として出場しました。
「関西外大のユニホームでのラストレース、いろいろな思いを持ちながら走った42.195kmでした。ネクストヒロイン枠ということで(アスリートビブスに名前が書かれていて)沿道から名前での応援がうれしくて力になりました。2時間35分を目標に、福知山の経験をいかしてマラソン準備をしたいと思っていたのですが、富士山女子駅伝後に少し体調を崩してしまったり、足が気になったりして、万全な準備ができていないまま当日を迎えました。正直不安しかなかったですが、1度マラソンの経験をしているので、頭の中では冷静に最後まで走ることを意識していました」
35km以降はエネルギー切れ。さらに向かい風もあってペースも落ちましたが「苦しくなるのはわかっていたので、目標タイムの2時間35分台は必ず出そうとひたすら前を向いて走っていました」。最後まで粘りきり2時間34分48秒で16位と目標を上回り学生ラストレースを駆け抜けました。
「目標を達成したのはうれしかったですが、後半失速してしまったので、満足のいく結果ではなかったのが正直なところです。これくらいの練習量でこのタイムが出るなら、もっと練習できていたら、さらに上のタイムが出せていたのかなと思います」。まだマラソンに挑戦したいという思いが湧き上がっているそうです。
卒業後は地元で就職し市民ランナーに
卒業後は地元・福井県の企業に就職する矢尾選手。「お仕事の兼ね合いとかでどのくらい走れるかわかりませんが、全国各地のマラソン大会に出場したり、地元の福井県の大会に出場して福井県の大会も盛り上げたりしていきたいです」と意気込みを話されました。
全国各地の市民マラソン大会の中には、優勝すると海外レースに派遣される大会もあります。そのことについては「山本監督からも勧めてもらっています(笑)」。関西外大で英語を勉強してきたのがここでも生きてますね!
「たくさんの方に応援していただいたことが力になって、つらい時、苦しい時も乗り越えることができたので本当に感謝しています。(実業団に進まないということで)『競技を引退するのはもったいない』と言ってくださる方が多くいるのですが、これからも自分らしく市民ランナーとして走り続けたいと思っています。どこまでできるか正直わかりませんが、大阪国際女子マラソンが終わってからは頑張りたいという気持ちになっています。結果を追うだけではなく楽しみながら、自分らしく走り続けたいという思いがあります。走るのが大好きです!」
走るのが大好きという矢尾選手。マラソンはもちろん、富士山女子駅伝の7区で発揮してきた坂道の強さ、暴風の日本学生女子ハーフマラソンで4位入賞した体幹の強さなどから、富士登山競走、激坂最速王決定戦、スカイランニングのバーティカル種目などもかなり強いのでは!と個人的にはつい期待をしてしまいます(笑)
中学時代に取り組んでいたトライアスロンについては「今のところ考えていないですが、家にロードバイクもあるので、ロードバイクは趣味程度にやっていくかもしれません」とのこと。もしランとバイクで競うデュアスロンに挑戦したら絶対強いだろうなぁ…とこちらも勝手に期待をしてしまいます(笑)
「関西外大女子駅伝部では競技はもちろん、競技以外の部分でもいろんなことに挑戦させてもらえる環境でした。留学に行く子がいたり、社会貢献活動させてもらえたり、普段の生活から自分で考えて発言したり行動したり成長できる環境でした。そういうところで身についた力、自分で考える力は今後も生かせると思います」
関西外大女子駅伝部ではチーム内で委員会を組織しており、矢尾選手も1、2年生では広報委員会、3、4年生ではデータバンク委員会に所属。他のチームではマネージャーさんや監督・コーチがやるようなことにも取り組んできました。日本陸上競技連盟のSDGsプロジェクトにもチームで取り組み、同級生の橋本萌選手(4年、香川西)と代表して表彰式にも出席しました。
「たくさんの方々に支えていただいて、いろんなことに挑戦させてもらって、いろんな景色を見させてもらった幸せな4年間でした」と充実した4years.となりました。
そして、関西外大女子駅伝部の後輩の皆さんへメッセージも。「私自身、高校時代全く無名の選手で3000mも10分かかっているくらいでした。それでも自分を信じてしっかり目標を持って努力し続ければ、自分の目標は必ず達成できるということを大学4年間ですごく実感しました。恵まれている環境に感謝しながら努力し続けてほしいですし、自分の可能性を信じて頑張ってほしいです」と後輩思いな熱いエールをいただきました。
仲間と切磋琢磨(せっさたくま)し、競技にも社会貢献活動にも打ち込んできました。この春、社会人として新しいスタートを切る矢尾桃子選手の挑戦に注目ですね!現状打破!