亜細亜大OG・白椛みずきさんの恩返し マネージャー・主務の経験、社会人でも生かす
今週の「M高史の陸上まるかじり」は白椛みずきさんのお話です。亜細亜大学女子陸上競技部ではマネージャー、4年生だった昨年度は主務としてチームの22年ぶりとなる全日本大学女子駅伝出場や2年連続の富士山女子駅伝出場をサポートしました。卒業後は、母校・亜細亜大学の職員に。主務から大学職員へ。社会人になって感じるマネージャー時代の経験についてお話を伺いました。
入部のきっかけとなった大学1年の夏
2001年生まれ、岩手県出身の白椛さん。中学・高校では、陸上部で中・長距離をしていました。
「母と姉が陸上部だったこともあって、陸上を始めました。自分の中で一番やりきったのは中学の県駅伝で区間賞をとったことですね」。トラックレースよりも駅伝の方が得意だったそうです。
高校は不来方(こずかた)高校へ。「初見ではなかなか読めないですよね(笑)『ふらいほうでしょ?』ってよく聞かれたりします。高校時代はけがが続いて、思うように走れなかったです。自分でメニューを立てたりしていたのですが、どちらかというとそちらに面白みを感じていました。自主性が求められますし、楽しかったです」
高校卒業後は亜細亜大学へ。大学では最初、特に部活やサークルに入らず、普通の大学生としてのキャンパスライフが始まりました。そんな大学1年生の夏、転機が訪れました。
「同じ学部で女子陸上部の広瀬はるか、南舞鳥と仲が良くて、誘われたのがきっかけです。見学に行くまで、何か新しいことを始めるのが心配で渋っていたのですが、行ってみようかなと。実際、すごく楽しかったんです。見学ということで見るだけだと思っていたら、その時マネージャーさんが1人しかいなくて、忙しそうで実際にマネージャー業をやらせてもらいました。自分も陸上をやっていたので、給水だったり準備など、何となくイメージがついていて、割とスムーズにできました。そうしたら選手から『マネージャーやってたの?』と言われたのをすごく覚えていますね(笑)」
そこからとんとん拍子で、1年生の夏、正式にマネージャーになりました。
マネージャーの仕事とやりがい
改めて、大学女子駅伝チームのマネージャーの役割について伺いました。
「スタート時間が決められているので、1時間前に行って練習の準備をします。机を出して、給水ボトルの準備をして、練習メニューをホワイトボードに記入していきます。メニューを全部こなす選手もいれば、メニューを調整する選手もいるので細かく記載していきます。そして、タイム測定の目印となるコーンを置いたりしていきます。練習中はタイム計測、動画撮影、給水などですね。私は代謝が良すぎて、夏場は選手よりも汗をかいていました(笑)」。練習中もグラウンドを行ったり来たり。動き回るので体力勝負でもあります。
練習のサポート以外に、大会の出場予定や結果報告のSNS投稿も仕事の一つです。「チーム公式のTwitterとInstagramがあります。誤字・脱字がないように気をつけていました。Twitterは投稿したら編集ができないので。あとは、見やすさに気をつけていましたね。文字で打つのか、それともメモで作成してからスクショ(スクリーンショットで画面を保存)するのかなどですね。人数次第になるのですが、そういうことも考えていました。パンフレット作りもしていました」
私、M高史も学生時代は大学駅伝のマネージャーをしていましたが、SNSのお話などを聞いていると、今の時代に合わせたマネージャー業だなぁと勉強になります!
やりがいは「やっぱり選手からの感謝の言葉ですね。タイムが縮まったり、笑顔で走り終わっているとうれしいです」。
岡田晃監督の誕生日に決めた、富士山女子駅伝出場
亜細亜大学は短大時代に全日本大学女子駅伝に出場し、最高成績は6位。かつては全国の舞台で入賞を飾っていました。その後は2001年に休部。2018年に4年制のチームとなって再スタートを切りました。
「女子陸上競技部が復活して、4学年がそろう年に(富士山女子駅伝に)初出場するぞというのは、チームの共通認識としてみんな思っていた目標でした」
そして、4学年がそろった2021年、亜細亜大学は有言実行。富士山女子駅伝出場が決まった日は、偶然にも岡田晃監督の誕生日でした。
「前年の岡田監督の誕生日に『来年は富士山女子駅伝出場のプレゼントが欲しいです』と、岡田監督が部員にリクエストしていました。無事に出場権をプレゼントできて、本当によかったです!」
マネージャーとして同行した2021年の富士山女子駅伝では「出場することに必死だったので、チームとしてまずは経験しようという駅伝でした」。22位で襷(たすき)をつなぎきりました。
4年生になり前の主務だった横井さつきさんが卒業して、白椛さんが主務となりました。「私は寮に入っていなかったので、その分を選手が補ってくれましたし、協力してくれました」。選手たちとコミュニケーションをとりながら主務の仕事を進めていきました。
主務として挑んだ大学女子駅伝
最終学年の駅伝シーズンが近づいてくると、焦りや不安が募りました。「富士山女子駅伝に初出場できたことで自信がついた一方、心のどこかで(その年も)『何となく出場できるのではないか』とチーム全体で思っていたところがあったかもしれないです。今思うと気を緩めていないつもりでも、緩んでいたのかもしれないです」
亜細亜大学は5000m6人の合計タイムで競う「アディショナル枠」で全日本大学女子駅伝の最後の枠を勝ち取り、休部前の短大時代以来、22年ぶりとなる出場を決めました。そのとき、次点となった神戸学院大学との合計タイム差は、なんと0秒49! 1人あたり約0秒08という短距離並みのわずかな差でした。
「駅伝シーズンに向けてミーティングが多くなっていきました。大事な大会の前に、監督が現実と向き合わせてくれました。結果的に選手一人ひとりが頑張ってくれました。そのミーティングがあったから出られたのかなと思います」
迎えた本戦では「テレビで見ていたコースを選手が走っていて、不思議な感じになりました。本当に全国の舞台にいるんだなと感じました。選手が前を通ったとき、泣きそうになりましたね」
富士山女子駅伝も、2年連続の出場を決めました。全国の舞台で走れるということで、チーム内の駅伝メンバーに入るのも当然熾烈(しれつ)になってきます。
「駅伝で走る選手を選ぶのにも悩んだ年でした。うれしい悩みですが、やっぱり大変ですね。例えばメンバーに選ばれなかった選手のフォローで声をかけたり、逆に性格的に声をかけられたくない選手もいるので、そういうときはそっとしておいたり。選手によって合わせていました」
大学4年間は、1年生から2年生の後半くらいまで「サポートに徹したマネージャー」でした。「言われたことだけをやっていて、主体性があまりなかったなと思います。その考えが変わってきて、4年間で少しいい方向に変われたのかなと思います」
そして、岡田晃監督の存在も大きかったと言います。「本当に感謝してもしきれないです。続けるか悩んだときもあったのですが、救ってくれました。岡田監督は無理につなぎとめようとするのではなく、私の話を静かに聞いてくれて『逃げ場もあるよ』とか『休んでもいいよ』と諭すような形で言ってくださいました。4年目は『もう少しだから頑張ってみようか』と声をかけてくださいました。岡田監督に出会えてよかったなという風に思います」。恩師にも仲間にも恵まれて、成長し続けた4years.となりました。
マネージャー経験が社会人で生きる「三つ」のこと
この春、大学を卒業された白椛さんは母校・亜細亜大学の職員になりました。白椛さんは謙遜しますが、取材をすると、とてもしっかりしていて、テキパキと仕事をされて気配りもできるマネージャーさんでしたので、きっと社会人になっても活躍されるんだろうなぁと思っておりました。
現在のお仕事について白椛さんは「大学の法人部門の財務課という部署に所属しています。大学の銀行窓口のような感じです。主な仕事内容は、教職員の方への現金支払い、教職員の出張や教員の研究費の支払い精算、寄付金関係、大学公式サイトの財務情報更新などです。お金を管理するといっても直接現金を取り扱うのではなく、銀行とのやりとりが多いですね」と教えていただきました。
社会人になって、マネージャー時代の経験がどのように生きていますか? と伺ったところ「主に三つあります」と白椛さん。
「一つ目は、パソコンの操作やタイピングです。まだまだですが、学生時代に慣れていてよかったと思います。学生の時は行動予定表や、マネージャー内の目標管理シートなどを作成していました。表やグラフなどの書類作成、タイピングは役立ちます」
「二つ目は、コミュニケーションです。学生のときにたくさんの人と関わったので、いろんな人がいることを知れたのは大きいです。コミュニケーションの取り方、人との距離感、関わり方などは社会人でも生きている気がします」
「三つ目はスケジュールの管理です。学生のときはエントリーやアンケートの提出に追われていて、カレンダーに『いつまでに提出か』を書いて逆算していました。自分1人だけで仕事をしているわけではないので、スケジュールの調整は必要なことだなと思いました」
要点をまとめて、わかりやすく丁寧に教えていただきました。社会人1年目とは思えないほど、しっかりされていますね!
今後の目標について伺ったところ「出会ってよかったと思われる人になることです。なんだか大きな目標で恥ずかしいですが(笑)。私自身、亜細亜大学に入学して卒業するまでに、人として少し成長できた気がします。やめたいと思ったときもありますし、無気力になった時もありました。『マネージャーって花嫁修行でしょ?』とか言われて、驚いたときもあります(笑)。でも、頑張れたのは私を救ってくれた岡田晃監督、大学職員の方々、チームのみんながいました。その成長させてくれたこの場所で、再び新たな視点や立場で、さらに成長して自分をアップデートしていきたいですね! 部署の方も本当に優しい方ばかりで、働きやすいですし、何より楽しいです。この人と一緒に働きたい、働いていて楽しいと思われたいですし、良くしてくださる部署の方にも、早く仕事を覚えて、なんらかの形で恩返しがしたいです!」と熱い思いをお話しされました。
大学でマネージャー、主務を経験し、チームや選手をサポートしてきた白椛みずきさん。今度は母校の亜細亜大学やお世話になった方々に恩返しするために、現状打破し続けています!